Friday, June 26, 2015

warsaw

ブラジルを発って、ドイツを経由して15時間のフライトの後、3度目のポーランド、初めてのワルシャワへやって来ました。 会社に頼んで、ワルシャワ経由で日本行き、10日のレイオーバーのチケットを手配してもらったので、タダ旅行! フライトはタダだとしても、それだけ頑張って働いたんだから、これくらいしてもらってもバチはあたらないよねぇ・・・。
この重々しい建物は、もちろんソビエトによる支配下でスターリンによって建てられた文化科学宮殿と呼ばれる建物。 ソビエトの力の象徴で、社会主義体制崩壊後もソビエトの置き土産的に嫌悪されているのが実情のようです。 平和な時代に見ても威圧感があります・・・。
このアパート、キッチンも洗濯機もあるし、普通のアパートなので、この素敵な建物の扉を開けて入るのがなんともいい感じ。 難はと言えば,古い建物なのでエレベーターがない。。。
こんな所に10日間も住むことが出来るなんて 幸せ~っ!
まず、ワルシャワへ来たら、その悲しい歴史に目を向けて勉強することから。
ここはワルシャワ蜂起博物館。 ワルシャワ蜂起とは,1944年の8月1日に 、ドイツ占領下にあったワルシャワ市民が蜂起して立ち向かったもの。 最終的に15万から20万の市民の命が失われ、街は徹底的に破壊され、70万人がワルシャワを追放されました。
1939年、ポーランドはドイツとソビエトによって侵略され、国が消滅します。 ドイツの占領下でのワルシャワ市民は悲惨な生活を強いられ、ソビエトによって煽られる形でポーランドの国民軍は蜂起します。 そこまで市民感情はギリギリの状態だったようで、起こるべくして起こったというところでしょうか。

蜂起したころは、ドイツ軍は劣勢であったものの、ワルシャワの駐屯軍は国内軍を圧倒するだけの豊富な軍事物資を所持していたために 、わずかなドイツ軍の兵舎などを占領したのみにとどまったそうです。 即日報告を受けたヒトラーは、ソ連側が国内軍を支援しないと判断して、蜂起した国民軍の弾圧とワルシャワの徹底した破壊を命じます。
国民軍は劣勢のまま、銃などは数人に1つといった状態だったそうで,軍服もドイツ軍から奪ったものを着た為、このワッペンを付けて区別をしたそうです。


ソ連の軍隊は川の反対側にいたにも関わらず、国内軍に手出しをすることなく静観。 ソビエトの手口ははじめから分かっていたようなものですね・・・。
蜂起から2ヵ月後の9月末には国内軍は壊滅。 ドイツ軍による懲罰的攻撃によって、ワルシャワは徹底した破壊を受け、蜂起参加者はテロリストとされ、レジスタンス、市民を合わせて22万人が戦死もしくは処刑。 イギリス政府からの警告で、やっと処刑も終わり、10月2日に降伏するに至ります。
その後70万人の市民は追放、ソ連は翌年1月になって、力をなくしたドイツ軍に進撃を再開。 ワルシャワを占領します。
姑息としか思えない方法でワルシャワ市民を巻き込み、我が手を汚すことを最小限にワルシャワを占領したソビエト。 時代の流れに翻弄されて失われた多すぎる命。 更地になるほどに破壊された美しい街。
驚くことに、国民軍の様子はフィルムによって保存されていて、博物館でも視聴出来ます。
昨今、日本も怪しい方向へ国が動こうとしています。 過去を見れば、自分たちがどのような世界を創るべきかは自ずから分かるはず。
日本は同じ過ちを繰り返すのですか? 原発もこのままでいいのですか?
蜂起した人たちの名前の刻まれた碑。 この長い碑の意味が、日本政府には伝わらないのでしょうか・・・
碑の後ろには美しいバラが咲き乱れます。
美しく咲くバラの後ろには燃え上がる街の写真。
街に今も残るゲットーの壁の跡。
ドイツ占領下でゲットーが建設され、市の2.4%が壁で覆われ、市の人口の30%もあったユダヤ人44.5万人が収容されます。  一人当たりに与えられた面積はたった7.55平米。
 ゲットーの状況は悲惨で、1942年に各地へ移送させられる以前に、すでに病気や飢えで8.3万人の命が奪われました。 移送後の惨状はよく知られている通り。
居住地区跡を示す表示。
ワルシャワ蜂起とゲットーの様子はノンフィクション映画”戦場のピアニスト”でも描かれています。
辛いのは分かっていながら、今日もう一度映画を見ましたが、街を歩いた後だったので、余りにも生々しく、この壁の内と外での生活を思うと苦しくなります。 終盤でドイツ人将校に発見され、その前でポーランドを代表する大作曲家、ショパンのバラード第1番を演奏するシーン。 死をも覚悟したであろうシュピルマンの、ポーランド人としての誇りと市民の痛み、苦しみをピアノに向け、ドイツ人将校も敵味方関係のない、終戦間近の焦燥感を味わうシーン。 結果として、敵であろうと、味方であろうと、勝とうが負けようが、戦争が生むものは悲しみであって、人の幸せとは正反対にあるものです。

