絵の通りの美しい街並みを今に残していますが、市庁舎と新教会のあるマルクト広場は映画“真珠の耳飾りの少女”にも出てくる通り、そのままの風景です。 映画を見たことのない人はちょっと暗いノン・フィクションですがここの雰囲気がよく出ていると思います。
この市庁舎は17世紀の火災の後に再建されていますが、塔の部分は14世紀の建築です。
高さ108.75メートルの塔を持つ新教会。 1381年の建造で、内部には現在のオランダ王室オラニエ家(=ナッサウ家)の人々が埋葬されています。
”マルクト広場”。
新教会の内部は大変明るく、天井はすっきりと木製です。
これが中央にあるオラニエ家のオランダ独立国家の事実上の初代君主ウィレム1世の棺です。
在位は1572年ー1584年。 彼は1584年7月10日、このすぐ近くの居館プリンセンホフで銃で暗殺をされるのですが、その弾痕は現在でも残っています。
広場にはデルフト焼や木靴、チューリップの置物などお土産屋、カフェなどが並んで華やかです。
ここの骨董屋さんには昔のデルフト焼のタイルなども置いてあって、奥からかわいいのを見付けたので2点購入。 これでセビリアから始まったタイル購入にもピリオドです。
オランダと言えば凍った水路や池でスケートをするイメージですが、これ19世紀のスケートだそうです。
旧教会。 13世紀から15世紀にかけて建造されていますが、実はこの塔かなり傾いています。
床はお墓だらけなのですが、どれも贅をこらした彫刻が施してあって、上を歩くのが気が引けます。 ステンドグラスの明かりが7色の影を落としています。
フェルメールのお墓。
あまりチューリップは見ないのですが、今は水仙が満開。 どこを歩いていても無数の水仙が咲いています。
街から20分ほど歩いてきたのがこの"Delft Pauw"。
デルフトには現在大きく2つのデルフト焼の工房があるのですが、一番古いのが"Royal Delft"で、17世紀からの製法を今に伝えています。 そしてこの小さな一軒家の工房がDelft Pauwで、歴史は古くはないものの、ここも大変美しい作品を作っています。
中はガイド付きで見学をさせてもらえるのですが、行った時は自分一人だったのでのんびり色々と詳しく説明をしてくれました。
窯は日本の様な伝統的な窯ではなく、普通に電気の小さな窯でした。 しかもこの大きさの窯が2つだけと小規模です。 その分大変丁寧に製作されています。
型も沢山並んでいます。
作り方はほぼポルトガルのそれと同じ製法をたどっていました。
このデルフト焼は、17世紀初頭に大変人気の高かった白地に青という中国陶器をオランダ風に再現したもので、そこにはやはりマヨリカ焼の技術も影響しているようです。 17世紀には先日も書いたとおりポルトガルのタイル産業を脅かすほど輸入されたくらい発展したようですね。
この日絵付けをされていたWeemhoffさん。 このボールで3時間程度で絵付けをするそうで、大変美しいオランダの風景を描かれていました。 会社には8人の絵付けをする人と、後在宅で10人絵付けをしている人がいるそうです。 この方は45年のキャリアがあって、その絵付けはまるで水彩画です。 どの作者よりこの方の作品がずば抜けて美しく、大きな作品やタイルは買えないものの、自分の作品に書くサインと風車の絵を紙に書いて渡してくれました。
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