メキシコでの一か月半の公演も終わりアメリカへ戻ってきました。
公演中は休みも少なく、休みの日には朝から晩まで動き回っていたので、ブログをアップする時間が全くありませんでした。
長いブログになりそうですが、色々と思い出しながら書き進めます。
羽田からシカゴを経由してメキシコ・シティーへ降りる頃には深夜前。 宝石を大地にばらまいたような街へ降りていきます。 久し振りのメキシコ公演、これから始まる1か月半のアドベンチャーにワクワクです。
午前2時頃にホテルにチェックインしたものの、次の日は朝からパンデミックで日本にいた一年半、ず~っとスペイン語の勉強を助けてくれていた友人とコヨアカンで待ち合わせ。 メキシコ・シティはかなり広大なのですが、メインとなるエリアが点々と離れています。 以前はぼったくりなタクシーか地下鉄での移動しかチョイスがありませんでしたが、現在は世界のどの町(日本以外)と同じく、ウーバーで楽々移動が出来るし、やはり安い!!
”コヨアカン”とはコヨーテのいる場所と言う意味で、工芸品宿を扱うマーケットがあったり、緑あふれる住宅街、カフェやレストランも並んでいて、フリーダ・カーロ、ディエゴ・リベラの夫婦をはじめとする芸術家や革命家などの愛したエリア。
メキシコの教会には、この体の部分などを表した小さな金属片”ミラグロ(ミラクル)”に祈りを込めて奉納してあるのがよく見られます。
フリーダ・カーロの家の壁にて。
フリーダはそのアイコニックな肖像画と数奇な人生でここ最近アンディ・ウォーホール並みの人気を博していますが、そのお陰か現在は予約がないとこの博物館にも入ることが出来ないし、すごい人。。
会場の”オーディトリオ・ナショナル“。
ここは大変思い出の深い場所で、自分が1999年に初めてディズニーに入って初舞台を踏んだ場所。 右も左も分からないままここからスタートしたのもとても懐かしい思い出です。
会場の正面がインターコンチネンタル・ホテルで、いつもここに長期滞在しますが、今回は初めてその隣のハイアット・リージェンシー。 こちらも大変素敵なホテルで快適な滞在となりました。
会場のバックステージ、コスチュームに着替えて氷に向かう途中にこの”グアダルーペの聖母”(詳しくはウィキを参照)がお祀りしてあって、日に何度も教会に行っている感じ。
リハーサルが夕方に終わってから友達と合流。 コロニア・ローマへ。
このエリアはお洒落なカフェやレストランなどが並ぶ、治安もいい住宅街で、日暮れ時、涼しい空気の中カフェテリアでする夕食は最高。
そのエリアにあるのが2018年に公開され、アカデミー賞をはじめ、数々の映画賞を獲った映画”ROMA"の舞台となった家。 ここは今でも人が住んでいて観光地でもないので、外からこっそり眺めるだけですが、それでもあの映画の独特な世界に入り込んだかのよう。
はじめの休日、この日は友人とメキシコ・シティの中心地”ソカロ”を散策。
この印象深い建物は”ベジャス・アルテス劇場”で、2000年には友達とここでメキシコの伝統舞踊を観に来たことがあります。 内部の装飾も豪華で、豪華なティファニーのステンドグラスがあったのを覚えています。
”青いタイルの家(Casa de los azulejos)”。
もともとはプエブラに住んでいたオリサバ侯爵が亡くなった後、夫人がプエブラ特産のタイルで装飾し始めたのが1737年。
外装はプエブラのタイルがほとんどだそうで、内装にはフランスのものや中国のものが使われているそうです。
現在は中庭部分に”Sanborns”と言うレストランが入っていて食事を楽しむことが出来ますが、友人曰くいい値段するけど味は普通と言うことだったので歩き回るのみ。
