満喫したリスボンを後に、マドリッドを経由して一路カナリア諸島の小島ラス・パルマスへ。
なかなかな長時間フライトの後、一夜をラス・パルマスで過ごしたら、次の日再びマドリッドを経由して、今度はロンドンへ・・・。 あぁ。。。フライト嫌いな自分には辛い・・・。
1週間のお休みがもらえたので、母をロンドンへ招いて観光三昧することに。
ついしばらく前までいたロンドンですが、すでにトータル数ヶ月を過ごしているロンドン、わざわざ観光に出掛けることも無くなっているので、これを機会に再びドメジャー観光地を巡ってきました。
年末年始に2週間もいたのに、一度もビッグ・ベンを見ていなかった・・・。日本からの長距離フライトの後だというのに、元気ハツラツ自分よりも早足で歩く母。 ウェストミンスター寺院やテムズ川周辺を散策。 夜はもちろんフィッシュ&チップス。
次の日、これは自分も大変楽しみにしていた今は亡き天才デザイナー”アレクサンダー・マックイーン”のエキシビジョン、数年前にNYのメトロポリタン美術館でも、歴史に残る大盛況振りを見せた"Savage Beauty"ですが、今年ここロンドンの”ヴィクトリア・アルバート博物館”でも行われることになりました。
15分ごとに入場が制限されていて、ここロンドンでも大盛況のようです。 館内は撮影禁止だったので、いくつかネットから拾って紹介。
マクイーンはあまりに鬼才だったために2010年にその命を絶ちますが、このエキシビジョンを見ると、その独創性に圧倒されます。 母の解説では、裁断縫製もかなりの技術を要するものばかりだそうで、とにかく圧巻なエキシビジョンでした。
さて、博物館の後は伝統の5つ星ホテル"The Dorchester Hotel"でのアフタヌーン・ティー。
今回、母の初のアフタヌーン・ティーということで、場所をどこにしようかと随分と迷った挙句ここに決めたのですが、ホテルの構えと内装はちょっと重いくらいに豪華。 しかし、そんなにウェルカムな雰囲気がない・・・。
と、席を案内されて目の前にあるティー・カップを見たら、あからさまなリップ・スティックの痕。。。 格式を売りにしているホテルではありえない話ですが、ウェイターに伝えたら軽く”あら!”と言って取り替えたもののお詫びも無し・・・。 紅茶の説明も適当だし、食べ物も美味しいけど普通・・・。
ロンドンでアフタヌーン・ティーをしたいと計画している人は、ここは全くおススメしません。
そこそこいい時間は過ごせましたが、金額とサービスが見合っていません。
そのまま歩いてバッキンガム宮殿を通ってセント・ジェームス・パークへ。
ここはかなりの種類の水鳥が沢山が泳いでいるので、散策するのもとっても楽しい場所。
先ほどのスコーンの余りをむさぼるリス。
空の色がなんとも怪しいコントラストをつくっています。 ここは騎兵連隊の建物。
ここでもガードの交代があります。
さて次の日、早くからDuck and Waffleでロンドン市外を展望しつつ朝食。 テムズ川まで散策。
母はセントポール寺院のドームの上まで登り、自分は入場料が高いので同行せずお茶。
その後大英博物館へ。
とりあえず見逃してはいけないメジャーな展示物を巡るものの、母はどこまで理解できたか?!
この日はダイアナさんも暮らしていたケンジントン宮殿へ。
ちょうどエリザベス女王やダイアナさんのドレスの展示が行われていたので、母にはぴったりでした。 ダイアナさんが訪日の際に来ていたドレスなどもあって、なかなか興味深かったです。 写真は若き日のエリザベス女王のドレス。
この日の夜はロンドンの中心、ピカデリーサーカスでその輝きを放つ5つ星ホテル、カフェ・ロイヤルでのディナーとキャバレー・ショー。
その名の通り、もともとはカフェで、フランスでワインの商人をしていたダニエル・ニコラスが、会社の倒産と同時にフランスを逃げ出してロンドンへ来て、ここで当時世界で一番と言われたワイン・セーラーをつくります。 1890年代にはロンドンで一番のホット・スポットになります。
古くはパトロンとしてオスカー・ワイルド、ウィンストン・チャーチル、エリザベス・テイラーやミック・ジャガー、ダイアナ元皇太子妃などもその名前を連ねています。
ここがヴェルサイユの鏡の間のような設えのオスカー・ワイルド・バーです。
ここでチャーチルが葉巻をくわえていた姿は容易に思い描くことが出来ます。
ディナーの後はここでキャバレー・ショーを見たのですが、バレスクや歌、マジックありの、雰囲気たっぷりの時間でした。
なんだかんだロンドンの市内から1時間近く時間のかかる、世界の中心グリニッジ。
言わずと知れた経度0度のグリニッジ子午線のある場所です。
大航海時代以降、方向の分からない海上での移動は大変で、緯度は星の位置関係で導き出すことが出来ても経度を探し出すことは大変だったようで、その経度差を計算するためにここグリニッジの平均時に合わせることが重要になったようで、その後1884年にはワシントンで、ここが本初子午線として採択され、標準時としたそうです。
ここが世界の中心線!
