セビリアからバスで6時間。
いつも心の片隅にある街”リスボン”。 戻ってきました。
ずーっと昔から日本とは関わりに深い国ですが、自分も前世でここにいたのかなぁ・・・。 そんな懐かしさをあちこちで感じるポルトガル。
街中のどんな細い路地までもが、この白い石のブロックで覆われているのですが、これ、今でも全て手作業で埋めていっています。 この石畳はブラジルでも同じものが見ることが出来ますが、これだけの石を切り出して割って埋め込んだ時間と労力は想像を絶します。
先日NHKの歴史秘話ヒストリアのリスボン特集を見ていて知ったのですが、ここは世界で始めての地震防災都市なんですね。
1755年11月1日に衝撃的なリスボン大地震が起こって、当時27万人以上あった人口のうち、最大9万の人命が、地震と津波の犠牲になりました。 当時のリスボンはヨーロッパでも最大規模の都市であったので、その衝撃は大きかったようです。
坂道に密集して建てられていた建物は整備され、ここロシオ広場など避難場所も整備、この周辺、同じ形の建物が並んでいるのですが、それは復興を早く進めるため、全ての材料が同じ寸法になるように形を揃えたそうです。
建物の屋根を見ても分かる通り、建物は繋がっているのですが、窓3つごとに防火壁が作られていて、延焼を防ぐように設計されています。 250年前からそのままこの防火壁は使用されています。
ポルトガルと言えばパステル・デ・ナタことエッグタルト。 ジェロニモス修道院で修道女が作っていたのが始まりだそうですが、これを初めて売り出したお店のパステル・デ・ベレンはいつも人でいっぱい。 どこのカフェでも大量に売っていますが、どこで食べてもカスタードがべっとりした感じで甘い! 個人的には香港に伝わったこれの方が好き。
コメルシオ広場へ。
ここはもともとはリベイラ宮殿のあった場所ですが、地震と津波によって崩壊。 その後は避難場所も兼ね備えた広場として整備されています。
坂道だらけのリスボンには路面電車が必需品。
リスボンの市街地の西側の丘の上にあるサン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台。 日暮れ時、オレンジ色の町並みが、さらにオレンジに染まります。
今回も"Instituto dos Vinhos do Douro e Porto"へ。 次の日にはポルトへ一泊二日旅行へ行く予定だったので、お勧めのワイナリーなどの情報も欲しかったので立ち寄ってみたのですが、そういうインフォメーションを手に入れることはここでは出来ませんでした。
夜の街の景色も幻想的。
次の日、オリエンテの駅からポルトに向けて出発。 2時間半の道のりです。
リスボンからは北へ300キロ。 ローマ帝国時代には”ポルトゥス・カレ(カレの港)”と呼ばれていて、これがポルトガルの語源になっています。
街の中心をドロウ川が流れていて、北側が旧市街で、南側にポルト・ワインのワイナリーが集まっています。
酒屋さんにはポルト・ワインがぎっしり。
ドロウ川の周辺は大変気持ちのいいレストランが並んでいて、のんびりとした時間が流れています。
家の壁には色とりどりのタイルが貼られていてとってもカラフル。 雰囲気がチリのバルパライソに似た感じ。
上を電車、下を車の走る、ドロウ川に架かるドン・ルイス一世橋。
丘の上に見えるのはノッサ・セニョーラ・ド・ピラール修道院。
南側に渡るとすぐにワイン屋さんとワイナリーが並びます。
まずどこに行こうかと考えていたのですが、ここKOPKEはよくロゴを見ていたので、ランチも抜いたまま入店。 知識無しで入っていたのですが、ここがポルトで一番古いワイナリーで、創業は1638年。
ここのワイナリーは別の場所にあるのですが、そこの見学は出来ない為、こちらでテイスティングが出来るようになっています。
こんな静かでオシャレな2階でテイスティング。
1976年。 生まれ年のイヤー・ボトル。 結局このボトルを友達の分も含めて2本購入することに・・・。 出費だったぁ・・・。
ポルトワインの知識の薄いまま入ったのですが、ここでは詳細に説明をしてくれて、ワイナリー巡りの初めに来るのには最適でした。
もともと14世紀中頃からこの辺りでは作られていたそうですが、世に知られるようになったのはイギリスとフランスの戦争がきっかけ。 それまでイギリス人はフランスからワインを購入していたのですが、中世になって両国が戦争を始めた為に、イギリスはフランスからワインを買うことが出来なくなりました。 そこでポルトガルから購入することにしたのですが、これは船でここの港からイギリスに運ぶ際、ワインの品質が落ちることが問題になったそうで、そこでこの強化ワインを輸出したところ人気になったそうです。
ポルトワインは、発酵中のワインにブランデーを加えることによってその酵母の働きを止めることによって、独特の甘みと味が生まれるのですが、そのワインが作られているのはドロウ川の上流で、それがすべてここに運ばれて来てポルトワインが生産されます。
ここではそのワインもテイスティング出来て、赤も白も大変軽くて飲みやすかったです。
白のポルトワインは食前酒、赤は食後のデザート・ワインとして飲むのが一般的。
ここではワイン1つ1つに食べ合わせるクラッカーやチョコレートも大量に出してくれます。
スペインのヘレスで生産されるシャリー酒も似たような製法ですが、以前ヘレスを訪ねた時のブログに書いた通り、シェリーは年毎の樽を重ねて、上から下へ混ぜつつ味を平均化するので、どれも同じ味になるのですが、このポルトワインは年毎のボトルもあるし、ヴィンテージと呼ばれる、10年に3度ほどある葡萄の当たり年のみ作られる、発酵を止めていないボトルも作られます。 ポルトワインは蓋を開けても変質しにくく、一般的には3ヶ月くらいは美味しく飲めるそうなのですが、このヴィンテージはすぐに飲んでしまわないと、次の日にはヴィネガーになってしまうそうです。
