昼過ぎにはメキシコへ到着! 一年以内に二度も来られるとは思ってもいませんでしたが、感情の揺さぶり続けられた一週間の後にはこの10日間のバケーションは必要不可欠でした。
アパートに荷物を降ろしたら、ほぼ直行でLa Condesaの、いつも人でいっぱいのフィッシュ・タコの店"El Pescado"へ。
アメリカにもメキシカン・レストランは溢れんばかりにあるし、テキサスやカリフォルニアなどはほぼメキシコと変わらないのに、やはり現地で食べるトルティアは風味が違っていて”やっぱこれ!”と言った感じ。
Hotel Condesaの中庭のバー。
最近メキシコではテキーラよりもメスカルがポピュラーなのですが、これもメスカルを使ったマルガリータ。 メスカルはかなりスモーキーで、マルガリータにしても美味!
ソカロへ。
天気はいいし、そんなにカラッとして暑くないし、最高の天候です。
Pozole(ポソレ)。
これもメキシコではメジャーな食べ物なのに、前回いた時には食べていなかったので、ランチはここ。 コーンをベースとしたスープと言うかシチュー。 赤や緑、白っぽいものまでバラエティがあって、アボカドや豚の皮のフライをトッピングしながら食べます。 コクが深くてスパイスも効いていておいしいです。 具だくさんで量も多いので、完食するのはきびしい。。
Palacio Nacional(国立宮殿)。
ここには昔来てことがありましたが、昨年は時間がなくて立ち寄ることが出来たなかったので再挑戦。 入場は無料ですが身分証が必要で、ツアーでしか入ることが出来ません。 この日はスペイン語のツアーしか空きがなかったのですが、自分の乏しいスペイン語の知識と友達の通訳で入場。
ここはとにかくメキシコの歴史の中でも最も重要な場所の1つ。 もともと”メキシコ”はこの場所から始まったのですが、アステカの首都であり、ここにはモクテスマ2世(1466~1520)の宮殿がありました。 現在も建物のほとんどの部分はこの宮殿で使用されていたものだそうです。
以前来た頃はただの博物館だったのですが、2018年からは再び大統領の官邸として使われ始めたので、入場のセキュリティの厳重です。
中央にはペガサスの噴水。 中庭は三階建ての正方形の建物に囲まれているのですが、写真の撮れるのは入って右側のエリアのみ。
2階にはディエゴ・リベラの”メキシコの歴史”と言う題の壁画があるのですが、メキシコの重要な作物や人物、歴史が壁一面に描かれています。
かなりの大作であることが分かります。
妻でありメキシコのアイコン的存在のフリーダ・カロと妹。
メキシコ各地の植物を植えてある庭。
ここで教えてもらったのが”コチニール”。 メキシコのサボテンには潰すと鮮血色になる”コチニールカイガラムシ”が寄生するのですが、これが食品や衣料、口紅などのメイキャップの赤色に使われているのは知りませんでした。
こちらのサイトに詳しく説明してあります。
ちょっと驚きでした!
歩いて”マリアッチ”で有名な超治安の悪いエリアにある”ガリバルディ広場”へ。
マリアッチの演奏は夜遅くからがメインなのですが、夕暮れ時には楽団も準備を始めていて、リクエストをすれば歌ってくれます。
そこにあるのが、これもメキシコでは有名な飲み物”プルケ”のバー”プルケリア”。
プルケもテキーラやメスカルと同じくリュウゼツランから作られるのですが、西暦200年頃のピラミッドの壁画にも描かれている、古くからある飲み物。
アルコール度数は低く、日持ちがしないので、現地生産、現地消費。
いくつかのフレーバーがあるのですが、発酵した酸っぱさがあるので、どちらかと言うとねっとりとしたマッコリのような感じ。 かなり癖があるので、コップ一杯飲むのもちょっと大変。
このガリバルディ広場に2010年に出来たのが”テキーラ博物館”。
テキーラについての知識を得るにはよいところ。 リュウゼツランの種類や、製造方法に関しての展示があります。
見学の後には一階のバーでテキーラとメスカルを試飲させてくれます。(チケット代が試飲代と言った感じ)。
”La Opera”。 1876年にオープンしたレストランで、政治家や有名人の通った場所。
この日はコヨアカンへ。 有名なチュロスのお店”El Moro”。
ランチは再びフィッシュ・タコ。 下はセビチェのTostada(トスタダ)。
トスタダとタコスの違いは? メキシコ料理はブリトーにしてもエンチラダにしても何にしても、材料はほぼ同じ?! とりあえずトスタダは揚げたトルティアの上に具を乗せたもの。
”ハカランダ”。
日本語ではジャカランダと呼ばれるこの木。 ちょっとシーズンは過ぎてしまっていたのですが、しばらく前にはメキシコ中を紫色に染めていた風物詩となっているこの花。
実はこの花、移住していた日本人の松本辰五郎さんの広めたもの。 当時のメキシコ大統領が日本との友好の証に桜の木を植えようとしたのですが、日本の桜はこの地には根付かず、このブラジル原産のハカランダを植えることにしたんだそうです。