ワルシャワの町を歩くと、その空き地の多さと広々とした風景に違和感を感じます。

Tuesday, June 23, 2015

had a fantastic time in brazil

無事何事もなく1ヶ月ちょっとのブラジルでの公演を終え、今リオを経由してドイツのフランクフルトに到着したところです。 このままポーランドのワルシャワで10日間過ごしてから帰国します。
今回のブラジルでの仕事も一筋縄ではいかない、なかなかのチャレンジでしたが、後半にはスケジュールも多少は楽になり、ツアーを楽しむことが出来ました。
降って沸いたような仕事でしたが、ここのユニットの素敵なキャストと一緒に仕事が出来、振り返ればあっという間でした。 
今回とても幸せだったのが、自分と一緒に仕事をしたいと思っていてくれた人達がとっても多かったこと。 さすがに16年もこの仕事をしていると、ちょっと伝説的な存在になってきてしまったのかな・・・。 しかし、いつもはお客さんのことだけを考えて滑っているものの、一緒に氷に立って仕事するだけでも喜んでくれるキャストが沢山いてくれることを知ったのは、また別の幸せを感じますね。
これからも気を抜くことなく、滑れる限り頑張らないとね。

Thursday, June 18, 2015

ouro preto

数年前に来てから、いつも思い出しては戻って来たかったこの小さな山間部にある”黒い金”と言う名の街オーロ・プレット。
今週は近郊の町ベロ・オリゾンチで公演で、ラッキーなことに2連休をもらえたので、一泊二日で行って来ました。 バスで2時間ちょっと。 一眠りしている間に到着です。
頻繁にこの景色が頭の中に浮かんでいた為、長い間離れていた気がしないのが不思議なくらい。
丘のてっぺんが街の中心となるチラデンチス広場。
1639年にこの場所に金鉱が発見されると、その後凄まじい勢いでゴールドラッシュが起こり、こんな小さな山奥に10万人もの人が住んだそうです。 18世紀の100年間に、世界の金の半分を産出、一時期は世界の金の80%を産出していたそうです。 金1200トン、ダイヤ300万カラットを算出したそうです。 想像もできないような量ですね・・・。
これらの金はポルトガルへ送られるのですが、最終的にはイギリスとの貿易赤字のため、金はイギリスへと流出したそうです。 イギリス国内を彩る黄金のほとんどはここの金なのでしょうか?


かなりな急な坂ばかりの街ですが、小雨が降った後はつるつる滑ってちょっと危険・・・。
夢に見るほど戻ってきたかったこのレストラン"Casa do Ouvidor"。 前回もディナーに2度訪れましたが、世界中旅して来た自分に言い切れることは”世界で一番美味しいローカルレストラン”と言うこと。
特に大好きなのがこの"Frango com Quiabo"。
数十本のオクラに埋もれたチキンで、大量のオクラと塩っ気のある独特なスープをライスの上にかけてしみしみさせて食べると最高です! チキンも煮込んであるのに香ばしさもあって絶品。
ちょっと塩分は気になるけど、うまみがこれでもかと溢れる逸品です!!




栄華を偲ぶ美しい教会が点在します。



以前のブログにも書きましたが、ここは今でも宝石の産地。 現地だからと言ってクオリティーのいいものがあったり、安かったりというわけではありませんが、このような原石が手に入るのは現地ならでしょう。 これは世界でもここでしか産出しないインペリアル・トパーズ。 オレンジ味を帯びたシャンパン色がいいとされますが、このようにピンク色になってくると値段が跳ね上がります。
こちらの3.5センチくらいの結晶で400万円くらいです。 ははは・・・。
チラデンチス広場から歩いて3分の宿に泊まったのですが、一泊$25で、朝目覚めると窓の外はこの密林。 鳥の声でお目覚め。
この日はとにかくのんびりとカフェでお茶をしたり、街をプラプラ。
この景色を胸いっぱいに吸い込みました。