10年、20年、40年ものは大きな樽で熟成されたもので、平均的にそれくらい置いた樽のものをブレンドして作るそうです。
年数を重ねたほうが味も格段にまろやかになるし、とろっとした口当たりになります。 個人的には10年物くらいの、しっとりとした口当たりの中にもちょっとした若い刺激の残ったものが好みだったかな。
空腹に大量にアルコールを投入したので、KOPKEを出たときにはいい感じ。。。
KOPKEのすぐ隣にある、同会社のCALEMのワイナリー見学の予約をしたのですが、それまでに多少時間があったので、すぐ近くにある大手のSANDEMANへ。
ヘレスには大きなシェリー酒のワイナリーもありますが、1790年にロンドンにシェリー酒とポルトワインの貿易会社を作ったのが始まりです。
独特の甘い匂いと樽の木の匂い、土蔵の奥のような土臭さ、薄暗さと言い、なんとも心落ち着く空間。。。
ヴィンテージ・ボトルはこの作の中で歳を重ねています。
床も調湿の為に、樽と同じくオーク材が使われています。
一巡りした後はテイスティング。 朝からパン1つ以外は胃にはアルコールのみしか入っていない・・・。
立て続けに先ほど予約を入れておいたCALEMへ。
1859年創業のこちらの会社のワイナリーも、なかなか年季が入っていていい雰囲気。
ここの空間も大変居心地がよくて、いつまでもこの香りを嗅いでいたいくらい。
すでに飲みきれないくらい飲んでいるはずなのに、この甘みに誘われて、ついつい飲み干してしまいます・・・。
今回も旅の道連れにしているたくちゃん。 酒が回って奇行に走ってます。。
ドロウ川の岸に座って、夕暮れ時まで風に吹かれている気持ちのよさ。
これ以上に贅沢な時間はないねぇ。
KOPKEとCALEMは隣同士。
再び歩いて旧市街へ。 丘の上の宿まで頑張って坂道を登ります。
今回お世話になった宿、格安なのにとっても綺麗で清潔で、スタッフもとっても親切で、色々な情報をくれました。 部屋も広いしオシャレで、バルコニーからの雰囲気もとってもよかったです。
http://www.thepoetsinn.com/hostel.php?lang=en
その宿で教えてもらったおススメのレストラン”ZE BOTA"へ。 もうお腹はぺこぺこ・・・。
お店はポルトのワインがいっぱい。 食事も大変美味しかったです。
壁にはお客さんがワインのボトルの箱にサインをしたものが貼られているのですが・・・
店員さんが、自分たちの分も貼らせてくれました! 写真付きで、結構目立つところに貼ってあります。 http://www.zebota.com.pt/
宿のすぐ裏、聖クレゴリオ教会の塔。 この塔は街のどこからでも見えるランドマーク的存在。
いい雰囲気でしょ?
次の日、心地のいい部屋でぐっすりと休んだら観光開始。
まずは宿のすぐ裏の”クレリゴス教会”。 この教会の塔は75.6メートルあって、1754年から1763年に掛けてローマ・バロック様式の影響を受けて建てられています。
教会は18年の歳月を掛けて、当時この辺りで活躍していたイタリア人建築家によって1750年に完成しました。
祭壇は多彩色の大理石で造られていて、大変壮麗なものです。 まるで亀の甲羅の様にも見える天井も印象的です。
225段の細く長い螺旋階段を登り詰めた先にはこの景色が待っています。
趣のある橙色の屋根が並びます。
教会からも程近い、イギリスの新聞で世界で3番目に美しいと言われた本屋さん”レロイ・イ・イルマオン”。
まるでチャペルの様なその店内。 すぐに目に飛び込んでくるのはこの朱色の絶妙な曲線を描く中央の階段。 ”天国への階段”とも呼ばれているそうで、世界遺産にも登録されています。
2階には小さいながらもカフェも併設されているので、本に囲まれてのんびりコーヒーもいいかも。
ふと立ち寄った雑貨屋さん"A Vida Portuguesa"。 どうやら名の知れたお店だったようなのですが、内装もさることながら、置いてある雑貨がなんとも味があって最高! ここに家があったら買いまくっていたと思う。
http://www.avidaportuguesa.com/
ポルトの中央駅サン・ベント駅。 ここがなぜ有名かというと・・・
このホールの見事なアズレージョ。
1900年に建設された鉄道駅で、ポルトの歴史を描いた2万枚のアズレージョは1930年に製作されたものです。 見事な作品ですが、この陶磁器の白と藍、日本人にはとってもしっくりと来る色合いなんです。
ここは川にも近いサン・フランシスコ教会。
ここでフランチェスコ会が設立されたのは13世紀のこと。 建物はゴシック様式で1425年に建設されたのですが、その後17世紀から18席にかけて金箔を貼った木工細工が施されるようになり、もともとのゴシックな内装は隠されてしまいます。
教会内部は撮影禁止だったので、残念ながら写真は載せられませんが、入り口を入ったとたんに迫ってくる豪華絢爛で細密な彫刻群は圧巻です。
現在ポルトガルでのバロック期の内部装飾の傑作と言われているそうです。
ランチまではもう少し時間があったので、ドロウ川の淵に座って、心地のいい風に吹かれました。
ランチではポルト名物フランセジーニャ(Francesinha)を食べることに。
かなりヘビーでボリュームたっぷりのこの食べ物は、ここポルト発祥で、ハムやチーズのサンドイッチ。 決め手はこのトマトベースのソースだそうで、店それぞれで味が違うんだとか。
女の子のだと1つ全部は食べられないのでは・・・?と思うくらいの重さで、しかしソースがなんとも美味しく、結局1つ平らげてしまいました。
今日は橋の上を歩くべく、ドン・ルイス橋の上部までケーブルカーで移動。
下からの眺めでも十分に美しいのですが、やはり、上からの眺めは最高!!