現在はメキシコ中に広まり、街中が紫色になります。
ここも機会がなくて一度も入ったことのなかったフリーダ・カロ(1907-1954)の生家であり、ディエゴ・リベラと暮らしていた”青の家”。 入場は予約制です。
この年齢も離れた、浮気性だったディエゴとフリーダの関係は複雑極まりなく、47歳で早世したフリーダの人生も複雑極まりないです。
Mi Familia - 1949
Retrato de muchacha - 1929
Retrato de Agustin M. Olmedo - 1928
Naturaleza muerta - 1942
El Marxismo dara salud a los enfermos - 1954
Autorretrato con traje de terciopelo - 1926
Autorretrato - 1931
Viva la vida - 1954
彼女のペインティングの中でも最も重要なものの1つで、彼女の亡くなる8日前に完成したと言われています。
日本語の題名は”人生万歳”と訳されていますが、一つは切り刻まれた彼女の身体のようにも思えますが、一つには沢山の種が描かれていて、輪廻を想像させられます。 彼女がどのような意図で、先が長くないことを横たわるベッドの上で感じつつ描いたのか。。 何であれ、彼女の人生がスイカのように甘くみずみずしいものであったことを願います。
ダイニングルーム。
ディエゴの寝室。
フリーダが半生の大半を過ごすことになったベッド。
天井部分には鏡が貼ってあり、寝たまま上を見て絵を描けるようになっています。
テナンシンゴのレボソ(ショール)も掛かっています。
ここの庭で過ごすフリーダの様子。
中庭は広く、緑が溢れています。
フリーダはメキシコの伝統のファッションを上手に取り入れていましたが、ここにはそのいくつかが展示してあります。
どれも大変アイコニックで、彼女が着ている姿が容易に想像できます。
いつも大きく大胆なネックレスを付けているイメージもありますが、これもその一つ。
彼女は事故の後の後遺症もあり、歩行が大変だったため靴のかかとの高さが変えてあります。
この家のクローゼットやバスルームは彼女の死後閉ざされたままになったいたそうなのですが、2004年にその封印が解かれ、これらの服や装飾品の数々が出て来たそうです。
詳しくは”フリーダ 愛と痛み”と言う本に書かれているようです。
ジャン=ポール・ゴルチエなどのデザイナーが、彼女をモチーフとしてデザインした服。
車を運転して、一泊二日で銀の街”タスコ”へ旅行。 メキシコ・シティの運転がどのような感じか少し心配でしたが、慣れれば大丈夫でした。
タスコまでは4時間弱の距離ですが、まずはちょうど中間に位置するCuernavaca(クエルナバカ)へ。
ここは気候もいいそうで、メキシコ・シティから休暇に来る人も多いのだとか。
この街の中心にあるのが”クエルナバカ大聖堂”。
ここは”16世紀初頭の修道院群”として世界遺産にも登録されています。
1533年に建設が始まり、1538年に完成していますが、周辺の広大な地域に住む先住民をキリスト教化するためにいくつかの教会が建設されました。
外観はまるで城壁にでも囲まれているようで、これはやはり反抗する先住民からの防御の役割と、威圧感を与える役割があったようです。
中庭へはスペイン人と先住民の貴族のみ入ることが出来たそうです。
大きなマンゴーの木。
内部にはフレスコ画が描かれていますが、これはヌエバ・エスパーニャの宣教師がフィリピンや日本へ宣教活動に行った様子を描いているもので、大変興味深いです。
”皇帝太閤様”の文字も見えます。
”日本での復活”。
長崎での26聖人の殉教が描かれています。 この中にはメキシコ人で初の殉教者となった、京都で捕まった24歳のフェリペ・デ・ヘスースも描かれています。
大聖堂に面して建っているのが、1920年代にアメリカの資産家に生まれたアーティストでコレクターのロバート・ブラディの家。
1950年代にはイタリアのベネチアに住みつつ、NYで知り合ったグッゲンハイムの勧めでメキシコを旅しますが、その途中ここクエルナバカへやって来てこの土地に恋をします。
1961年には大聖堂の一部であったこの家を購入して、1986年に亡くなるまで住み、そのあとは彼の遺志を継いで博物館として公開されました。
世界中から集められた彼のコレクションが並びます。
この黄色の部屋にはフリーダの肖像画も飾られています。
奥にはルフィーノ・タマヨも。
博物館になる前から、まるで美術館のような家だった様で素敵でした。
細く急な石畳の道をグネグネと走って銀の街”タスコ”へやって来ました。
白い壁の家が重なり合うように山の斜面の沿って立ち並んでいます。
細い通りは全て石畳で一方通行。
