アントワープでの休みの日、ここにあるアンティークショップに寄りたくて、初めてやって来ました。
発音的には”ヘント”らしいのですが、ここで一番の見どころはこの”聖バーフ大聖堂”にある”神秘の子羊”と呼ばれる1432年に描かれた祭壇画。
教会自体も壮麗なのですが、この”神秘の子羊”は細密で美しい作品で、撮影は出来ないため、ここには載せられませんが、是非ウィキペディアを見てください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヘントの祭壇画
キリストやマリア、ヨハネの黙示録が題材となっていて、胸から血を流す凛と立つ子羊が大変印象的。
市庁舎も豪華な建物のようですが、現在工事中。
今回ここに来たかった目的はこのアンテークショップ"St. John"に来たかったからで、本当は営業日ではないのに、自分が行くと連絡してら開けて待っていてくれました。
もともとはカトリックの教会で、その後イギリス移民が増えたことからイギリス国教会になり、移民が去った後空き家になっていたところを、今の素敵な女主人のおじいさんが共同で建物を購入、オークション会場としっ使っていたものの、その後おじいさんが買い取ったそうです。 こんな大きな教会が個人所有なんて驚き。
しばらくここで楽しい時間を過ごさせてもらいました。
ゲントは水路も沢山あって、ブルージュやアムステルダムにも負けないくらい綺麗です。
街の中にあるこのお城は”フランドル城”。
1180年の築城だそうで、1353年まではフランドル伯の居城だったそうで、その後は様々な用途に使用されていたそうなのですが、現在は修復され博物館となっています。
上からアツアツの油を流して攻撃していた構造なども残っていて、騎士道な雰囲気はたっぷり。
”リーテ・ラトバリタ・ウルス アリアロス・バル・ネトリール”。
下には巨神兵が眠っていそう。。
お城の上からはこのパノラマ。
ベルギーと言えばビール。。
そしてポテトのフライ。
フレンチ・フライと呼ばれるお馴染みのこの食べ物。 もともとはベルギーの物。
せっかくなのでジャンキーなランチ。
Korenmarkt。
人の集まる中心部。
ふと見かけた、とくに観光スポットにもなっていない建物ですが、フランドル地方の建物をガウディみたいにアレンジしたビル。 下が空き店舗になっている様でしたが、なかなか秀逸なデザイン。
一日を過ごして帰路へ。 ベルギーもオランドの様に自転車大国。
現在日本へ帰国中ですが、コロナの影響で世界中のエンターテイメント・ビジネスは大打撃。 次の始まりがいつのことになるのか想像もつきませんが、こういう特殊な状況の時には、ジタバタしないで事態の流れを静観しておこうと思います。
Tuesday, March 17, 2020
Thursday, March 12, 2020
antwerpen
今回のヨーロッパ・ツアー最後の公演先、ファッショナブルな街アントワープ。
ここに来る度にブログに書いているような気もしますが、ここの王立芸術学院を卒業した有名デザイナー6人を称して”アントワープ6”と言う言葉もありますが、マルタン・マルジェラここ発の有名ブランドですが、このレンガの建物がドリス・ヴァン・ノッテン。
この方はここの歴史的芸術家ルーベンス。
後ろはご存知、フランダースの犬のネロ少年が天に召された地。
以前この教会の前にあった悲壮感あるネロ少年の銅像は撤去。。 現在あるのは、ちょっとかわいいモダンアート的なネロ少年とパトラッシュであろうモニュメント。
これでいいのか??