まるで建物自体が博物館のよう。
過去には装飾される前の建物に仙台藩から派遣された支倉常長の一行も滞在しています。
歴史を感じる素敵な建物です。
メキシコ・シティは月曜日はほぼ全ての美術館や博物館がお休み。。。
歩いていると個々の建物でスペインのキリスト教徒メキシコの関りについての展示があったので、無料と言うこともあって入場。
メキシコの中心地”ソカロ”。
ここはアステカの時代から集会場として使わて、現在でも国家行事、キリスト教の祭典が行われるなど大変重要な場所です。
ソカロの広場から奥に見えるのが”ラテンアメリカ・タワー”。
1956年に建設されて、長い間メキシコで一番高いビルでしたが、外から見ると古くちょっと頼りない建物に見えるのですが、1985年にメキシコ・シティを襲い、甚大な被害をもたらした大地震でも無傷だったというのは驚きです。
”メトロポリタン大聖堂”
中南米の教会はそこが元々の信仰の場所だったということもあって、古代の祭壇の上などに建てられたりしますが、ここもアステカ時代の神聖な場所で、1573年に建設が始まり、300年後に完成します。
1614年に支倉常長の使節団も訪問しています。
1864年にはハプスブルク家のマクシミリアン1世がメキシコ皇帝としてここで戴冠式を行う予定でしたが、情勢不安定な為に実行はされなかったそうです。 マクシミリアン1世はかのフランツ・ヨーゼフ1世の弟で、アメリカ合衆国が南北戦争の真っただ中にメキシコ貴族からの要請を受けメキシコへ渡ります。
マクシミリアンは、小さい頃から内向的な兄のフランツ・ヨーゼフと違い大変賢く社交的で大変な人気者で、自由主義思想を持った人だったようで、当時のメキシコは保守的なフランスのナポレオン三世と自由主義派との間で混乱が起きていて、マクシミリアンはフランスの要請を受けて自分の主義とは異なる思想のもとメキシコへ渡ります。
すでにオーストリアの皇帝となっていたフランツ・ヨーゼフ1世は、王位継承権のあるマクシミリアンがメキシコへ渡ることに反対をしますが、結局すべての王位継承権、オーストリアの皇族としての権利を放棄してまでメキシコ皇帝となります。
が、その後南北戦争を終えたアメリカ合衆国はマクシミリアンの即位に反対、自由主義勢力が優勢になり、もともと自由主義だったマクシミリアンと保守派は有効な関係を築けず、フランスもこれ以上メキシコの混乱に関わるのを嫌い撤退。 彼はメキシコ帝国軍と戦うこととなり、1867年彼は捕らえられ、6月9日に銃殺されます。
彼は銃殺される際、執行者に金貨をひと瓶渡し、母が自分の顔を見られるように頭は撃たないよう頼んだのだとか。。 彼の遺体はウィーンへと戻され埋葬されたそうです。
大聖堂のすぐ隣にあるのが”テンプロ・マヨール”。
アステカの中心都市だったテノチティトラン(現メキシコ・シティ)の巨大神殿。
すぐ隣が大聖堂。 現地の信仰とリンクさせるために、スペイン人はその上にカトリックの教会をよく建設していますが、ここの神殿も16世紀に破壊されていて、その後1978年に大規模な発掘が行われたそうです。
テンプロ・マヨールと現在の街の位置関係がよく分かります。
国立宮殿。
ここの内部にディエゴ・リベラの有名な壁画があり、以前はいつでもぷらっと入って見学することが出来たのですが、2018年から大統領官邸としてと使用されていて正面の入り口は閉ざされています。
横からパスポート持参で入ることは可能なようですが、月曜日には入れないのと、もう幾度か入ったことがあるので今回はパス。
メキシコの国章にも描かれる”サボテンに立つ蛇を咥えた鷲”は、アステカの民が首都を定めるために神から受けた神託で、200年彷徨い探し続けた末にここで発見!!
