Saturday, January 29, 2011

bern

今日は久し振りの休み。 昨日パリに戻ってそこから電車で3時間、スイスのバーセルへ来ました。 ここはスイスでもドイツ語圏になります。
 

 
で、今日の休みはと言うとバーゼルから電車で1時間ほどのベルンへ行って来ました。
スイスの首都はと聞いてベルンと答えられる人はなかなか少ないのではないでしょうか?(チューリッヒやジュネーブの方がそれっぽいですよね。)
 
 
ここは街全体が世界遺産にも指定されていて、街は1191年に創設されたのですが、その後1405年の大火災で大部分が焼失、その後強固な石造りの街並みが造られて、今でもその姿を残しています。 中世の建物のほとんどは18世紀に修復されているそうなのですが、それでも時代を感じないほど美しいまま残っています。 
この時計台はもともと12世紀末の建造で、16世紀には人形の動く天文時計が据え付けられたそうで、1771年に修復されています。
 
 
建物の全ては緑がかった石で出来ていて大変特徴的です。 一階部分はアーケードになっていて地下道まであります。 なかなかモダンな造りなのですが15世紀の建造です。
 
 
最近の写真はどれも暗いですが・・・ヨーロッパの冬はこんなもんです。
石畳と石壁の建物、大変保存状態がいいです。
 
 
精巧に見える天文時計ですが、スイス人のお家芸ですね。 近くのお店には鳩時計がいっぱい並んでました。
 
 
街のあちこちにはこの水飲み場兼噴水があるのですが、なんと100ヶ所も点在しているそうです。 16世紀のものですが、当時から人と馬の喉を潤していたようですね。
 
 
 
ベルンの名前は12世紀のツェーリング大公の公爵が殺した熊に因んでいるそうなのですが、マスコット的熊はあちこちにあってかわいらしいです。
 
 
街をUの字に囲っているアーレ川。 インターラケンも遠くなく、晴れていたらユングラフヨッホも見えるそうです。
 
 
大聖堂の前の広場。 人もいないし、1人だけ中世にタイムスリップして来たかのよう。
 
 
大聖堂も薄緑色。 15世紀の建築です。
 
 
正面の入口には大体キリストなりマリアなり、聖書の物語が彫られているのですが、この聖堂の正面にはちょっと変わっています。
 
 
自分にはちょっと思い浮かばなかったのですが、何の物語でしょう?

 
ここはかのアインシュタインが1903年から1905年までを過ごし、有名な“特殊相対性理論”など3つの偉大な論文を発見した家。
 
 
残念ながら今は工事中だったので入れませんでしたが、こんな所で生活をしながら生み出された法則なんですね。 自分は数学さっぱりでいまいち感激も薄いですが、なんとなく世界を大きく動かす核になった場所と言ったところでしょうか・・・。
 
 
え~・・・。 実はちょうどベルンではスケートのヨーロッパ選手権が行われていたのですが、自分は行く気は更々なかったのに、観光が早く終わってしまったので、結局女子のSP全てを観に行くことになってしまいました。
なんと今年は自分の振り付けがNHK杯デビューまでしたのに、自分はスケートの試合を観るのは現役を辞めて以来・・・。(これじゃコーチなんてやってられない・・・)
とりあえず会場にはあまり拒否反応を出さずに行くことが出来ました。(ヨーロッパ選手権だし、日本人の知り合いに会うことはないだろうと言う憶測のもと)
 

 

前日からTVでは見ていたのですが、女子のSPでも会場はガラガラ・・・。 しかも激寒!! 昔はヨーロッパ選手権はその年の世界選手権の行方を占う権威ある試合だったのに、今は選手が日本や北米に集中し過ぎてちょっとスローダウンした感じ。 唯一ロシアの女の子が頑張って滑ったけど、コストナーも転倒してボロボロ滑ってるし、あまり張りのある試合ではなかったかも。 でも、本当に久しぶりの試合、楽しんでみることは出来ました。

Thursday, January 27, 2011

jeanne d'arc


 
ルーアンの街はジャンヌ・ダルクがその最期を迎えた場所ですが、それがこの旧市場広場。
もともと帝政時代には広場が2倍の面積あって、2つの市場があったそうなのですが、1979年に市場を郊外に移転して整備した際に、中世時代の地面と遺跡を発掘して、死刑執行場などが出てきたそうです。
 
 
 
これがその旧市場広場の中心に建っている“ジャンヌ・ダルク教会”。
随分と不思議な形をしているのですが、建物は戦後空襲で破壊された聖ヴァンサン教会のステンドグラス(空襲時には避難させてあったので無事だったもの)をはめ込んでデザインされたものです。
 
 
内部は大変明るくモダンで、古いステンドグラスもその中にマッチしています。
 
 
ステンドグラスはルネッサンス期(1520~1530)の作で、無事に爆撃を逃れて美しいままにその色を伝えています。
 
 
ここはすぐ教会の入り口なのですが、立札の建っている所がジャンヌ・ダルクが火あぶりになった場所。
彼女は普通の農家に生まれたのですが、1425年、彼女が13歳の時に神の啓示を受け、その使命を遂行すべく1428年フランス百年戦争の戦闘に加わります。 イングランド軍に包囲されていたオルレアンをまだ10代後半であった彼女が貢献し解放、ランスにてシャルル7世を戴冠させ、フランスの勝利に貢献します。
 
しかしその後彼女は宮廷内で孤立化し、1431年はじめ、ここルーアンで異端審問裁判が始まります。 悪魔崇拝、神の冒涜を犯した異端者、男装も異端とされ、魔女に関しては悪魔とのかかわりで処女を失うとされていたので、裁判の前に処女検査が行われ、処女であることが確認されたそうです。 5月、彼女は異端を認め改宗すると誓った為、極刑は免れ、永久入牢とされたそうです。 
が、その後入獄したものの再び男装に戻ります。 これには看守からの性的脅迫が背後にあった様ですが、異端再犯で極刑を免れなくなります。
 
