久し振りにゆっくりとした日本での休暇を終えて、久しぶりのヨーロッパに戻って来ました。
リハーサルの行われている町は、オーストリアとの国境にも近い町で、なんともバケーションにでも来ているかのような美しい町。
到着した次の日はお休みだったので、友人に会うのも兼ねて懐かしいミュンヘンへ。
ここには以前一人旅で来たことはありましたが、美術館などにまで足を運ぶ時間がなかったので、今回はゆっくりと見学して来ました。
ミュンヘン=美術館のイメージはあまりなかったのですが、いえいえ。。 名作がいっぱいです。
はじめに足を運んだのが”ノイエ・ピナコテーク(新絵画館)”。 ここはルードヴィヒ1世が創立した美術館です。
”アトリエでの昼食” マネ
中央の男の人のジャケットの黒の際立つ作品ですが、作品の中の人物がみんな独立しているように視線も合わせず、謎めいた作品のようです。
ゴッホは1年半ほどの間に7点(1点は日本で戦火で焼失)の”ひまわり”を制作していますが、ここには3作目の、初めてよくあるひまわりの絵の構図で描かれた作品が展示してあります。 これで日本にある一点と、個人蔵の一点を除いてすべてのひまわりを見ることが出来ました。
フィラデルフィアの美術館にあるそれに似ていますが、7点の作品の中では、バックグラウンドと淡い色彩のせいか、一番さわやかで温かい印象を受けます。
”マルガレーテ・ストンボロー=ウィトゲンシュタインの肖像” クリムト
向かいにあるのが”アルテ・ピナコテーク(旧絵画館)”。 ここはヴィッテルスバッハ家の収蔵品を市民の為に展示する、世界でも最古の部類に入る公共美術館だそうです。
”受胎告知” フィリッポ・リッピ
”キリストとマリア” フィリッポ・リッピ
”聖母子像” フィリッポ・リッピ
”カーネーションを持つ聖母” レオナルド・ダ・ヴィンチ
ダ・ヴィンチ20代はじめの作品で、カーネーションは、十字架にかけられたキリストを見てマリアの流した涙から咲いた花。 ローマ法王のコレクションだったそうです。
”自画像” レンブラント
レンブラント、23歳の時の自画像。 よく目にする自画像ですね。
”イサクの犠牲” レンブラント
つい先日この現場に行っていましたが、信仰心の強さを表す緊迫した作品です。
かなりの数のルーベンスの作品が並んでいますが、すごい迫力と共に目に入ってくるのがこの”最後の審判”。
”花輪の聖母” ルーベンス、ブリューゲル
この作品は人物をルーベンス、花をピーテル・ブリューゲルの次男で友人だったヤン・ブリューゲルが描いたそうです。
”The Fall of the Damned" ルーベンス
まるで日本の地獄絵巻のようにおどろおどろしい作品。 もともと憎々しい絵を描くルーベンスですが、かなりグロテスクに描かれています。
美術鑑賞の後はカフェでおいしいコーヒーとプラム・ケーキ。
あぁ・・・ ヨーロッパって最高!!
ミュンヘンの街並み。
有名なビヤホール。
町の中心部にあるこのPeterskirchの塔へは、長い長い階段を登って上がることが出来るのですが、そこからはミュンヘンの街の様子をよく眺めることが出来ます。
特徴的な塔を持つブラウエン教会と、新市庁舎のある1158年から市の主要な広場になっているマリエン広場が見えます。
ここの仕掛け時計は有名で、時刻が来ると、沢山の人形が音楽に合わせて動き始めます。
噴水の上の魚の表情がひょうきん。。
オーストリアにも近いリハーサルを行っているMiesbach。
ローカルのリンクまでの道のりはこんな風景。
リンクも屋根が木で出来ていてとってもきれい。 こんな環境で練習とか、いいだろうねぇ…。
ペア・スケーターの手伝いで来ていた昔からの友達ロビンとアンディー。 彼らはディズニーを卒業してからはイギリスのテレビで活躍したり、ここへ来る直前もイタリアのコロシアムでアンドレア・ボッチェリと共演して来てたりと、あちこちで滑っています。
Hofgarten。
中心にあるドームの下ではピアノの演奏。 こういうのってやはりヨーロッパ。
かなり広大なEnglischere Garten。
公園の小川なのに流れが速いので、友人になぜなのか聞くと。。。
なんと、川でサーフィン。。。
気温は10度を下回ってるのに、こんなに冷たい川でサーフィンだなんて。。。
でも、面白い^^
普通に森の奥を歩いているかのよう。。。
夏の暖かい頃にはスポーツをする人たちで溢れているんだとか。。。
唯一の休みの日、今まで来たことのなかった、町の中心部からちょっと離れたところにある、バイエルン選帝侯の夏の居城の”ニンフェンブルク宮殿”へ行って来ました。
宮殿の前後には広大な公園もあって、なかなか規模の大きな宮殿です。