広場の中心ではアステカの踊りが続けられていました。
広場に面したところにあるのがこの、”世界の一度は泊まるべきホテル”にも名前が挙げられるグランド・ホテル。 もともとはデパートとして建設されたものをホテルとして改装した建物で、天井の豪華なステンドグラスやエレベーターも全て当時フランスから運んで来たものです。
全てのピースをフランスから運んできて組み立てたんだとか。
自分たちはポランコの贅沢なホテルに泊まらせてもらっているのですが、この日の休みはここで過ごすことに。 広い角部屋からはソカロが見渡せます。
小さなバルコニーからの景色。 ちょっと貴族になった気分。
屋上にあるレストランからはこんな素晴らしい景色が眺められます。 メキシコはサマータイム制なので日暮れの時間が遅く、ディナーの時間にちょうど陽が落ちて、素敵な景色を楽しみながら食事が出来ます。 気温も陽が暮れるとちょっと肌寒くなるくらいの最適な温度で、本当に最高に贅沢な時間です。
少なくとも2,3時間ずーっとこの踊りが繰り広げられていました。
後日来た時には広場中に伝統衣装を身に着けた人が集まって踊り続けていました。
メキシコに滞在中何杯飲んだことか。。。マルガリータ。
ノパレス(サボテン)のサラダ。
サボテンはタコスの具材になったり、加熱したものを食べたことはありますが、こんな生のままのサボテンは初めて。。。 苦味などは無いのですが、味は無いし、スライミーな感じ。
次の週の休みはハンドクラフトを扱うマーケット"Mercado de Artesanias La Ciudadela"からスタート。
中南米の一番の楽しみの一つは民芸品やハンドクラフトのマーケットを巡ること。 時間のかかる手の込んだ民芸品もお手頃価格で見付かるのがとっても魅力的。
イメージ通りかもしれませんが、メキシコには鮮やかな色が溢れています。
ルチャリブレ。 メキシコ・スタイルのプロレスのことを言いますが、そういえば一度も現地で見たことがないなぁ。。。
カラフルなポンチョやソンブレロもメキシコの代名詞。
チアパスの陶器のジャガー。 大きなものでも安く、一つづつ違った表情があるのが可愛らしい。
アレブリヘ(Alebrije)と呼ばれる空想の動物たちで、1930年代から作られ始めたそうです。 もともとはこのように紙で作られたものだったのが、今は木製なものに細密な彩色をされたものまで沢山あります。
木製のアレブリヘ。 ユニークでカラフルな姿が面白く、見ていても飽きないです。
メキシコのテキスタイルはどれも大変カラフル。 未だに自然の染色で腰で機を織る人たちも多く、大変手の込んだものを格安で探すことも出来ます。 有名な”オトミ刺繍”も探せば美しい丁寧な刺繍のものを見付けられます。 値段は交渉次第。
フリーダ・カーロのグッズはあちこちに。
メキシコとチョコレートの関りについて初めて認識したのはコロナ禍で地元にずーっといた際に行ったBIZEN中南米博物館でのこと。 ここは日本で唯一の中南米を専門とする考古学博物館で、その時説明を受けたのは当時そんなに寿命が長いわけでもなかったにもかかわらず、王は日に何リットルものカカオを飲んでいて大変長生きだったということ。 もちろんカカオ・ポリフェノールが影響しているのだとは思いますが、カカオの発祥がメキシコだったのは初耳でした。
とうことで、色々なカカオドリンクのある"La Rifa"へ。
当時は唐辛子を大量に入れて飲んでいたそうなのですが、自分も唐辛子入りのホット・チョコレートを注文。 適度な辛みがカカオの苦みと混ざり合ってとても美味しかったです。
ローマ地区を散策、おしゃれな場所が林立していて、すべてのカフェに立ち寄りたいくらい。
チェーン店の"Ojo de Agua"。 フィッシュ・タコとオルチャッタ(もともとはスペインの飲み物で、メキシコではコメを原料にした甘い飲み物)。 コーンのトルティアにギューッと絞ったライムの酸味、サルサの辛味も相まって最高です!