街のタクシーはメキシコ・シティでは消えてしまったビートル。 2000年代初めにメキシコ・シティで走っていたビートルもかなりの旧型でしたが、それが全てここへ来たのか?? 未だにこんな急坂走っているのも奇跡的です。
散策をしていて見つけたのがこのショップ。
グリーティングカードやトートバッグなどに古い印刷機を使ってプリントをしているお店なのですが、Tシャツなども売っているものの、デザインはとても面白いのにシャツのクオリティがダメ過ぎて買う気にはなれず、お店の人に聞いたら持ち込みの服にもプリントしてくれるし、工房に行ったらプリントの種類も沢山あるとのこと。
メキシコを象徴するような版木が沢山あって、選ぶのが大変なほど。 こんな工房があることを知っていたらデニムジャケットでも持って来ておけばよかった。。。
配置を決めて印刷機へ。
結構な力仕事ですが、片面$3くらいでプリントしてくれました。
一晩乾燥させるので、仕上がりは後程。
”サンタ・プリスカ教会”。
1759年に完成した、18世紀に銀鉱山で富を築いたホセ・ボルダの寄進によって建てられた教会。
ファザードも内部も豪華です。
銀の街だけあってグアダルーペの聖母も銀製です。
メスカルのバー、メスカテリアでマルガリータ。
夜の雰囲気も大変素敵です。
銀製品のお店の写真を載せていませんが、街中銀製品を扱うお店でいっぱいで、以前と違ってちょっとデザインにも凝ったお店もあります。 ほとんどのお店にはシルバースミスがいて、オーダーにも応じてくれます。 自分の手持ちの石もほんの数ドルで加工してくれます。 製品の価格も破格値です。
お気に入りが見つかったら値段の交渉をして即買いです! ただお店の数が半端ないので、一軒一軒歩いて回って、デザインと価格をチェックするのも一苦労。
ドライブは荒涼とした山や谷を走るのですが、案外ちゃんと整備してあって快適。 途中アガベ畑などもあって、テキーラやメスカルを作っています。
帰り道に寄ったのがメキシコの綿絣”レボソ”の街、Tenancingo(テナンシンゴ)。
小さな地方の田舎で、一体どこでレボソを織っていて販売しているかも分かりにくいのですが、小さなショップがいくつかと、あと教会のある広場には露店も出ていて、ショールや加工品も比較的安価に購入することが出来ます。
染めや織まで数か月を要するそうで、柄の細かさで値段もピンキリ。 布を織るのは男性で、端の糸を凝ったデザインに織るのが女性の役割です。
綿絣なので使いやすそうです。
メキシコ・シティまで戻って、グアダルーペ寺院へ。
ここは今まで二度、テオティワカンに行く途中に立ち寄ったことはあったのですが、いつもキャストと一緒に流れ作業のようにしか来たことがなかったので、今回はゆっくり回ってみました。
グアダルーペの聖母はメキシコで最も敬愛されている聖母。 ラテンアメリカなので、マリアの肌も褐色です。
1531年12月9日に、ここグアダルーペの農夫ファン・ディエゴの前に現れ、その後重病人が回復する奇跡が度々起こるようになったのと同時に信仰が広まります。
このマリアの絵はメキシコ全土をはじめあちこちで見ることが出来ます。
この丘の上の教会が初めて建てられた教会ですが、現在は1976年に建てられたモダンな建物に移動しています。
真ん中の建物は地盤沈下で傾いているのが分かります。
チャプルテペックにある”メキシコ近代美術館”。
ここで一番の作品と言えば、もちろんフリーダの”二人のフリーダ”。
これはディエゴと離婚する前から描かれ始めたもので、すでに二人の関係は破綻していたと思われますが、右が彼に愛されていた頃のフリーダで、左が彼との関係が壊れたフリーダ。
左の彼女の心臓は開かれ、動脈は止血しようとしても血が流れ続けています。
チャプルテペック公園のボタニカル・ガーデン。
天気も良く気持ちがいいです。
タスコでプリントしたフレッド・ペリーのポロシャツはこんな具合です。 とってもいい思い出のお土産になりました。
メキシコは日本と同じく地震大国ですが、ホットチョコレートを飲みに行った際に急に街中に警報音(携帯からではなくスピーカーから)。 友達の表情が変わったと思ったら地震警報とのこと。
あっという間に通りが人で溢れかえりました。 建物の中があまり安全ではないのか、とにかく建物の中にいる人達がみんな出てきて通りを埋め尽くしました。
どうやら誤報だったようで、しばらくするとみんな建物に戻って行きましたが、地震はどこの国でも怖いですね。
ということでショコラテリアにもどってカカオ・ドリンク。 とっても体によさそうです。
(ちなみに自分は毎朝グラノーラと共にカカオ・パウダー大匙一杯を摂っていますが、血液検査で善玉コレステロール値がめちゃめちゃ上がっていて、悪玉コレステロール値がかなり減っていたのもカカオ・ポリフェノールのおかげ?)
メキシコ・シティ最後の日のランチはちょっといいところへ。
ランチにしてはちょっとオシャレ過ぎる感じもありますが、シェフは2014年にラテンアメリカのトップシェフにも選ばれた人。