1664年に、イタリアの建築家が設計して、中心の建物が完成したのは1675年。 その後拡張や改修を繰り返し、1845年にはかのルードヴィヒ二世もこの宮殿で生まれています。
中心の建物の祝宴広間は3階分吹き抜けで、陽の光もたくさん入り、息をのむ美しさ。
漆喰細工もや天井画も贅を尽くしたつくり。
この部屋でルードヴィヒ二世は生まれたそうです。
ルードヴィヒ二世とその弟オットーの胸像。
ルードヴィヒは狂王と呼ばれ、弟も精神に異常をきたしたと言われています。 子供の時の表情からも神経が過敏そうである様子が伝わってくるようです。
ルードヴィヒ一世のコレクションであった美人画の並ぶ部屋。 様々な階級の女性が描かれているそうです。
ここで一番素晴らしかったのは、以前は厩舎だったに展示された馬車や陶器の数々。
どの馬飾りも、本当に手間暇かけて贅を尽くしたもの。
1772年にパリで造られた、1742年に神聖ローマ皇帝カール7世の戴冠式の際に使用された豪華な馬車。
美しいそりの数々。
これはルードヴィヒの、最初のニンフのそり。
豪華な刺繍に毛皮のひざ掛け。
かれの豪華なそりと馬車の数々。
この絵の中に描かれているそりが下の写真。
ルートヴィヒは戦争や堅苦しい政治、宮廷を避け、神話や騎士伝説の中に生き、ワーグナーに陶酔し、ノイシュヴァンシュタイン城やリンダーホフのような美しい建築物も残しました。
現実の世界と理想芸術の世界の狭間に苦しみ、四頭立ての馬車にこのそりを引かせ、夜の雪山を走るルートヴィヒ。。。 どのような夢想をしていたのでしょう。。。
財政破たん寸前までに追い込まれたバイエルン。 無理やり精神病と診断をされ王位を廃位され、1886年、40歳の時、自らの築いたノイシュバンシュタイン城の前の湖で水死体として発見されます。 ちなみに、このノイシュバンシュタイン城は、本人が死んだ後には破壊するようにとの遺言があったそうです。
彼の世界は孤独に彼だけの世界だったのでしょうか。。。
自分を理解してくれる人のいない孤独の中、この椅子に座り、夜の雪山を走り抜けるルートヴィヒ。
思い描くだけで苦しくなるようです。。。
この世のものではないかのようなドレス・コーチ。 まさに夢の世界から抜け出して来たかのようです。
細部の細部に至るまで、精密なデザインと仕事で造られた、走る芸術作品です。
こちらのコーチも現実離れしています。
混乱期のヨーロッパ、ドイツに、至上の芸術を現わし、夢の中に生き、そして現実に戻された時の絶望の果ての死。
この馬車を見たときに、身震いがするほどの感情の波に襲われて、しばらくこの部屋を離れることが出来ませんでした。
以前彼の伝記は読んだことがありますが、こちらの映画もいいようです。
隣の部屋にはルートヴィヒの馬飾りの数々が並んでいます。
馬車と同じく、装飾は細部に至るまで素晴らしい芸術作品で、国の財政が傾いたことはさておき、ノイシュバンシュタイン城しかり、これだけのものをこの世に創り出したということは、凄まじいエネルギーだったように思えます。
若かりし日のルードヴィヒ二世。
隣の棟には常用の馬車なども展示してあります。
”Cosa-Rara"と呼ばれるルートヴィヒのお気に入りの馬のはく製と、亡くなる4年前の姿。
随分と体重の増した、亡くなったすぐ後に描かれた絵。
ドイツではマイセンが硬質の陶磁器の製作に成功した後、ここバイエルンでも1750年代には硬質の陶器を生産するようになります。
この宮殿の北翼に窯を設けて、各国から陶磁家が呼ばれニンフェンブルグ焼が始まります。
ラファエロなどを精密に再現した陶板などもあります。
まるでオランダの花の絵画のような作品。
宮殿を離れ街に戻り、もう一か所寄りたかった教会へ。
”Asamkirche(アザム教会)"。
この教会の正式名称は聖ヨハン・ネボムク教会で、イタリアで芸術を学んだアザム兄弟が1746年に完成させました。
プライベートな教会として建築したのですが、結局は一般開放したそうです。
マーブルの中にでも入り込んだかのような装飾。 他に見たことのないような教会です。
ミュンヘンを代表するデパート”ダルマイヤー”の二階のカフェで飲んだ後、夜はバイエルン国立歌劇場でのバレエ。
ここの劇場ではワーグナーの”トリスタンとイゾルデ”や”ニュルンベルクのマイスタージンガー”も初演されています。
ここもまるで宮殿のよう。
本日の出し物は有名な”ラ・バヤデール”。
いままで曲ばかりでストーリーをあまり知らなかったのですが、まぁ・・・なんとも激しい物語。 権力と愛と嫉妬の末に神の怒りに触れ、最後はみんな死んで終わり。。。
ダンサーさんはみんな大変上手で、舞姫も戦士ソロルも会場を盛り上げました。
ここでテンション上げられたせいか、ミュンヘン公演は調子のよいまま一週間滑ることが出来ました。
ヨーロッパ・ツアー、幸先の良いスタートです。