ところで時間の中心は決まったものの、時代はまだ天文時を使用していました。 これは日付が変わるのが正午で、紀元1世紀のローマの天文学者以来千数百年も慣用されていました。 それは天体の観測で重要な夜中に日付が変わると不都合だったわけで、1925年から深夜0時で日付の変わる常用時に変更されたそうです。 たった90年前の話ですが、それまでは日付が日中に変わっていたなんて・・・ 面倒くさい世の中だったんですね・・・。
小雨の降り続ける一日ですが、天気がよければ随分と気持ちがいいであろう緑の丘の上に天文台はあります。
そこからテムズ川を水上バスで移動してロンドン市内へ。 そこから天下のナショナル・ギャラリーへ。 最近ここのドキュメンタリーを映画にしたものが公開されていて、随分と興味深いので、美術館好きの人は是非見てみてください。
名作揃いのナショナル・ギャラリーですが、カラヴァッジョの作品も3点あります。
この”エマオの晩餐”は、キリストの弟子だったクレオパが、一緒に夕食を摂っていた人物が復活したキリストだと知った一瞬を描いたもの。 復活したキリストにしては湯上りのようにふっくりとした、女性的とも思えるキリストの姿。 思わず立ち上がりそうな手前の人物かいたりと、劇的な一瞬を描いています。
カラヴァッジョはサロメも2作品(知っている限りは)描いていますが、ヨハネの生首の絵も、ダビデのゴリアテの生首のも、全て同時期に描かれていて、これはナポリで襲撃事件に巻き込まれて頭部に重傷を負った後で、生首は彼の自画像だそうです・・・。 自分の死相を描くなんて・・・ どんな精神状態だったのやら・・・
これは初期のバッカスなどを描いていた時期の”トカゲに噛まれた少年”です。
からカラヴァッジョの複数の絵の中に登場する少年はどれも似ていると思いますが、これは当時16歳だった芸術家マリオ・ミンニーティが複数作のモデルとなっているからで、この作品は2点描かれています。 愛の痛みの可能性を描いているそうな・・・
エレガントで美しい作品、ボティッチェリの”ヴィーナスとマルス”。
愛を表すヴィーナスと軍神マルス。 フィレンツェのヴェスプッチ家の寝台の装飾画として依頼された絵だそうですが、モデルはヴィーナスがヴェスプッチ家のシモネッタで、マルスがメディチ家のジュリアーノとも言われているそうです。
そして一路、4時間のフライトでカナリア諸島のラス・パルマスへ舞い戻って1日休み。
旧市街へ散策に。 アフリカ大陸の横に位置する島ですが、1438年にスペイン領に統合されました。
コロンブスの家と呼ばれるこの建物は、かつては政庁として使われていた建物で、コロンブスも滞在したことがあるというもの。 今は新大陸発見やこの島の歴史についての博物館になっています。
ラス・パルマスの全体。 ビーチあり、砂漠ありと、自然の豊かな島です。
サンタ・アナ大聖堂。
16世紀から19世紀にかけて建設された大聖堂。
ホテルは島の端にあって、歩いて3分でビーチに出られます。
自分の部屋からの眺め。 大型クルーズ船がいくつも停泊する港。
円筒形の建物がホテルです。
ホテルの最上階の、毎日朝食を食べていたレストランからの眺め。
いつもこの景色を眺めながら朝ごはんを食べてました。
ブログのアップが大変遅れてしまったので、ラス・パルマスについては駆け足になってしまいました・・・ あしからず。
ロンドン経由で無事帰国。 6週間は日本へ滞在していましたが、急遽ブラジルに呼ばれて現在ブラジル滞在中。
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