長細いワイナリーの屋根が並びます。
時々雨の振る中急な坂道を登って登って、やっとのことで今日1番目のワイナリー、大手の"Taylor's"へ。 ここはワイナリーツアーでも人気と評価の対藍どころ。
ここは調湿をねらって砂利が敷いてあります。
ここも甘く土くさく、落ち着く香りの場所
英語のツアーで回ると時間的に都合が悪かったので、結局フランス語のツアーに参加。。。 説明は右から左だったのですが、ここには各種言語で書かれた、なかなか詳しいパンフレットもあるの、それを見ながら歩けば、分かりやすいです。
旅行サイトでも、ここの評価は随分と高いです、
ツアーの後はもちろん試飲。 これだけポルトワインばかり飲み続けていると、だんだん味が大好きになってきました。
いっぱい7ユーロで、2011年のヴィンテージを試してみました。 これがボトルの中でも熟成していく当たり年のワイン。 まだ若さはあるものの、まろやかさと香りと舌触りが違うような気がしました。
次の試飲はこれまたポルトではメジャーな"Porto CRUZ"。 ここのロゴもポルトではあちこちで見かけます。
ここでも10年単位の大樽のものと、小さい樽の年毎のもののテイスティング。
結局これだけ飲み続けて感じたのは、10年物くらいがちょうど若さとまろやかさが混ざっていて好みだということ。 いやぁ・・・二日間飲みまくってました・・・。
そして夜にはリスボンへ。
部屋のバルコニーからの眺め。 南の方向にはブラジルのリオと同じく巨大なクライスト像が見えて、正面東側には丘の上のお城が見えます。 仕事が終わって帰ってからここのバルコニーに出て夜景を眺めていると、ポルトで嗅いでいた匂いと同じく、ほんのりと甘く芳醇な樽の発酵したような、ちょっと土臭い、なんとも言いようのない心地のよい匂いが漂ってきて、毎日シャワーの後に風に吹かれに出た時には、何度も何度も深呼吸してしまいました。
いつもこの教会の前を歩いていますが、日本人にも大変馴染みの深いサン・ロケ教会。
16世紀から18世紀にかけての美しい内装が残っていますが、1540年、はるばる日本へもやってきたフランシスコ・ザビエルもイエズス会から派遣されてここへやって来ました。
大変印象的な、美しい絵の描かれた木の天井があります。
1584年。 時代の流れに翻弄されて、数奇な人生を送ることになった天正遣欧少年使節がここを宿舎としました。 当時13~14歳であった4人の海を渡った少年使節。 アジア人なんていなかった、当時のヨーロッパのこの場所にいた日本人少年たちは、どんな気持ちでこの場所にいたのでしょう・・・。
壁は美しいアズレージョで装飾されています。
カルモ修道院。
中世に建てられたこの教会ですが、1755年のリスボン地震で崩壊。 現在でもそのままの姿で保存されている貴重な建物。
地震の際、街の85%は破壊されたそうで、地震で崩れなかった建物も火災で焼失しました。
グアテマラのアンティグアにも地震で崩壊した協会が保存されていますが、そこは柱も壁も大規模に崩壊していましたが、ここの教会は天井こそないものの、それ以外の部分は今でもしっかり建っていました。
250年前の惨事とは言え、当時の生々しさが伝わってきます。
一日午後には仕事が終わる日があったので、そのまま会場から国立アズレージョ博物館へ。
ここには以前も来ていますが、焼き物好きには何度訪れてもいい場所です。
ここはもともとが1509年に建てられたマドレ・デ・デウス修道院で、建築自体も大変素晴らしいものです。
アズレージョは、1503年にポルトガル王のマヌエル1世がスペインのセビリアを訪問して、そこでタイル装飾に魅せられた王がセビリアから輸入したものが始まり。。 この15世紀のタイルは先日行ったピラトの家でも見られる代表的なもの。
こちらのタイルもセビリアでは多く見られたものですが、15世紀はじめのものです。
セビリアでのタイルの発達はもちろんイスラム教の影響ですが、その技術はムーア人からもたらされています。 この美しい白と水色。 今ではとても再現できない味わいがあります。
