Saturday, October 29, 2011
Thursday, October 20, 2011
the notebook
前回も触れた映画"The Notebook"(日本での題名は”きみに読む物語”らしいです)。 今日も仕事前に街に出たので、そのついでに撮影ロケーション巡りして来ました。ここがノアとアリーが初めてデートをする映画館。 King Streetにあります。 普段は閉まっているので中に入ることは出来ないようです。そこから2ブロック北に上がったのがあの印象的なシーン。 2人がこの交差点に寝そべって、ビリー・ホリデーで踊るシーン。 出来れば深夜にやって来て生ノアやってみたいです。
これがそのシーン。 映画を見たことない人は今すぐTSUTAYA行って観て下さい!
帰りのシャトルの迎を待ちながらサウンドトラック聞いてましたが、まるで映画のシーンの様に暑い太陽を急に分厚い雲が覆って、深緑の木々が灰色をおびると湿った風が辺りをざわめかせる。ふっと砂埃が道を横切る。
今度また来ることがあったら、車借りてプランテーション巡りもいいだろうなぁ。
Tuesday, October 18, 2011
charleston
パイクヴィルを後に再び南部へ!
サウス・キャロライナのチャールストンへやって来ました。 厳密に言えばノース・チャールストンなのですが、チャールストンまでの8マイルはホテルのシャトルが連れて行ってくれるので助かります。
ここチャールストンはちょっと前にいたサヴァナとも近く、アメリカ初期の歴史には欠かせない街でもあります。
1670年に、イギリスのチャールズ2世の名前にちなんでチャールズ・タウンとして建設が始まって、1690年時点ではフィラデルフィア、NY、ボストン、ケベックに次いで北米で5番目に大きな街でした。
ショップなどが並ぶKingStreetは散策にはピッタリ。 オシャレなバーやレストランも並びます。 この通りはあの名作映画"The Notebook"の舞台としても有名です。最初のイギリス国教会のセント・フィリップ・エピスコバル教会。18世紀半ばまでに、チャールストンは南部植民地に向けた大西洋貿易の中継基地となりました。 18世紀初頭はヨーロッパへの鹿皮の輸出が主で、インディアンとの貿易に関する同盟によって鹿皮の安定的な供給が約束されました。 20年でおよそ50万頭から125万頭の鹿が殺されたとされます。チャールストン最古のセント・ミカエル教会。
植民地とイギリスとの関係が悪化し、アメリカの独立戦争が始まります。チャールストンは前後2度のイギリスからの攻撃目標となります。 この教会の尖塔はイギリス軍の標的となる為、夜空に溶け込むように黒く塗られたそうです。
詳しくはメル・ギブソンの映画”パトリオット”でも描かれていますね。チャールストンのダウンタウンには往時の富豪の建物がいくつも残されているのですが、ここナサニエル・ラッセル・ハウス(Nathaniel Russell House)もその1つ。 商人の1人であったラッセル家の館ですが、ヨーロッパからの調度品に加え、アメリカでも優秀な家具は生産されていたようで、そのようなものが展示してあります。 夏が蒸し暑くなる南部では、夏でも暖炉に火を入れて湿気を逃がしていたと言う話には驚きました。せっかくなのでお昼はシーフードにしようと適当に"Charleston Crab House"へ。日中30度近い中ルーフ・テラスでランチ。 Soft chell crubのサンドウィッチなるものがあったので注文! このソフト・シェル・クラブ、日本ではあまり聞くことがないと思いますが、カニの殻をむくのが嫌いな欧米ではアメリカのカニの水揚げ量の半分はこれらしい・・・。 これはカニが脱皮をした直後の柔らかい殻のカニで、そのまま揚げて食べたりします。 寿司のネタにまで使われたりするのですが、めっちゃ美味いです。 日本でもこの食べ方もっと流行らしたらいいのにね! (自分も殻をむくが苦手な日本人・・・)
http://www.charlestoncrabhouse.com/マーケットホール。 1830年代に建設されたマーケットで、南軍博物館もあります。 ここから数ブロックに渡って露天的なマーケットが続いています。このマーケットで見つけたのがこの弾丸。 近所で掘り出した南北戦争で使用された弾丸です。 どちらもシャープス銃の物なのですが、片方が南軍、片方が北軍の物で、この会社、南北両軍に同じ銃の違う弾丸を売っていたそうです。 今でもこんな弾丸が出てくるんですね。 お店のおじちゃん、色々説明してくれました。
サウス・キャロライナのチャールストンへやって来ました。 厳密に言えばノース・チャールストンなのですが、チャールストンまでの8マイルはホテルのシャトルが連れて行ってくれるので助かります。