なかなかコーヒーの美味しかったカフェ"Quentin"。
今夜はちょっとオシャレにディナー。
La Condesaにあるヒップなレストラン"Filigrana"。
大変素敵な夜を過ごすことが出来ました。
ちなみにここではおしゃれなレストランで飲み物も頼んでお腹いっぱいになっても、アメリカで普通のチェーンのレストランに行くよりも安いか同じくらい。
一回ショーの日の午前中、ホテルから歩いて20分くらいの場所にある”チェプルテペク城”へ。
お城の周囲には広大な公園が整備してあって、歩いているだけでも気持ちの良い場所。
お城のある丘の下でチケットを購入して登城。
チャプルテペクとは”バッタの丘”と言う意味で、Chaplin(チャプリン)はアステカのナワトル語でバッタ。
アステカ時代にはこの丘は聖地とされていて、スペインの植民地となってからは副王の夏の居城が建設されました。 1864年から67年まではメキシコ皇帝マクシミリアンの居城となり、その後メキシコ大統領の官邸となったりもしましたが、現在は博物館として公開されています。
マクシミリアンはヨーロッパの大都市にならって、市の中心とお城をつなぐ中心の道を建設しますが、それが現在のレフォルマ通りです。
ロシア皇帝の宝石と呼ばれるウラル山脈のマラカイトで出来たドア。
ロシアのニコライ1世がロンドンの万国博覧会に送ったものだそうで、その後このお城へやって来ました。
1693年に屏風に描かれたメキシコ・シティの様子。
ソカロとメトロポリタン大聖堂の当時の様子もよくわかります。 区画も現在と同じです。
1850年に描かれたソカロ。 ほぼ現在の姿と同じです。
丘の上からが街の様子が一望できます。
宿泊しているハイアットも奥に見えます。
マクシミリアンの寝室。
1996年公開のレオナルド・ディカプリオの”ロミオ+ジュリエット”ではキャピュレットのマンションとしてこのお城が使われていて、このステンドグラスも出てきます。
仕事までもう少し時間があったので、駆け足で”国立人類学博物館”へ。
ここへ来るのも3度目ですが、メキシコの文化を知るには欠かせない博物館です。
古代の焼き物の造形はどれもユニークで、ちょっと吹き出してしまうようなものが多いです。
テオティワカンの太陽のピラミッドの死を表した石像。
テオティワカンにあるケツァルトリコ神殿の復元。
復元されたピラミッドの両腕を後ろに縛られ捧げられた人たち。
まるで能面のようなマスク。
カカシュトラの壁画。 22メートルもの壁画の発見されたカカシュトラのものの復元。
”太陽の石”。
アステカの宇宙観、歴史観、時間観を表すモニュメントで、直径3.6メートル、重量は24トンにも及びます。 1502年から1521年の間に作られたとされていて、その後スペインの征服者によってソカロに投げ捨てられて、16世紀の後半には医師が住民に悪影響を及ぼすということで裏返しにして埋めてしまいます。 1790年には中央広場から発見され、しばらくメトロポリタン大聖堂に設置されたそうです。 随分とひどい取り扱われ方をしたようなのですが、1964年にはこの場所へ移動、展示されたそうです。
この巨大な石像は”コアトリクエ”で、アステカの神話における地母神だそうで、”蛇のスカートをはくもの”の意。 人間の手と心臓と骸骨をつないだネックレスをしていて、とぐろを巻いた蛇のスカートをしています。
トワラック川で発見された5つの火鉢で、水と野菜と豊穣の女神を表現したものだそうで、保存状態も素晴らしく、そのディテールと彩色は素晴らしいです。
15世紀末から16世紀初めのものとされるアステカ神話の神”ショチピリ”。
手足は幻覚作用をもたらす植物で装飾されていて、ナワトル語で”花の貴公子”を意味するそうです。
ケツァールの尾羽でつくられた羽飾り。 玉虫のような美しい輝きを持っています。
翡翠の装飾品や道具の数々。
マヤの文化では、翡翠やケツァールの緑色はケツァルコアトルの神様と通じるため珍重されていて、また翡翠は死者に命を与えて魂を復活させる力があるとされていた為に、死者に翡翠のマスクを被せたりしていたそうです。
オルメカの巨石人頭像。
こちらもオルメカのレスラーの像。
やはりどれもお能の面のよう。