シントラの宮殿でも見られるクエンカのタイル。
この時代のこの白と水色は大変味わいがあって魅力的です。
1580年作の聖アンドレ教会のアズレージョ。 すでにこの時代には多彩色の大作もあったようです。
いずれも17世紀前半のタイル。
博物館自体も大変美しいタイルに覆われています。
この部屋のタイルは、今の大統領公邸であるベレン宮殿にあったもの。 題材も大変ユニークで、こんなネコとねずみなんてのもあります。
18世紀前半のリスボンで作られたタイルですが、この頃にはオランダのデルフトを模したデザインも出ています。
18世紀中期のアレクサンダー大王を描いた作品。
まるで宮殿のような内装。 壁や天井を覆う絵画もさることながら、部屋中に施された彫刻も目を見張るばかり。
教会部分も大変神々しい空間です。
いづれも18世紀後期の作品。
今現在もタイルの保存修復は続きます。
リスボンには有名なアンティーク・タイルを取り扱うお店があるのですが、そこの店番のあばちゃんがなんとも失礼極まりない人で、そこはこのブログでは紹介しません。
リスボンで古いタイルを探している人は、ぜひこの"d'orey tiles"へ足を運んでみてください。
http://doreytiles.pt/wp/?lang=en
ここの店主は大変親切で、タイルに関しての知識も豊富で、色々と説明をしてくれます。 タイルの種類も豊富で、なんとここで、ずっと捜し歩いていたシントラの宮殿を飾っていたタイルと同じものを発見しました。
店内を物色していた際に、奥のほうに緑色の破片があって、店主に聞いたらその当時のものだとのこと。 完全なタイルはないかと訊ねたら、奥の引き出しから数枚出てきました! 実はそのタイルはこの建物にもともと貼ってあったらしく、建物を購入した際に一緒に手に入ったそうです。 ここでリスボン大地震を生き抜いたタイルですね。
これがそのタイル。
リスボン市内の地下鉄には、駅ごとにテーマの違うタイルで装飾されています。
電車に乗っていった先は、お城の裏側Martim Monizへ。
全く観光地でない、随分と下町な雰囲気の場所ですが、ここに来た目的は、最近雑誌などで話題になっているタイルのお店へ寄ること。
坂道を登ることしばらく、このアパートの下にあるのが"Cortico & Netos"。
http://corticoenetos.com/
おじいちゃんがタイルの販売をしていたと言う3兄弟が、そのおじいちゃんの遺したタイルを販売しているお店。 すでにもう製造されていない1950年代のタイルは、デザインがとっても斬新でモダン。 シンクや水周り製品も置いてありますが、とっても味のあるものばかり。
とっても気さくな店主で、宣伝したいからどんどん写真撮ってくれていいよ! と言うことなので、ご紹介。 世界各地でこのタイルを使って色々な作品を発表していますが、在庫がなくなったらそれまでなので、このタイルでバスルームを飾りたいと思う人はお急ぎ下さい! セットで海外発送もしてくれるそうです。
時間があったのでお城まで上がってみることに。 途中でこじんまりとした、気さくな夫婦のやっているカフェに立ち寄ったのですが、2,300年も経った古いビルのドアを入ると、こんなモダンなカフェが隠れているなんて、ヨーロッパの街の散策は飽きないですね。
街のどこからでも見える”サン・ジョルジュ城”。 ここに至るまでの坂道が一苦労! 実はここの近くまで上がれるエレベーターがあるのは後で気が付きました・・・。
ここの丘の歴史は紀元前6世紀までさかのぼって、初めて要塞となったのが紀元前2世紀のこと。
王宮となったのは1255年のこと。 14世紀に入るとフェルナンド1世が、リスボンを取り巻く5400メートルの城壁を造ります。 城はヴァスコ・ダ・ガマを歓待するときにも使われたそうです。
大変風が強いのですが、城壁に腰掛けて眺める景色はプライスレス!