ここチャールストンはちょっと前にいたサヴァナとも近く、アメリカ初期の歴史には欠かせない街でもあります。
1670年に、イギリスのチャールズ2世の名前にちなんでチャールズ・タウンとして建設が始まって、1690年時点ではフィラデルフィア、NY、ボストン、ケベックに次いで北米で5番目に大きな街でした。
ショップなどが並ぶKingStreetは散策にはピッタリ。 オシャレなバーやレストランも並びます。 この通りはあの名作映画"The Notebook"の舞台としても有名です。最初のイギリス国教会のセント・フィリップ・エピスコバル教会。18世紀半ばまでに、チャールストンは南部植民地に向けた大西洋貿易の中継基地となりました。 18世紀初頭はヨーロッパへの鹿皮の輸出が主で、インディアンとの貿易に関する同盟によって鹿皮の安定的な供給が約束されました。 20年でおよそ50万頭から125万頭の鹿が殺されたとされます。チャールストン最古のセント・ミカエル教会。
植民地とイギリスとの関係が悪化し、アメリカの独立戦争が始まります。チャールストンは前後2度のイギリスからの攻撃目標となります。 この教会の尖塔はイギリス軍の標的となる為、夜空に溶け込むように黒く塗られたそうです。
詳しくはメル・ギブソンの映画”パトリオット”でも描かれていますね。チャールストンのダウンタウンには往時の富豪の建物がいくつも残されているのですが、ここナサニエル・ラッセル・ハウス(Nathaniel Russell House)もその1つ。 商人の1人であったラッセル家の館ですが、ヨーロッパからの調度品に加え、アメリカでも優秀な家具は生産されていたようで、そのようなものが展示してあります。 夏が蒸し暑くなる南部では、夏でも暖炉に火を入れて湿気を逃がしていたと言う話には驚きました。せっかくなのでお昼はシーフードにしようと適当に"Charleston Crab House"へ。日中30度近い中ルーフ・テラスでランチ。 Soft chell crubのサンドウィッチなるものがあったので注文! このソフト・シェル・クラブ、日本ではあまり聞くことがないと思いますが、カニの殻をむくのが嫌いな欧米ではアメリカのカニの水揚げ量の半分はこれらしい・・・。 これはカニが脱皮をした直後の柔らかい殻のカニで、そのまま揚げて食べたりします。 寿司のネタにまで使われたりするのですが、めっちゃ美味いです。 日本でもこの食べ方もっと流行らしたらいいのにね! (自分も殻をむくが苦手な日本人・・・)
http://www.charlestoncrabhouse.com/マーケットホール。 1830年代に建設されたマーケットで、南軍博物館もあります。 ここから数ブロックに渡って露天的なマーケットが続いています。このマーケットで見つけたのがこの弾丸。 近所で掘り出した南北戦争で使用された弾丸です。 どちらもシャープス銃の物なのですが、片方が南軍、片方が北軍の物で、この会社、南北両軍に同じ銃の違う弾丸を売っていたそうです。 今でもこんな弾丸が出てくるんですね。 お店のおじちゃん、色々説明してくれました。
この銃、その後戊辰戦争時に日本に輸出されたとか・・・。(スミソニアン博物館の写真より)
Friday, October 14, 2011
pikeville KY
Wednesday, October 12, 2011
celebrity
土曜日の朝のショー、前日からアナウンスがあった通り、スケート界のレジェンド“スコット・ハミルトン”が家族と共に遊びに来ました。 さすがに自分がスケートを始めた頃には彼は引退していましたが、その後のプロ活動が長いので、いまでもスケート界のスターです。 今までにも顔を合わせたことはありましたが、彼がこのショーを観に来たのは初めてです。 顔を合わせただけでも優しい人柄が伝わってくるような、そんな周りを一瞬で明るくしてしまうようなオーラを持っている方です。
そんなスコット・ハミルトンが連れて来たのがカントリー・シンガーの重鎮の一人シャリル・クロー(Sheryl Crow)。 グラミー賞でも常連ですが、そんな彼女が子供を連れてやって来ました。 バック・ステージにも来てくれて何度かすれ違いましたが、年齢を感じさせないチャーミングな人でした。
そしてそんなセレブが来ていた朝一のショー。 もっと驚くセレブが来ていたことが後で発覚! なんと自分の大好きな女優さんの一人、ニコール・キッドマンも観に来てました。 なんでこんなナシュビルにいるのか考えてみたら、そう言えばカントリー・シンガーのスター“キース・アーバン”と数年前に結婚してましたね。 でも、まさかナシュビルに住んでるとは知りませんでした。 あ~、バック・ステージにも来て欲しかったなぁ・・・。 彼女に会えなかったのは残念だけど、自分のスケートを見てもらえたと思ったらちょっとゾクゾクします。