カカオを飲んでいたジャー。
ヒスイの仮面として有名なマヤの都市パレンケの王”パカル王”の埋葬品の数々。
パカル王は長期政権の間に小国だったパレンケを強国に成長させた王。
昔来た時には仮面は単独で展示してありましたが、現在は埋葬当時のように全身展示してあって分かりやすくなっています。
思い出深いインターコンチネンタル。
そのインターコンチネンタルのすぐ向かいにあるのが"Karisma Cantina"。
ここは常にうち達キャストが通うバー・レストラン。
高級ホテルも林立するポランコ地区には高級ショッピングエリアもあって、外国人も多い地域。
今回初めて気が付きましたが、キャンティーナと自分は同い年だったみたい。。
初めて食べたトルティア・スープがここのものだったということもあってか、未だにここのトルティア・スープが一番おいしいと思う。
夜が深くなるにつれこのショットが次々にテーブルに出現。。。
メキシコ・シティ最後のお休みは二連休。 本当が郊外の街にでも小旅行に行こうかとも思っていたのですが、月曜日が休みの美術館や博物館を見られるのが今回しかなかったいうことで、結局ホテル・ポイントを使ってソカロ近くにホテルを取って過ごすことに。
前回行ったチョコレート屋さんからもほど近いところにあるのがこの”チョコレート博物館”。
ローストしたカカオの実の中身をかじるとカカオそのままの味。
"モリニーリョ(Molinillo)"と呼ばれるチョコレートなどを混ぜる時に使われる泡だて器。 それぞれのデザインも違ってお土産屋さんでもよく見かけます。
先にも簡単に書きましたが、紀元前2000年頃にはメキシコなどの地域ではカカオの栽培が始まっていて、アステカでは貨幣として使われたり、税金や貢物にもなったそうです。
王の高級嗜好品と言ったところで、薬用にも使われていたようです。
それがヨーロッパに知られるようになったのはもちろんコロンブスがきっかけで、1502年の彼の最後の航海の時のことで、その後スペインへと伝わり、初めてスペインとの取引が記録されているのは1585年のことだそうです。
ここで飲んだチリ入りのチョコレート・ドリンクは結構ピリピリでした。
”セビチェ”。 始まりはペルーなようなのですが、中南米あちこちにあるのがレモンなどの酸味と香草を混ぜたシーフード。 この日はどうしてもこの酸っぱいセビチェが食べたくランチはシーフード。
"Sopa de Mariscos"。 メキシコの海鮮スープも何とも言えず好きで、滞在中に一度は食べておきたかったもの。
満足です!
夕方前から再びコヨアカンへ来て散策。
マーケットやコーヒーショップをプラプラ。
チュロス屋さんへ。 呼び込みと人気具合がすごく、さっと買って公園で実食!
スペインのそれとはちょっと違った感じ。
ソカロにはチャイナ・ストリート的な通りがあるのですが、なんちゃって日本も混ざりこんでいて不思議な感じ。
この日最初に訪れたのは"Museo de Arte Popular(民芸品博物館)"。
メキシコの民芸品や工芸品などを保存、展示している博物館で、様々な地区の様々な作品を見ることが出来ます。
ヨーロッパからの文化と現地の文化の混ざり合う様子の展示。
陶器類のユニークさは古代文化の影響もあってか愛らしいデザイン。
メキシコのテキスタイルや民族衣装はヨーロッパの服飾文化にも影響を与えていますが、手の込んだ刺繍など鮮やかで美しいものが多いです。
メキシコの死者との文化は独特で、ドクロをモチーフとした装飾や工芸品をあちこちで目にします。
11月1日と2日には"Dia de Muertos(死者の日)"と言う日本のお盆のような風習があって、楽しく明るく死者と戯れて、亡くなった人の思い出を語り合うようなイメージです。
なので、どの骸骨もなんだか楽しそう。
日本にも同じような文化はありますが、メキシコでも様々な地方で様々な催事に仮面が使用されます。
”生命の樹”。
ビートルが小さなビーズで埋め尽くされています。
次に向かったのがディエゴ・リベラの壁画美術館。
ディエゴ・リベラの作品の中でも最も世に知られた作品の1つだと思いますが、自分もここに来たのは今回が初めて。