16世紀はじめに新しい王宮が建設されると、このお城の意義が薄くなり、その後リスボン大地震で大きな被害を受けると城は重要視されなくなり、1940年代まで放置され続けたそうです。
いつも心の片隅にある街”リスボン”。 戻ってきました。
ずーっと昔から日本とは関わりに深い国ですが、自分も前世でここにいたのかなぁ・・・。 そんな懐かしさをあちこちで感じるポルトガル。
街中のどんな細い路地までもが、この白い石のブロックで覆われているのですが、これ、今でも全て手作業で埋めていっています。 この石畳はブラジルでも同じものが見ることが出来ますが、これだけの石を切り出して割って埋め込んだ時間と労力は想像を絶します。
先日NHKの歴史秘話ヒストリアのリスボン特集を見ていて知ったのですが、ここは世界で始めての地震防災都市なんですね。
1755年11月1日に衝撃的なリスボン大地震が起こって、当時27万人以上あった人口のうち、最大9万の人命が、地震と津波の犠牲になりました。 当時のリスボンはヨーロッパでも最大規模の都市であったので、その衝撃は大きかったようです。
坂道に密集して建てられていた建物は整備され、ここロシオ広場など避難場所も整備、この周辺、同じ形の建物が並んでいるのですが、それは復興を早く進めるため、全ての材料が同じ寸法になるように形を揃えたそうです。
建物の屋根を見ても分かる通り、建物は繋がっているのですが、窓3つごとに防火壁が作られていて、延焼を防ぐように設計されています。 250年前からそのままこの防火壁は使用されています。
ポルトガルと言えばパステル・デ・ナタことエッグタルト。 ジェロニモス修道院で修道女が作っていたのが始まりだそうですが、これを初めて売り出したお店のパステル・デ・ベレンはいつも人でいっぱい。 どこのカフェでも大量に売っていますが、どこで食べてもカスタードがべっとりした感じで甘い! 個人的には香港に伝わったこれの方が好き。
コメルシオ広場へ。
ここはもともとはリベイラ宮殿のあった場所ですが、地震と津波によって崩壊。 その後は避難場所も兼ね備えた広場として整備されています。
坂道だらけのリスボンには路面電車が必需品。
リスボンの市街地の西側の丘の上にあるサン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台。 日暮れ時、オレンジ色の町並みが、さらにオレンジに染まります。
今回も"Instituto dos Vinhos do Douro e Porto"へ。 次の日にはポルトへ一泊二日旅行へ行く予定だったので、お勧めのワイナリーなどの情報も欲しかったので立ち寄ってみたのですが、そういうインフォメーションを手に入れることはここでは出来ませんでした。
夜の街の景色も幻想的。
次の日、オリエンテの駅からポルトに向けて出発。 2時間半の道のりです。
リスボンからは北へ300キロ。 ローマ帝国時代には”ポルトゥス・カレ(カレの港)”と呼ばれていて、これがポルトガルの語源になっています。
街の中心をドロウ川が流れていて、北側が旧市街で、南側にポルト・ワインのワイナリーが集まっています。
酒屋さんにはポルト・ワインがぎっしり。
ドロウ川の周辺は大変気持ちのいいレストランが並んでいて、のんびりとした時間が流れています。
家の壁には色とりどりのタイルが貼られていてとってもカラフル。 雰囲気がチリのバルパライソに似た感じ。
上を電車、下を車の走る、ドロウ川に架かるドン・ルイス一世橋。
丘の上に見えるのはノッサ・セニョーラ・ド・ピラール修道院。
南側に渡るとすぐにワイン屋さんとワイナリーが並びます。
まずどこに行こうかと考えていたのですが、ここKOPKEはよくロゴを見ていたので、ランチも抜いたまま入店。 知識無しで入っていたのですが、ここがポルトで一番古いワイナリーで、創業は1638年。
ここのワイナリーは別の場所にあるのですが、そこの見学は出来ない為、こちらでテイスティングが出来るようになっています。
こんな静かでオシャレな2階でテイスティング。
1976年。 生まれ年のイヤー・ボトル。 結局このボトルを友達の分も含めて2本購入することに・・・。 出費だったぁ・・・。
ポルトワインの知識の薄いまま入ったのですが、ここでは詳細に説明をしてくれて、ワイナリー巡りの初めに来るのには最適でした。
もともと14世紀中頃からこの辺りでは作られていたそうですが、世に知られるようになったのはイギリスとフランスの戦争がきっかけ。 それまでイギリス人はフランスからワインを購入していたのですが、中世になって両国が戦争を始めた為に、イギリスはフランスからワインを買うことが出来なくなりました。 そこでポルトガルから購入することにしたのですが、これは船でここの港からイギリスに運ぶ際、ワインの品質が落ちることが問題になったそうで、そこでこの強化ワインを輸出したところ人気になったそうです。
ポルトワインは、発酵中のワインにブランデーを加えることによってその酵母の働きを止めることによって、独特の甘みと味が生まれるのですが、そのワインが作られているのはドロウ川の上流で、それがすべてここに運ばれて来てポルトワインが生産されます。
ここではそのワインもテイスティング出来て、赤も白も大変軽くて飲みやすかったです。
白のポルトワインは食前酒、赤は食後のデザート・ワインとして飲むのが一般的。
ここではワイン1つ1つに食べ合わせるクラッカーやチョコレートも大量に出してくれます。
スペインのヘレスで生産されるシャリー酒も似たような製法ですが、以前ヘレスを訪ねた時のブログに書いた通り、シェリーは年毎の樽を重ねて、上から下へ混ぜつつ味を平均化するので、どれも同じ味になるのですが、このポルトワインは年毎のボトルもあるし、ヴィンテージと呼ばれる、10年に3度ほどある葡萄の当たり年のみ作られる、発酵を止めていないボトルも作られます。 ポルトワインは蓋を開けても変質しにくく、一般的には3ヶ月くらいは美味しく飲めるそうなのですが、このヴィンテージはすぐに飲んでしまわないと、次の日にはヴィネガーになってしまうそうです。
