なかなか豪華な建物で、その当時の景気の良さが伝わります。入り口に併設のカフェがあるので、大変いいコーヒーの香りに迎えられるのですが、中に入ってまず目を惹かれるのがこの競りの行われていた部屋。 毎日価格が変動していたと書いてあるのですが、見た感じ議事堂かの様な雰囲気です。天井には豪華なステンドグラス。床も大理石のモザイクになっていて、大変豪華。1920年の近所にあるカフェ"Cafe Paulista"の様子。 まるでヨーロッパのようで景気がよさそうですね。奴隷制度が廃止になって、その労働力として大量の日本人、イタリア人が移民としてやって来ました。 日本から2カ月も掛けてたどり着いた先がこのサントスの港。 そこから電車でサンパウロへ行って農園へ送られたようですね。 日本の国旗を持った婦人の姿も見えますね。こちらでの成功を夢見て来た日本の人たちの姿。 大きなパネルでこの写真が紹介されているのですが、馬に乗った農場の人たちと対照的なボロボロな日本人の姿。 手前に写っているのはみんな子供たちです。 1930年の日付が入っていますが、みんな大変な苦労を強いられたんですね・・・。 日本人にもこんな時代と一面があったことはほとんど風化しているし、現在でも140万もの日系人がこの遠く離れた国に住んでいるんだから、もっと日本人はその事実を知るべきな気がします。1950年の通りの様子。 廃れてしまった旧市街も60年前にはこんなに華やかだったんですね。贅が凝らしてあります。昔の港の様子。 岸壁も土だし、レールも土の上・・・。 帆船が無数に停泊していますが、多くの人たちが働いていて、混沌とした様子が分かります。 なかなかすごい写真で、しばらく眺めてしまいました。ここが焙煎と試飲をしていた部屋。博物館内にはカフェがあるのですが、ここで焙煎と販売もしてくれます。ここから香ばしい匂いが漂います。 自分もお土産にブレンド・コーヒーを250グラム購入。コーヒー万歳!博物館を出て歩くと、正面の通りにはコーヒー関係の会社やカフェがいくつかあるのですが、ここも1885年の創業。エスプレッソ。 くぅ~っ!旧市街を散策。 市電が走っているのですが、昔は物資も運んでたのかな?今は壁を残しただけの空き地も多いのですが、どれも昔のヨーロッパ風な街並みを今に伝えています。今は使われてなさそうなサントスの駅。 ここは港に隣接しているのですが、コーヒーはここに届いて、移民はここからサンパウロに旅立っていたんですね。
沢山の歴史を刻んでいる駅ですね。今は世界中からのコンテナが並んで、大型トラックが奔走する港ですが、奥にはコーヒー取引所の時計塔も見えて、ふっと長旅を終えてここへ移民として辿り着いた人たちの見た風景を思い浮かべてみます。サントスは北の旧市街に港があって、南にはビーチが広がっています。 タクシーで20分くらいの距離なのですが、海岸沿いにはコンドミニアムが建っていて雰囲気が一変します。白い砂浜と言うわけではなく、歩いても足の埋まらない硬い砂浜なのですが、その広大さにはちょっとビックリ。ブラジルのニース的存在でしょうか?この”日系移民ブラジル上陸記念碑”を探していたのですが、どうしても地球の歩き方に載っていた場所に発見できず。 インフォメーション・センターでもネットを使って探してくれて発見。 あるはずの場所から30分も離れたコンガサ・ビーチにありました。日系人の人たちで、その後日本に戻ったり働きに行った人たちは沢山いたそうなのですが、その大半は再びブラジルに戻って来たとか。 世代が変わって日本のイメージと現実のギャップのせいでしょうか? それとももうここに生活基盤が完全に移ったからでしょうか? 町でも日本人の人を見掛けますが、日本語も話せるものの夫婦間ではポルトガル語だったり、時間の経過がそうさせるんでしょうね。深く知りたくなる歴史の1ページです。この辺りはサーフィンをする人たちで賑わっていました。お土産のコーヒーとコーヒーを入れる麻袋で作ったバッグ。 日本に帰って飲むのが楽しみ。
1 comment:
最近、自分が日本の歴史をあまりにも知らないことに気がついて、愕然とすることがよくあります。
特に教科書や参考書に載っていない部分は、ほとんどと言っていいくらい知りません。
まあ習ったはずのことも記憶があやしくなってはいますが。
日本の中のできごとですらそうなんだから、他国での日本移民の話も、教科書1行か2行分くらいしか知らないままです。
現地でそういう話に触れるというのは、印象深いでしょうね。
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