アメリカ国歌”星条旗”(”星条旗よ永遠なれ”とは別の行進曲のこと)。 この国歌の歌詞が生まれたのがここボルチモアの要塞"Fort McHenry"。
ボルチモアのダウンタウンからバスで20分ほどの半島の先にこの要塞はあります。そんな国歌の歌詞が生まれた場所にしては静かで気持ちのいい場所です。こんな立派な資料館もあって、内容も充実。映画を通して英米戦争について、歌詞が生まれた経緯について勉強できます。 映画の最後に砲撃後の要塞の様子がスクリーンに映って、アメリカ国歌が流れだすと同時にスクリーンが上がると、背後に実際に要塞にはためく国旗が見えます。 なんとも粋な演出で、その時点で全員起立で国歌斉唱。(国旗、国歌に誇りを持てない日本とは大違い)
ここでストーリーを簡単に説明すると、1812年に第2の独立戦争とも呼ばれる英米間での戦争が勃発します。 アメリカは苦戦の中首都ワシントンが焼き討ちに遭います。戦火は隣のボルチモアまで迫ってくるのですが、そこをここFort McHenry(上の地図の☆)で防ぐことになります。
1814年9月13日未明に”ボルチモアの戦い”が始まります。 イギリス艦船による砲撃は、雨の中25時間続きます。 その時、当時35歳だった弁護士のフランシス・スコット・キーは英国の捕虜となった友人の救出の為イギリス船に乗り込み、救出には成功するものの、砲撃が終わるまではイギリス船に拘束されていました。
9月14日の明け方、砲撃が終了して望遠鏡でアメリカの要塞の様子を確かめると、大きな星条旗がはためいているのを見て"Defence of Fort Mchenry"(マクセンリー砦の防衛)という詩を書きます。O! say can you see...で始まる国歌の詩の誕生です。
要塞は五角形で、五稜郭のような形です。これが当時も高々と国旗を掲げた掲揚台。 当時の旗はワシントンのスミソニアン博物館にあるそうなのですが、見た記憶がない・・・。 来週ワシントンに行くので確認の後報告します。海に張られた鎖の為に、一定以上は船隊は近づけなかった様です。これが当日の様子。 ☆が要塞。イギリスの船隊があって、そこから随分離れたところにある●がフランシス・スコット・キーの乗った船のあった場所。遠くに見える橋が現在彼の名前の付いた橋なのですが、彼のいた場所はこの橋よりももっと遠く。 望遠鏡を通しても。朝もやと砲撃の後の煙で一体星条旗はどのくらい見えたのでしょう?
歌詞の1番は下記の通り。
O! say can you see by the dawn's early light, What so proudly we hailed at the twilight's last gleaming,Whose broad stripes and bright stars through the perilous fight, O'er the ramparts we watch'd, were so gallantly streaming?And the Rockets' red glare, the Bombs bursting in air,Gave proof through the night that our Flag was still there; O! say does that star-spangled Banner yet wave, O'er the Land of the free and the home of the brave?
おお、見ゆるや 夜明けの淡き光を受け先の朝焼け。薄明かりの最後の輝きに我等が歓呼したもの、それは太き縞と輝く星条旗を我々は目にした 危き戦の間城壁の上に見た 勇壮に翻りし 彼の旗/狼煙の赤き炎立ち 砲音宙に轟く中耐え抜き 旗は尚其処にありおお、星散りばめたる旗は 今猶棚引くか自由なる大地 勇者の故郷に
(ウィキペディアの非公式な訳より添削)
展示も良かったし、なかなか勉強になる場所でした。 あまりここまで足を延ばす人は少ないかもしれませんが、ダウンタウンからも20分だし、是非ボルチモアに来る機会があったら足を運んでください。
ダウンタウンに戻って美術館に行こうと思ったのですが、今日は休館日。 仕方ないのでプラプラ散策。 このバジリカはアメリカで最初のカテドラル。 建物は1806年から建設が始まって1821年に完成しています。 ローマ教皇をはじめマザー・テレサなども訪れています。ワシントン・モニュメントといえばワシントンのど真ん中にそびえる巨大なオベリスクを思い浮かべると思いますが、実はここボルチモアの丘の上にあるワシントン・モニュメントも同じ建築家ロバート・ミルズよって先に建築されています。
ワシントンのそれの建築が始まったのが1848年。こちらのモニュメントは1815年に建築が始まっています。
今日まで同じ建築家が建てたものとは知りませんでした。
このワシントン・モニュメントのある一帯はMount Vernonと呼ばれる古い地域で、まるでヨーロッパの様な雰囲気です。こんなきれいな教会(United Methodist Church)も建っています。全く知らないで説明書きを読んでいたのですが、実はここでその”星条旗”を作詞したフランシス・スコット・キーは亡くなったそうです。(当時は教会ではなくマンション)ボルチモアは港周辺に近代的なビルが林立していて、丘を上がった辺りからが古い建物が建ち並ぶ美しい地域、そこから西に行くと急激なスラム街。
このスラム街は繁華街にすぐ面しているのですが、急に建物は板で打ちつけられ、ガラス窓は粉々に割れて散乱、きれいな建物もペイントでベトベト状態になります。 黒人一色でみんな道端にたむろしていてヤバイ人一色。 昼間でもかなり危険な雰囲気むんむんです。
そんなスラム街の奥にあるのがLafyette Market。 ボルチモアで一番古いマーケットで1782年のオープン。 どうしてもボルチモアの有名なカニを食べたくてひたすら怖い人たちの中を直進! マーケットに駆け込みました。 中も黒人さん一杯なのですが、白人の店員もいるしちょっと安心。 一番奥にあったこの評判の高そうなお店でクラブ・ケーキ$13を購入してとっとと帰宅。 美味しそうなオイスター・バーやカニも並んでいたのですが、一人ではちょっと長居をする気にならなかったので、ま、またの機会です。
クラブ・ケーキはこれから夕食で食べます。
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