昔々に初めて着たポーランドの街がここクラクフでした。 ハンガリーから深夜の電車でスロバキアを通って早朝に到着したクラクフの駅。 古い駅舎に降り立った途端に宿の紹介やタクシーの誘い、それを振り切った駅の外に出たらボロボロのバスが重なり合って走っていました。
今回ワルシャワから到着した駅はピカピカの、ヨーロッパのどこにでもあるターミナル駅。 昔あったカオスな、典型的東ヨーロッパの雰囲気は消えてしまい、西ヨーロッパを変わらない雰囲気。 旧市街も随分と綺麗に整備されていて、アンティークで、東の雰囲気満載の街の良さは消え去っていました。
EUに統合される前後から急ピッチで開発が進んでいるのは知っていましたが、十数年振りにに見る街の雰囲気は全く違うものになっていました。
街の端にあるヴァヴェル城。
夜見ると幻想的な雰囲気が増して、まるで中世の物語の中の世界にいるよう。
夜はポーランドのワインとチーズを味わって、その後教会でのバロック・コンサート行って初日終了。
旧市街は城壁で固く守られているのですが、北のゲートがこの1300年頃に造られたフロリアンスカ門。
その門の前にあるのがこの円形のバルバカン。
街を防御する砦で、1498年に造られました。 ヨーロッパには3か所しか残っていないそうです。
フロリアンスカ門の内側では、ずーーーっと昔から絵が売られています。
ここの中央広場は総面積が4万㎡もあって、中世からそのまま残っている広場としてはヨーロッパ最大だそうです。
奥に見えるのが旧市庁舎の塔。
チャルトリスキ美術館へレオナルド・ダ・ヴィンチの作品を見に行こうと思ったのですが、現在はヴァヴェル城に展示してあるという事なので、そのままお城へ。
ここも以前来た時にその建物の美しさに感激したのを覚えていますが、ヴァヴェル大聖堂は優美です。
ここの大聖堂では14世紀から18世紀までの400年間、ほとんどのポーランドの国王の戴冠式が行われて来ました。 国王をはじめ、ポーランドの著名人の墓所でもありますが、未だ記憶に新しく、ショッキングな出来事だった、悲劇の虐殺の行われたカティンの森の追悼式に向かう途中に航空事故死したポーランド大統領夫妻も埋葬されています。
ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世は、ここクラクフ近郊の町で生まれ、カトリックなポーランドの誇る人物です。
大聖堂の中は撮影禁止ですが、外の装飾以上に内部も豪華絢爛です。
大聖堂の奥にあるのが旧王宮。
ここの二階にダ・ヴィンチの作品は展示してあって、入場料は無料でした。
行ったときには人も少なくて、一点だけ展示してある部屋は、時々自分一人だけになって、じっくりと独り占めにして見て来ました。
”白貂を抱く貴婦人”Cecilia Gallevani
ダ・ヴィンチの一人の女性を描いた作品は、モナリザを含め4点しか現存していませんが、この作品は、その中でも状態の良いものだそうです。
表題は白貂(シロテン)なのですが、実際は白いフェレットだそうで、随分と筋肉質で目つきが鋭いです。 背景は後の時代に黒く塗りつぶされてしまったそうなのですが、逆に人物がくっきりと浮かび上がって、女性の穏やかな表情とフェレットの強いイメージのコントラストが鮮やかになっているような気がしました。
描かれている女性はミラノ公の愛妾さんらしいのですが、とっても好きな作品でした。
無料で見られるなんてラッキー。
王宮からの街の眺め。
中央広場で一番目立つのがこの1222年に造られた”聖マリア教会”。
深い群青色の天井と金彩の美しい教会内部。
15世紀の、市民の募金によって造られた”ヴィット・ストウオシ祭壇”は国宝。
写実的な人物は2.7メートルもあり、堂々と、しかも繊細な祭壇です。
メトロに乗って旧市街からちょっと離れた工場の立ち並ぶエリアへ。
ここへあるのが映画”シンドラーのリスト”で有名なオスカー・シンドラーの工場。
多くのユダヤ人の命を救ったと言われるシンドラーですが、労働賃金が安いが上に多くのユダヤ人を雇用していたという話はあるものの、多くの人命を救ったのも史実。
現在はナチス占領下のクラクフの様子を展示した博物館となっているので、ただただ辛かったですが見て来ました。
あまり展示物については触れたくないのですが、アウシュビッツもここの近く。 未だに鮮明な記憶が頭の中に焼き付いているので、今回はアウシュビッツを訪ねるつもりはないのですが、人間が同じ人間に対してどこまで残虐なことが出来るのか、歴史の大波に翻弄させられた人達。。
決してここに展示してあることは過去のみに起こったことではなく、現在進行形で、世界の地域によっては同じことが続いているということは忘れてはいけない事実です。
映画の宣伝のクリップしか貼れませんが、2度見る勇気が出ない辛い映画ですね・・・。
そこから歩いて20分ほどのところにあるのが”カジミエシュ地区”。
1335年、当時のカジミエシュ大王が迫害を受けていたユダヤ人を保護し、クラクフの街とは別の場所に造った街です。 ヨーロッパ各地で迫害を受けていたユダヤ人の多くがここに住んで、第2次世界大戦までは栄えていたそうです。
シンドラーのリストのロケ地にもなったそうなのですが、先ほどの博物館でも戦前のここの様子を映した映像もあって、貧しそうではあっても自由の許された生活の様子を見ることが出来ました。