10年、20年、40年ものは大きな樽で熟成されたもので、平均的にそれくらい置いた樽のものをブレンドして作るそうです。
年数を重ねたほうが味も格段にまろやかになるし、とろっとした口当たりになります。 個人的には10年物くらいの、しっとりとした口当たりの中にもちょっとした若い刺激の残ったものが好みだったかな。
空腹に大量にアルコールを投入したので、KOPKEを出たときにはいい感じ。。。
KOPKEのすぐ隣にある、同会社のCALEMのワイナリー見学の予約をしたのですが、それまでに多少時間があったので、すぐ近くにある大手のSANDEMANへ。
ヘレスには大きなシェリー酒のワイナリーもありますが、1790年にロンドンにシェリー酒とポルトワインの貿易会社を作ったのが始まりです。
独特の甘い匂いと樽の木の匂い、土蔵の奥のような土臭さ、薄暗さと言い、なんとも心落ち着く空間。。。
ヴィンテージ・ボトルはこの作の中で歳を重ねています。
床も調湿の為に、樽と同じくオーク材が使われています。
一巡りした後はテイスティング。 朝からパン1つ以外は胃にはアルコールのみしか入っていない・・・。
立て続けに先ほど予約を入れておいたCALEMへ。
1859年創業のこちらの会社のワイナリーも、なかなか年季が入っていていい雰囲気。
ここの空間も大変居心地がよくて、いつまでもこの香りを嗅いでいたいくらい。
すでに飲みきれないくらい飲んでいるはずなのに、この甘みに誘われて、ついつい飲み干してしまいます・・・。
今回も旅の道連れにしているたくちゃん。 酒が回って奇行に走ってます。。
ドロウ川の岸に座って、夕暮れ時まで風に吹かれている気持ちのよさ。
これ以上に贅沢な時間はないねぇ。
KOPKEとCALEMは隣同士。
再び歩いて旧市街へ。 丘の上の宿まで頑張って坂道を登ります。
今回お世話になった宿、格安なのにとっても綺麗で清潔で、スタッフもとっても親切で、色々な情報をくれました。 部屋も広いしオシャレで、バルコニーからの雰囲気もとってもよかったです。
http://www.thepoetsinn.com/hostel.php?lang=en
その宿で教えてもらったおススメのレストラン”ZE BOTA"へ。 もうお腹はぺこぺこ・・・。
お店はポルトのワインがいっぱい。 食事も大変美味しかったです。
壁にはお客さんがワインのボトルの箱にサインをしたものが貼られているのですが・・・
店員さんが、自分たちの分も貼らせてくれました! 写真付きで、結構目立つところに貼ってあります。 http://www.zebota.com.pt/
宿のすぐ裏、聖クレゴリオ教会の塔。 この塔は街のどこからでも見えるランドマーク的存在。
いい雰囲気でしょ?
次の日、心地のいい部屋でぐっすりと休んだら観光開始。
まずは宿のすぐ裏の”クレリゴス教会”。 この教会の塔は75.6メートルあって、1754年から1763年に掛けてローマ・バロック様式の影響を受けて建てられています。
教会は18年の歳月を掛けて、当時この辺りで活躍していたイタリア人建築家によって1750年に完成しました。
祭壇は多彩色の大理石で造られていて、大変壮麗なものです。 まるで亀の甲羅の様にも見える天井も印象的です。
225段の細く長い螺旋階段を登り詰めた先にはこの景色が待っています。
趣のある橙色の屋根が並びます。
教会からも程近い、イギリスの新聞で世界で3番目に美しいと言われた本屋さん”レロイ・イ・イルマオン”。
まるでチャペルの様なその店内。 すぐに目に飛び込んでくるのはこの朱色の絶妙な曲線を描く中央の階段。 ”天国への階段”とも呼ばれているそうで、世界遺産にも登録されています。
2階には小さいながらもカフェも併設されているので、本に囲まれてのんびりコーヒーもいいかも。
ふと立ち寄った雑貨屋さん"A Vida Portuguesa"。 どうやら名の知れたお店だったようなのですが、内装もさることながら、置いてある雑貨がなんとも味があって最高! ここに家があったら買いまくっていたと思う。
http://www.avidaportuguesa.com/
ポルトガルのどこに行っても見かけるのがこのツバメ。 なぜツバメかは諸説あるようなのですが、結局はかわいいからのようです・・・。 ツバメは群れでは飛ばないけど、こうやって沢山並べるといい感じ。
ポルトの中央駅サン・ベント駅。 ここがなぜ有名かというと・・・
このホールの見事なアズレージョ。
1900年に建設された鉄道駅で、ポルトの歴史を描いた2万枚のアズレージョは1930年に製作されたものです。 見事な作品ですが、この陶磁器の白と藍、日本人にはとってもしっくりと来る色合いなんです。
ここは川にも近いサン・フランシスコ教会。
ここでフランチェスコ会が設立されたのは13世紀のこと。 建物はゴシック様式で1425年に建設されたのですが、その後17世紀から18席にかけて金箔を貼った木工細工が施されるようになり、もともとのゴシックな内装は隠されてしまいます。
教会内部は撮影禁止だったので、残念ながら写真は載せられませんが、入り口を入ったとたんに迫ってくる豪華絢爛で細密な彫刻群は圧巻です。
現在ポルトガルでのバロック期の内部装飾の傑作と言われているそうです。
ランチまではもう少し時間があったので、ドロウ川の淵に座って、心地のいい風に吹かれました。
ランチではポルト名物フランセジーニャ(Francesinha)を食べることに。
かなりヘビーでボリュームたっぷりのこの食べ物は、ここポルト発祥で、ハムやチーズのサンドイッチ。 決め手はこのトマトベースのソースだそうで、店それぞれで味が違うんだとか。
女の子のだと1つ全部は食べられないのでは・・・?と思うくらいの重さで、しかしソースがなんとも美味しく、結局1つ平らげてしまいました。
今日は橋の上を歩くべく、ドン・ルイス橋の上部までケーブルカーで移動。
下からの眺めでも十分に美しいのですが、やはり、上からの眺めは最高!!