この”アラメダ公園の日曜の午後の夢”と題された壁画は、もともとはアラメダ公園の面したところに建設された”ホテル・デル・プラド”のレストランに描かれたもので、1985年の大地震の際にホテルは倒壊、難を逃れた壁画を展示するこの美術館が作られました。
壁画を描いているディエゴ・リベラの姿。
壁画の中には自分自身の姿やフリーダ・カーロ、メキシコ史上の重要な人物が描かれています。
絵の中にも描かれているアラメダ公園の”キオスコ(Quiosco)”。
このキオスコは大体の公園の中にありますが、踊りを踊ってたり、人が集まってたり、カルチャーセンター的な感じでしょうか。。
メキシコの中央郵便局。
1907年に完成した建物で、世界一美しい郵便局と言われる通り、ちょっとした宮殿のようです。
アイアン・レースの重厚で優美な階段が特徴的です。
郵便局からすぐ斜めにあるのが”国立美術館”。
20世紀の初めにイタリアの建築家に依頼して建てられた政府機関の建物で、1982年から国立美術館として使用されるようになったそうです。
ここの階段も豪華そのもの。
ディエゴ・リベラの田植え。
日本の田植え風景と何ら変わらず親近感が湧きます。
Juchitan River ディエゴ・リベラ。
この日のランチは名物の"Chile en Nogada"。
巨大な唐辛子”ポブラノ”の中に挽肉やトマトや野菜を炒めたものを詰めて、甘いクルミ入りのクリームをかけてザクロを散らしたもの。 かなりのボリュームです。
オーディトリオ・ナショナルにはここで公演をした人たちのサイン帳があるのですが、ここに自分の名前が入るのももう3回目(一度目はサインをする前にアメリカに行ったので)。
毎週12回ショーで、アウトになる人も続出する中、こつこつと一回一回を精一杯滑ることが出来ました。
メキシコ・シティでの公演も無事に終了。 すぐ翌日には北のモンテレイへ移動です。
モンテレイへ到着。 部屋の壁の一面は全てガラスで、なかなかのパノラマが広がっています。
ここはメキシコ第三の都市ですが、アメリカに近いということもあって欧米的。
はっきりと所得の高いエリアとそうでないエリアが分かれています。
ダウンタウンは中心にある縦に長いサラゴサ公園を挟んで旧市街と新市街に分かれていますが、高級エリアは自分たちのホテルのある川の向かいなので、この辺りはちょっと治安も良くない感じ。
高さ70メートル近いモニュメント”Faro de Comercio”。
”メトロポリタン聖母大聖堂”。
1705年から建設が始まって1791年に完成したモンテレイのメインのカトリック教会。
運河の整備されているサンタ・ルシア公園。
そこにあるのが”メキシコ史博物館”。
歴史の時間にスペイン人と現地の人との混血”メスチーソ”については勉強しましたが、様々な人種の様々な混血児を説明した絵画。
最近個人のDNAを採取して、自分にどのような人種の血がどのくらい混ざっているかを調べるのが流行っていますが、日本人はほぼほぼ100%日本人で、混ざっていてもちょっとだけ中国や韓国が入っているだけで面白くも何ともないとは聞きましたが、欧米人の交わり方は本当に面白いです。
古い街並みの残る”バリオ・アンティグオ”。
流行っているエリアは限られていますが、昔の植民地時代の街並みが残っています。
ホテルはモールと隣接しているのですが、そこの日本食屋さん、タコスと和のコラボレーション、案外美味しかったです。
食べては無いけどスーパーで見掛けたので写真だけ。
毎日仕事から帰って一個づつ食べていたマンゴー。 マンゴーもこのタイプのものと赤っぽいのと二種類ありますが、どちらも熟れたら超おいしい。
あまり知られてはいませんが、メキシコもワインの歴史は古い場所。 Nebbioloはイタリアのワインの王様バローロと同じブドウで、リーズナブルでありながらとっても美味しいワインです。 あまりメキシコ国外では出回っていないのが残念。
5週間のメキシコでの滞在で60回公演。
なかなか大変なスケジュールでしたが、何とかモチベーションも維持しつつこなすことが出来ました。
感謝、感謝です。
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