今ではおしゃれなバーやお店も出来て、活気を取り戻しつつあるようです。
世界がいつまでも平和でありますように。。。
今回ワルシャワから到着した駅はピカピカの、ヨーロッパのどこにでもあるターミナル駅。 昔あったカオスな、典型的東ヨーロッパの雰囲気は消えてしまい、西ヨーロッパを変わらない雰囲気。 旧市街も随分と綺麗に整備されていて、アンティークで、東の雰囲気満載の街の良さは消え去っていました。
EUに統合される前後から急ピッチで開発が進んでいるのは知っていましたが、十数年振りにに見る街の雰囲気は全く違うものになっていました。
街の端にあるヴァヴェル城。
夜見ると幻想的な雰囲気が増して、まるで中世の物語の中の世界にいるよう。
夜はポーランドのワインとチーズを味わって、その後教会でのバロック・コンサート行って初日終了。
旧市街は城壁で固く守られているのですが、北のゲートがこの1300年頃に造られたフロリアンスカ門。
その門の前にあるのがこの円形のバルバカン。
街を防御する砦で、1498年に造られました。 ヨーロッパには3か所しか残っていないそうです。
フロリアンスカ門の内側では、ずーーーっと昔から絵が売られています。
ここの中央広場は総面積が4万㎡もあって、中世からそのまま残っている広場としてはヨーロッパ最大だそうです。
奥に見えるのが旧市庁舎の塔。
チャルトリスキ美術館へレオナルド・ダ・ヴィンチの作品を見に行こうと思ったのですが、現在はヴァヴェル城に展示してあるという事なので、そのままお城へ。
ここも以前来た時にその建物の美しさに感激したのを覚えていますが、ヴァヴェル大聖堂は優美です。
ここの大聖堂では14世紀から18世紀までの400年間、ほとんどのポーランドの国王の戴冠式が行われて来ました。 国王をはじめ、ポーランドの著名人の墓所でもありますが、未だ記憶に新しく、ショッキングな出来事だった、悲劇の虐殺の行われたカティンの森の追悼式に向かう途中に航空事故死したポーランド大統領夫妻も埋葬されています。
ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世は、ここクラクフ近郊の町で生まれ、カトリックなポーランドの誇る人物です。
大聖堂の中は撮影禁止ですが、外の装飾以上に内部も豪華絢爛です。
大聖堂の奥にあるのが旧王宮。
ここの二階にダ・ヴィンチの作品は展示してあって、入場料は無料でした。
行ったときには人も少なくて、一点だけ展示してある部屋は、時々自分一人だけになって、じっくりと独り占めにして見て来ました。
”白貂を抱く貴婦人”Cecilia Gallevani
ダ・ヴィンチの一人の女性を描いた作品は、モナリザを含め4点しか現存していませんが、この作品は、その中でも状態の良いものだそうです。
表題は白貂(シロテン)なのですが、実際は白いフェレットだそうで、随分と筋肉質で目つきが鋭いです。 背景は後の時代に黒く塗りつぶされてしまったそうなのですが、逆に人物がくっきりと浮かび上がって、女性の穏やかな表情とフェレットの強いイメージのコントラストが鮮やかになっているような気がしました。
描かれている女性はミラノ公の愛妾さんらしいのですが、とっても好きな作品でした。
無料で見られるなんてラッキー。
王宮からの街の眺め。
中央広場で一番目立つのがこの1222年に造られた”聖マリア教会”。
深い群青色の天井と金彩の美しい教会内部。
15世紀の、市民の募金によって造られた”ヴィット・ストウオシ祭壇”は国宝。
写実的な人物は2.7メートルもあり、堂々と、しかも繊細な祭壇です。
メトロに乗って旧市街からちょっと離れた工場の立ち並ぶエリアへ。
ここへあるのが映画”シンドラーのリスト”で有名なオスカー・シンドラーの工場。
多くのユダヤ人の命を救ったと言われるシンドラーですが、労働賃金が安いが上に多くのユダヤ人を雇用していたという話はあるものの、多くの人命を救ったのも史実。
現在はナチス占領下のクラクフの様子を展示した博物館となっているので、ただただ辛かったですが見て来ました。
あまり展示物については触れたくないのですが、アウシュビッツもここの近く。 未だに鮮明な記憶が頭の中に焼き付いているので、今回はアウシュビッツを訪ねるつもりはないのですが、人間が同じ人間に対してどこまで残虐なことが出来るのか、歴史の大波に翻弄させられた人達。。
決してここに展示してあることは過去のみに起こったことではなく、現在進行形で、世界の地域によっては同じことが続いているということは忘れてはいけない事実です。
そこから歩いて20分ほどのところにあるのが”カジミエシュ地区”。
1335年、当時のカジミエシュ大王が迫害を受けていたユダヤ人を保護し、クラクフの街とは別の場所に造った街です。 ヨーロッパ各地で迫害を受けていたユダヤ人の多くがここに住んで、第2次世界大戦までは栄えていたそうです。
シンドラーのリストのロケ地にもなったそうなのですが、先ほどの博物館でも戦前のここの様子を映した映像もあって、貧しそうではあっても自由の許された生活の様子を見ることが出来ました。
戦前のイザーク・シナゴーグの前の様子。
今ではおしゃれなバーやお店も出来て、活気を取り戻しつつあるようです。
世界がいつまでも平和でありますように。。。
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