これだけアメリカ中ツアーをしていても、まだまだ来たことのない町はあるもので、今週はヴァージニア州のノーフォーク。
ノーフォークはイギリスがヴァージニアに入植した頃から重要な港湾都市で、独立戦争、南北戦争と、常に軍事的に大きな役割を果たしてきましたが、現在も世界最大の海軍基地となっています。
今年はロングビーチで戦艦アイオワを見学しましたが、ここにもアイオワとほぼ同サイズで、世界で最後に退役した戦艦ウィスコンシンが博物館として展示してあります。
NYのクリスマス・マーケットで見つけたB29爆撃機の一部で作られたブレスレットも持参して平和のお祈り。
艦内にあるチャペル。
この艦も朝鮮戦争も終わると、あまり活躍することもなく、しばらくの間フィラデルフィアに係留されて痛みも激しかったようですが、その後アイオワと同じく改修されて湾岸戦争へ参戦したので、その際にはトマホークが搭載されました。 しかし、この時代ではすでに大型戦艦の活躍する時代ではなくなってき始めていたようですね。
ここにはかのマッカーサー元帥のお墓とミュージアムもあります。
1951年に任務を解任されて第一生命ビルを離れる際にも使用していたクライスラー。
日本軍の軍服や日の丸も。
これは日本軍の飛行機の残骸で作られたブレスレット。
1951年の彼の71歳の誕生日に神奈川県民から贈られた胸像。
もともと裁判所だった建物が彼と奥さんの墓所兼博物館となっています。
中はドームのようになっていて、規模は小さいものの、雰囲気はパリのアンヴァリッドのナポレオンの墓所のよう。
ここに奥さんと共に眠っています。
日本軍の装備などの展示。
1945年9月2日。 東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリの上で行われた降伏調印式。 当初連合軍側は昭和天皇をマニラまで呼び、マッカーサーに降伏をするべきと言う意見があったものの、マッカーサーは相手に屈辱感を与えるのは時代遅れであり、威厳にあふれる戦勝終結の儀式を行う必要があるということでこのような形になったそうです。
調印文書のレプリカ。
マッカーサーは5本のペンを用意していたそうなのですが、これはそのうちの1本。
日本から贈られた品々。
GHQのマッカーサーのオフィスのあった、皇居にほど近い第一生命ビルに置かれていた時計。 このマッカーサーのオフィスは非公開ですが、以前仕事で第一生命本社に挨拶へ行かせてもらった際見学させてもらったことがあります。 大変貴重な機会でした。
香淳皇后良子(ながこ)様の直筆入りの写真。
戦犯に関する展示。
東条英機の日本刀。
東條英機が自殺未遂をした際の32カリバーの弾。 写真は生々しかったので加工しました。
こちらは東条英機のピストル。
マッカーサーの姿に欠かせないのがこの三点セット。
ギフトショップにはコーンパイプも。
降伏文書。
彼のモデルのレイバンまでありました。
ノーフォークは古い街並みも残っていて、散策も楽しいです。
随分と日本ともかかわりの深い町でした。