はぁ・・・。 やはりランチにも戻って来てしまいました。。。 食べおさめ! 一人分には量が多すぎてオクラが残ってしまった。





今回何も買わなかったかというとウソで、この2センチ程度のインペリアル・トパーズの結晶をトップに加工してもらいました。 先にかけてピンク色が入っていて、インクルージョンも安かった割には少なくて、いい買い物だったかな。 シルバーの加工賃は材料含めて3000円くらい。
後は、先日サンパウロのイタコロールで購入していた0.33カラットのエメラルドを、18Kのピンキーに加工してもらいました。 お店に持ち込むと”こんないいクオリティーのエメラルドはうちの店にも置いてない。。。いい石持ってるね”とのこと。 イタコロールでおススメの石を買って来てよかった! エメラルドはコロンビアが有名ですが、これはここミナス産で、インクルージョンもなく色も深く照りが美しく、小さいものの気に入っていたので、褒めてもらえると嬉しいね。
本当はシルバーで加工してもらおうと思ったのですが、それでは石がもったいないということだったので、余り加工賃に大差がないということでイエローゴールドにしてもらいました。 3時間くらいで加工してくれて、金の代金含めて1万円くらい。 日本でやったら数万円飛びますね・・・。
いのちの洗濯をした2日間でした。
ホテルの近所のモールの寿司。 寿司ごとまるごと揚げたものや、パッションフルーツ、トマトとクリームチーズの乗ったサーモン。。。 いろいろと不思議なネタがあって面白い・・・。
美味しいかどうかは別にして、興味深いです。。 しかもお安い。^^
さて、ブラジル最後の一週間頑張りますか!

sao paulo / porto alegre

仕事の前に時間が取れたら日本人街へ。
以前にも食べた、日本人のおばちゃんのやっているたこ焼き屋さん。 日本でもなかなかたこ焼き食べる機会がないけど、地球の裏側で食べると、ソースの味が体にしみ込みます。 この後お馴染みのらーめんあすかへ。


大阪橋。

 いつも日本食はここで仕入れる丸海スーパー。
この日は日本人街から電車に乗って、前回お休みでは入れなかった移民博物館へ行くことに。
どうやら3年以上の時間をかけて2014年に再オープンしたらしいのですが、もともとこの場所はサントスの港に到着した移民がここへ集められ、書類のチェックや健康診断の後、ブラジル各地へと移動をしていった場所。

日本人のみならず、1887年から1978年まで、実に250万人が移民として受け入れられました。
 移民に関する展示がもっとあるのかと思っていたのですが、あまりその背景を説明する展示はなく、その点はちょっとがっかり・・・。 日本人街の移民博物館のほうが、もっと当時の様子を知るにはよかったです。

サントスの港から到着する機関車。
長旅を終えてここに到着していた人達、この後、多くの人達が夢と現実の違いに大変な人生を送ったんですね。
そして大変だったサンパウロ公演も無事終了。 怒涛のように、ただ一日一日をこなすことに必死だった2週間が終了。 来週からはやっと普通の生活が出来るかな・・・。 
一路南のポルト・アレグレへ移動。
一日のお休みはとぼとぼ歩いてダウンタウンへ。 この日は気温も高く,ちょっと歩いただけでも汗だく・・・。
ここに来るといつも足を運ぶ、ブラジルや地元の鉱石を扱うお店。 ここが産地のメノウなどの加工品の品揃えがよくて、見ているだけでも楽しい場所。 理科の実験室にある鉱物標本のようなサンプルもいっぱい。
夜は、ここに来るのももう3度目。 ブラジルといえばシュラスコ。 普段ほとんどビーフを食べない自分も、やはりここに来たら食い尽くさないと・・・。 美味しい肉満載、ガウチョのエンターテイメントありと、とっても楽しい時間でした。 ここまで来て頑張って仕事しているんだから、こういうご褒美もないとね!
部屋からの眺め。
オープニングの日、会場の周りがわいわいなっていると思ったら、ショーが終わった後の時間から、隣のスタジアムでサッカーの試合があるとのこと。 聞くとブラジルのナショナル・チームとホンジュラスの対戦。 時間も間に合うので、急遽グループで観に行くことに!
外のスタンドで偽物のブラジルジャージを格安で買って、雰囲気も出たところでいざっ!
以前もここポルトアレグレでパルメイラスとの試合を観に行きましたが、こんかいはナショナル・チーム。 ブラジルで絶大な人気を誇るネイマールも出場するのか??
冷たい雨の振りしきる中での観戦。。。 寒い・・・
前半はブラジル先取で終了。

ブレイク中にはスタジアムの電気か消えて、みんなスマホの電気を付けると・・・こんな感じ。
そして後半、出てきましたネイマール! 会場の声援も一際派手になりました。
こぼれ球をゴールするも、そんなに激しいプレーはなく、ブラジル圧勝! ネイマールの俊敏な動きには、サッカーファンじゃない自分も目が釘付けになりました!