長細いワイナリーの屋根が並びます。
時々雨の振る中急な坂道を登って登って、やっとのことで今日1番目のワイナリー、大手の"Taylor's"へ。 ここはワイナリーツアーでも人気と評価の対藍どころ。
ここは調湿をねらって砂利が敷いてあります。
ここも甘く土くさく、落ち着く香りの場所
英語のツアーで回ると時間的に都合が悪かったので、結局フランス語のツアーに参加。。。 説明は右から左だったのですが、ここには各種言語で書かれた、なかなか詳しいパンフレットもあるの、それを見ながら歩けば、分かりやすいです。
旅行サイトでも、ここの評価は随分と高いです、
ツアーの後はもちろん試飲。 これだけポルトワインばかり飲み続けていると、だんだん味が大好きになってきました。
いっぱい7ユーロで、2011年のヴィンテージを試してみました。 これがボトルの中でも熟成していく当たり年のワイン。 まだ若さはあるものの、まろやかさと香りと舌触りが違うような気がしました。
行く場所全て石畳の坂道ですが、この坂道ならではの美しい景観に癒されます。
雨模様だったので足が滑らないかちょっと用心しつつ坂を下ります。次の試飲はこれまたポルトではメジャーな"Porto CRUZ"。 ここのロゴもポルトではあちこちで見かけます。
ここでも10年単位の大樽のものと、小さい樽の年毎のもののテイスティング。
結局これだけ飲み続けて感じたのは、10年物くらいがちょうど若さとまろやかさが混ざっていて好みだということ。 いやぁ・・・二日間飲みまくってました・・・。
そして夜にはリスボンへ。
部屋のバルコニーからの眺め。 南の方向にはブラジルのリオと同じく巨大なクライスト像が見えて、正面東側には丘の上のお城が見えます。 仕事が終わって帰ってからここのバルコニーに出て夜景を眺めていると、ポルトで嗅いでいた匂いと同じく、ほんのりと甘く芳醇な樽の発酵したような、ちょっと土臭い、なんとも言いようのない心地のよい匂いが漂ってきて、毎日シャワーの後に風に吹かれに出た時には、何度も何度も深呼吸してしまいました。
いつもこの教会の前を歩いていますが、日本人にも大変馴染みの深いサン・ロケ教会。
16世紀から18世紀にかけての美しい内装が残っていますが、1540年、はるばる日本へもやってきたフランシスコ・ザビエルもイエズス会から派遣されてここへやって来ました。
大変印象的な、美しい絵の描かれた木の天井があります。
1584年。 時代の流れに翻弄されて、数奇な人生を送ることになった天正遣欧少年使節がここを宿舎としました。 当時13~14歳であった4人の海を渡った少年使節。 アジア人なんていなかった、当時のヨーロッパのこの場所にいた日本人少年たちは、どんな気持ちでこの場所にいたのでしょう・・・。
壁は美しいアズレージョで装飾されています。
カルモ修道院。
中世に建てられたこの教会ですが、1755年のリスボン地震で崩壊。 現在でもそのままの姿で保存されている貴重な建物。
地震の際、街の85%は破壊されたそうで、地震で崩れなかった建物も火災で焼失しました。
グアテマラのアンティグアにも地震で崩壊した協会が保存されていますが、そこは柱も壁も大規模に崩壊していましたが、ここの教会は天井こそないものの、それ以外の部分は今でもしっかり建っていました。
250年前の惨事とは言え、当時の生々しさが伝わってきます。
一日午後には仕事が終わる日があったので、そのまま会場から国立アズレージョ博物館へ。
ここには以前も来ていますが、焼き物好きには何度訪れてもいい場所です。
ここはもともとが1509年に建てられたマドレ・デ・デウス修道院で、建築自体も大変素晴らしいものです。
アズレージョは、1503年にポルトガル王のマヌエル1世がスペインのセビリアを訪問して、そこでタイル装飾に魅せられた王がセビリアから輸入したものが始まり。。 この15世紀のタイルは先日行ったピラトの家でも見られる代表的なもの。
こちらのタイルもセビリアでは多く見られたものですが、15世紀はじめのものです。
セビリアでのタイルの発達はもちろんイスラム教の影響ですが、その技術はムーア人からもたらされています。 この美しい白と水色。 今ではとても再現できない味わいがあります。
シントラの宮殿でも見られるクエンカのタイル。
この時代のこの白と水色は大変味わいがあって魅力的です。
1580年作の聖アンドレ教会のアズレージョ。 すでにこの時代には多彩色の大作もあったようです。
いずれも17世紀前半のタイル。
博物館自体も大変美しいタイルに覆われています。