その他去年カントリー・ミュージック・アワードで最高の賞を受賞したスター”ブラッド・ペイズリー”やその他有名な歌手も来ていて、かなりセレブなショーだったようです。
あぁ・・・ニコール・キッドマンに会いたかったよぅぅぅ。。。
Tuesday, October 11, 2011
country music city nashville
カントリー・ミュージックと言えばカウボーイ・ハットにブーツのイメージが強いので、自分ですらアメリカに来る前まではテキサスの音楽だと思っていたのですが、実はそういった概念は西部劇の映画や舞台にカントリー・ミュージックが使用されたからであって、カウボーイ全盛の19世紀にはカントリー・ミュージックは存在していませんでした。ダウンタウンのメイン・ストリート数ブロックは"Live Music Venues"と呼ばれ、昼間っからライブのカントリー・ミュージックがあちこちのレストランやバーから流れています。
このカントリー・ミュージック、発祥はアメリカ南部なのですが、もともとはケルト音楽がベースになっていて、そこに他のヨーロッパ民謡やゴスペルなどの影響を受けて1930年代に成立したそうです。 意外と新しいジャンルだったんですね。日本ではそんなにカントリー・ミュージックを聞く機会はないかもしれませんが、こっちでは最近もアイドル的存在のテイラー・スウィフト(Taylor Swift)が出てきたりと大きな支持を得ています。気持ちのいい木陰の通り。 仕事の間にお茶ついでに散策するには最高でした。ここがカントリー・ミュージックの聖地の中の聖地“ライマン公会堂(Ryman Auditorium)です。
もともとは1892年にゴスペルの礼拝堂としてオープン。 その後現在でも続くアメリカ最古のラジオ番組”グランド・オール・オプリ”の公開番組が行われるようになります。 一時荒廃の時を過ごしますが、2001年にはアメリカ合衆国国定歴史建造物にも認定されています。 来週にはアレサ・フランクリンのコンサートもあるみたい。 行きたかったなぁ・・・。
建物がピアノチックなカントリー・ミュージック殿堂博物館。 ちょっと入場料が高かったので入りませんでしたが、ファンの人にはなかなかクオリティーの高い展示がしてあるようです。
Sunday, October 9, 2011
days off in toronto
ジョージアからテネシーのナシュビルまでの長いバス移動の日、早朝から自分は3日半の休みを利用してたまったエアマイルでカナダのトロントの友達の家へ!
そろそろ暑い気候にまいっていたので、涼しいカナダに行くのは最高^^ 美味しいアジアン・レストランもいっぱいあるし、とっても楽しい休日が過ごせました。
帰る前の日に街を歩いていて見つけた行列が、あのSex and the Cityのサマンサ役で有名なKim Cattrall主演の舞台、今度11月からはブロードウェイでも公演される"PrivateLives"のマチネの行列。 まさかチケットはないだろうなぁと思ったのですが、なんと数席空きがあったので、友達と5分前コールなのにもかかわらず、チケットを買って観に行きました。
話の舞台は1930年代のフランスはリビエラとパリ。 元夫婦だった男女2組が、偶然お互いのハネムーン先のホテルではち合わせ、そこから起こるドタバタ劇を演じます。 映画ではちょっと年齢を感じさせるようになったKimですが、舞台ではさすが女優さん。 見た目の美しさには惚れ惚れです。 もちろん演技も最高に上手いし面白いのですが、どうしても”サマンサ”とリンクしてしまいます。
偶然だったとはいえ、ブロードウェイに行く前の舞台を観れたのはラッキーでした。
帰りトロントを出てワシントンでの乗り換え、乗ろうとした飛行機がオーバー・ブッキング。 次のフライトに乗り換えてくれるボランティアを募っていたので、まだ仕事までは時間があったし立候補。 ボランティアの御礼に$400分のユナイテッド航空のクレジット! また次のフライトがタダになる以上のお金がもらえました。^^ しかも同じワシントンのダレス空港からレーガン空港へ移動をしないといけなかったのですが、そのタクシー代も航空会社が出すし、気持ちのいい天気の中、ホワイトハウスや国会議事堂の風景を眺めるドライブも満喫。 なんだか得した気分でした。
帰ったらすぐに仕事だったけど、楽しい休日が過ごせました!
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