”アントワープ”の語源にもなっている英雄ブラボーのモニュメント。
悪行を働いていた巨人アンディゴーンを成敗したブラボーが、その巨人の手を切り落として川へ投げ捨てたという伝説から、"Hand + Werpen(投げる)”=Antwerpenとなったそうです。
足元には横たわる腕を切られた巨人。
St. Charles Borromeo Church。
1626年に完成した教会ですが、その建設に当たってルーベンスが2つの祭壇画を描いて、天井画も彼がデザインし、ヴァンダイクなども参加して作られますが、残念ながら1718年に雷が落ちて火災が発生、内装は失われてしまったそうです。
St. James' Church。
ルーベンスが結婚式を挙げ、埋葬されている教会。 サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼の教会でもあります。
歴史は13世紀に遡り、内装は豪華。
アントワープがヨーロッパの需要都市であった時代に建設が始まりますが、16世紀も半ばに差し掛かると経済が衰退し、建物は当初の計画よりも縮小されてしまいます。
この教会はアントワープで唯一略奪被害を逃れた建物だそうなのですが、ステンドグラスなどは第二次世界大戦の際に破壊されてしまいました。
当時のステンドグラスの一部は展示されています。
ルーベンスの墓所。
祭壇に飾られているOur Lady with Saintsはルーベンス自身の描いたもので、墓所は彼の死後5年後に完成したそうです。
この絵の中の聖ジョージは、ルーベンス自身を描き込んだと信じられているそうです。
このキリストの降架のレリーフも、壁いっぱいの大きなもの。
以前にも来ていますが、マイヤー・ファン・デン・ヴェルグ美術館。
ここは美術品の収集家であった貴族のフリッツ・マイヤー・ファン・デン・ヴェルグのコレクションが展示してあるのですが、現在王立美術館が改装中な為、そこのコレクションも展示してあります。
ここのコレクションで一番有名なのは1561年に描かれた"Mad Meg(悪女フリート)"と呼ばれるブリューゲルの奇々怪々な作品。
この作品の経緯や意味などの詳細は知られていないそうなのですが、フリートは地獄の手前で略奪などをするキャラクターとして描かれているそうなのですが、大きく口を開けている怪物が地獄の入り口だそうです。
450年以上前に色んな怪物を想像して描かれていて、絵本的な面白さもあるし、日本の地獄絵巻的なおどろおどろしさも。
しかし、キャラクターがどれも愉快な感じ。
圧倒的なインパクトと異彩を放つ絵画は、15世紀のフランスの画家ジャン・フーケ”による”ムランの聖母子”。
1450年頃に祭壇画として描かれた2面のうちの1面で、もう一方はベルリンの絵画館に所蔵されています。
まるでフィフス・エレメントに出て来そうな雰囲気ですが、青白い肌の浮き出してきそうな聖母子像の後ろには赤と青の天使。
今現在見ても、圧倒的なインパクトとモダンさに驚きますが、570年前の人は、薄暗く冷たい教会の祭壇に掲げられたこの作品をどんな気持ちで眺めていたのでしょうか?
1558年に描かれた、ブリューゲルの12のことわざと言う作品。
月におしっこって、どんなことわざだ?
17世紀の初めに描かれたブリューゲルの作品を、息子のブリューゲル2世が模写した”ベツレヘムの人口調査”。
フランドルの農村でハプスブルク家によって人口調査が行われて、税金の徴収がされている様子だそうで、中央でロバに乗っているのがマリア、のこぎりを使っているのが大工のヨセフを表しているそうです。
当時の村での様子も生き生きと描かれていて、これも一冊の絵本を読んでいるかのよう。
ブリューゲル2世は5歳で父のブリューゲルを亡くしていますが、こうした父の模写も沢山残しています。
ここに来る度にブログに書いているような気もしますが、ここの王立芸術学院を卒業した有名デザイナー6人を称して”アントワープ6”と言う言葉もありますが、マルタン・マルジェラここ発の有名ブランドですが、このレンガの建物がドリス・ヴァン・ノッテン。
この方はここの歴史的芸術家ルーベンス。
後ろはご存知、フランダースの犬のネロ少年が天に召された地。
以前この教会の前にあった悲壮感あるネロ少年の銅像は撤去。。 現在あるのは、ちょっとかわいいモダンアート的なネロ少年とパトラッシュであろうモニュメント。
これでいいのか??