この部屋のタイルは、今の大統領公邸であるベレン宮殿にあったもの。 題材も大変ユニークで、こんなネコとねずみなんてのもあります。
18世紀前半のリスボンで作られたタイルですが、この頃にはオランダのデルフトを模したデザインも出ています。
18世紀中期のアレクサンダー大王を描いた作品。
まるで宮殿のような内装。 壁や天井を覆う絵画もさることながら、部屋中に施された彫刻も目を見張るばかり。
教会部分も大変神々しい空間です。
いづれも18世紀後期の作品。
今現在もタイルの保存修復は続きます。
リスボンには有名なアンティーク・タイルを取り扱うお店があるのですが、そこの店番のあばちゃんがなんとも失礼極まりない人で、そこはこのブログでは紹介しません。
リスボンで古いタイルを探している人は、ぜひこの"d'orey tiles"へ足を運んでみてください。
http://doreytiles.pt/wp/?lang=en
ここの店主は大変親切で、タイルに関しての知識も豊富で、色々と説明をしてくれます。 タイルの種類も豊富で、なんとここで、ずっと捜し歩いていたシントラの宮殿を飾っていたタイルと同じものを発見しました。
店内を物色していた際に、奥のほうに緑色の破片があって、店主に聞いたらその当時のものだとのこと。 完全なタイルはないかと訊ねたら、奥の引き出しから数枚出てきました! 実はそのタイルはこの建物にもともと貼ってあったらしく、建物を購入した際に一緒に手に入ったそうです。 ここでリスボン大地震を生き抜いたタイルですね。
これがそのタイル。
アズレージョ博物館の保証も付いた鑑定書も発行してくれます。
これが4年前に行ったシントラの宮殿の白鳥の間のタイル。 ちょっと写真で色合いが違いますが、この緑色がなんとも印象的でした。リスボン市内の地下鉄には、駅ごとにテーマの違うタイルで装飾されています。
電車に乗っていった先は、お城の裏側Martim Monizへ。
全く観光地でない、随分と下町な雰囲気の場所ですが、ここに来た目的は、最近雑誌などで話題になっているタイルのお店へ寄ること。
坂道を登ることしばらく、このアパートの下にあるのが"Cortico & Netos"。
http://corticoenetos.com/
おじいちゃんがタイルの販売をしていたと言う3兄弟が、そのおじいちゃんの遺したタイルを販売しているお店。 すでにもう製造されていない1950年代のタイルは、デザインがとっても斬新でモダン。 シンクや水周り製品も置いてありますが、とっても味のあるものばかり。
とっても気さくな店主で、宣伝したいからどんどん写真撮ってくれていいよ! と言うことなので、ご紹介。 世界各地でこのタイルを使って色々な作品を発表していますが、在庫がなくなったらそれまでなので、このタイルでバスルームを飾りたいと思う人はお急ぎ下さい! セットで海外発送もしてくれるそうです。
時間があったのでお城まで上がってみることに。 途中でこじんまりとした、気さくな夫婦のやっているカフェに立ち寄ったのですが、2,300年も経った古いビルのドアを入ると、こんなモダンなカフェが隠れているなんて、ヨーロッパの街の散策は飽きないですね。
街のどこからでも見える”サン・ジョルジュ城”。 ここに至るまでの坂道が一苦労! 実はここの近くまで上がれるエレベーターがあるのは後で気が付きました・・・。
ここの丘の歴史は紀元前6世紀までさかのぼって、初めて要塞となったのが紀元前2世紀のこと。
王宮となったのは1255年のこと。 14世紀に入るとフェルナンド1世が、リスボンを取り巻く5400メートルの城壁を造ります。 城はヴァスコ・ダ・ガマを歓待するときにも使われたそうです。
大変風が強いのですが、城壁に腰掛けて眺める景色はプライスレス!
16世紀はじめに新しい王宮が建設されると、このお城の意義が薄くなり、その後リスボン大地震で大きな被害を受けると城は重要視されなくなり、1940年代まで放置され続けたそうです。
ホテルの部屋のテラスからの景色。
南にジーザス、正面にお城を眺められて、夜仕事から帰ってシャワーを浴びたら、ここにポルト・ワインを持ち出してちびちびやるのは最高でした!!
リスボン大好きですね。
ツアーを残り2週間にして、今シーズン最後の日本人会。 ホテルから歩いて3分ほどの、一見レストランには見えないアパートのドアを入るとこんな素敵な空間が。。
今年も無事にこの時期を迎えられて感謝です。
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