”アントワープ”の語源にもなっている英雄ブラボーのモニュメント。
悪行を働いていた巨人アンディゴーンを成敗したブラボーが、その巨人の手を切り落として川へ投げ捨てたという伝説から、"Hand + Werpen(投げる)”=Antwerpenとなったそうです。
足元には横たわる腕を切られた巨人。
St. Charles Borromeo Church。
1626年に完成した教会ですが、その建設に当たってルーベンスが2つの祭壇画を描いて、天井画も彼がデザインし、ヴァンダイクなども参加して作られますが、残念ながら1718年に雷が落ちて火災が発生、内装は失われてしまったそうです。
St. James' Church。
ルーベンスが結婚式を挙げ、埋葬されている教会。 サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼の教会でもあります。
歴史は13世紀に遡り、内装は豪華。
アントワープがヨーロッパの需要都市であった時代に建設が始まりますが、16世紀も半ばに差し掛かると経済が衰退し、建物は当初の計画よりも縮小されてしまいます。
この教会はアントワープで唯一略奪被害を逃れた建物だそうなのですが、ステンドグラスなどは第二次世界大戦の際に破壊されてしまいました。
当時のステンドグラスの一部は展示されています。
ルーベンスの墓所。
祭壇に飾られているOur Lady with Saintsはルーベンス自身の描いたもので、墓所は彼の死後5年後に完成したそうです。
この絵の中の聖ジョージは、ルーベンス自身を描き込んだと信じられているそうです。
このキリストの降架のレリーフも、壁いっぱいの大きなもの。
以前にも来ていますが、マイヤー・ファン・デン・ヴェルグ美術館。
ここは美術品の収集家であった貴族のフリッツ・マイヤー・ファン・デン・ヴェルグのコレクションが展示してあるのですが、現在王立美術館が改装中な為、そこのコレクションも展示してあります。
ここのコレクションで一番有名なのは1561年に描かれた"Mad Meg(悪女フリート)"と呼ばれるブリューゲルの奇々怪々な作品。
この作品の経緯や意味などの詳細は知られていないそうなのですが、フリートは地獄の手前で略奪などをするキャラクターとして描かれているそうなのですが、大きく口を開けている怪物が地獄の入り口だそうです。
450年以上前に色んな怪物を想像して描かれていて、絵本的な面白さもあるし、日本の地獄絵巻的なおどろおどろしさも。
しかし、キャラクターがどれも愉快な感じ。
圧倒的なインパクトと異彩を放つ絵画は、15世紀のフランスの画家ジャン・フーケ”による”ムランの聖母子”。
1450年頃に祭壇画として描かれた2面のうちの1面で、もう一方はベルリンの絵画館に所蔵されています。
まるでフィフス・エレメントに出て来そうな雰囲気ですが、青白い肌の浮き出してきそうな聖母子像の後ろには赤と青の天使。
今現在見ても、圧倒的なインパクトとモダンさに驚きますが、570年前の人は、薄暗く冷たい教会の祭壇に掲げられたこの作品をどんな気持ちで眺めていたのでしょうか?
1558年に描かれた、ブリューゲルの12のことわざと言う作品。
月におしっこって、どんなことわざだ?
17世紀の初めに描かれたブリューゲルの作品を、息子のブリューゲル2世が模写した”ベツレヘムの人口調査”。
フランドルの農村でハプスブルク家によって人口調査が行われて、税金の徴収がされている様子だそうで、中央でロバに乗っているのがマリア、のこぎりを使っているのが大工のヨセフを表しているそうです。
当時の村での様子も生き生きと描かれていて、これも一冊の絵本を読んでいるかのよう。
ブリューゲル2世は5歳で父のブリューゲルを亡くしていますが、こうした父の模写も沢山残しています。
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