1431年5月30日、彼女はこの場所で火刑に処されます。
中世ヨーロッパのキリスト教会での火刑は最も苛烈なもので、処刑方法よりも肉体が灰になってしまうと言うことは、最後の審判の際に復活すべき体が無くなってしまうと言うことで、肉体的恐怖よりも精神的絶望の方が大きかったようです。
 
ここにその時の様子をウィキペディアから引用すると
 
点火されるまでのジャンヌは「神様、神様」と泣き叫んでいたが、火の勢いが強くなると「すべてを委ねます」といって無反応になったと記録されている。炎の中、ジャンヌが高温と煙で窒息死し、その服が燃えた時点で一旦火は遠ざけられた。群衆に向けてその裸体、性器を晒し、ジャンヌが聖女でも両性具有と思われていた魔女でもなく、ただの女性に過ぎないと示すためであった。ジャンヌは死してなお、性器を晒されるという女性としての屈辱も受けたのである。その後約4時間をかけて燃やされたジャンヌの亡骸の灰は、セーヌ川に流された。このように灰さえも残さず決して土に返さないという遺体の取り扱いにおいても、ジャンヌが受けた取り扱いは当時としては最も苛烈なものだった。
 
19歳の少女にとってどれだけの辛さだったでしょう。
現在は彼女の名誉は回復して、1900年代初めにローマ法王によってカトリック教会における聖人とされました。
 
 
旧市場広場から大聖堂に続く道。
 
 
骨組みが木のノルマンディー独特な建物が続いて、まるで中世の様です。 このいびつな感じが何ともいいです。
 
 
美しい大時計のアーチがあります。 16世紀の作だそうですが文字盤はもとより建物自体が大変美しいです。
 
 
 
下のアーチの部分にはキリストと子羊たちが浮き彫りにされているのですが、なかなかリアルな彫刻で、まるで本物のキリストが羊とたわむれているようです。
 
 
さて、モネの絵でも紹介したこれが“ルーアンの大聖堂”ことノートルダム大聖堂。 かなり巨大で、近くから全体像をつかむのは難しいです。 街のはずれから見ると何本もの高い塔と屋根が見えて、その壮大さが分かります。
 
 
大聖堂のすぐ迎えにあるのが、現在はインフォメーションセンターなのですが、モネはこの建物の2階にで連作を制作したそうで、当時その階は女性の下着売り場だったそうです。
 
 
写真ではその大きさが伝わらないかもしれませんが、なかなか圧巻です。
 
 
建物の後ろから見た感じ。 
1063年に創建してから改修を繰り返しているので建物も随分複雑な造りに見えます。
 
 
そんなに大きな建物なのに、その装飾の細かさは細部が見えないほど。 一体建物全部で何人の人が彫られているのでしょう・・・。
 
 
なんとも細かな彫刻です。
 
 
外観に比べて内部はとってもおとなしく静かな感じ。 特にこれといった装飾はなく、大きなどっしりとした柱が並びます。
 
 
 
 
このイタリアのミラノの聖堂を小さくしたような教会は大聖堂の裏近くに建っているサン・マクルー教会。 これまた装飾が美しいです。
 
 
こちらの教会はあまり修復がされていなくて、ちょっと廃墟気味なのですが、それもまたなんとも時代感を覚えて味があって好きでした。

 
この教会の周辺の建物も素晴らしく、アンティーク・ショップなどが並びます。

 
ここルーアンには一度途絶えたルーアン焼きと言うものがあるのですが、これがその工房の1つ。 大聖堂の横の細い石畳の通りにあるのですが、お店のおじさんと英語の話せる息子さんが色々と歴史など教えてくれました。 オランダのデルフト焼きに似ていますが、16世紀にその流れをくんでノルマンディーでもこうした焼き物が焼かれたそうです。
 
 
昔のタイルのレプリカですが、なかなか味があっていいですね。 マヨルカ焼きやポルトガルのタイル、デルフトも素朴な味わいが好きです。 大きいものは持ち運べないので、小さなタイルを買いました。
 

お店で絵付けなど製作をしているのですが、色々見せてもらえて参考になりました。

Tuesday, January 25, 2011

rouen

ほんの数日を過ごしたスイスのジュネーヴを後に電車でパリへ戻って、そこからエッフェル塔を横目に見ながらバスで1時間半、ノルマンディーのルーアンへやって来ました。
  
 
夕方前には到着したのですが、今日は明日閉館の美術館へどうしても行っておきたかったので、一人でそそくさと街まで出て来ました。

ここルーアンも色々な画家が絵を残していますが、その中でも一番有名なのはモネの連作“ルーアンの大聖堂”ではないでしょうか? モネは1892年から1894年にかけて33枚もの同作品を描いているのですが、その作品は世界各地に分散しているので見たことのある人も多いと思います。 しかし、やはりルーアンでモネのルーアンの大聖堂が見たかったので、ここ"Musee de Baeux-Arts"へやって来ました。
 
 
Caravaggio / 1607 "La Flagellation du Christ"(キリストの鞭打ち)
このカラヴァッジョは自分のブログに度々登場して来ますが、この宗教画をこんなにリアルに、そしてドラマティックに描いた作品は、400年を経た今でもドキリとするくらいショッキングに感じます。 彼特有の明暗を強調した描き方が現実以上のリアル感を出していて素晴らしいと思います。
 
 
Nicolo Renieri / 1667 "Saint Sebastien soigne par Irene"
国ごとの展示で、広く色々な作品が網羅してあるのですが、意外や意外よい作品が沢山並んでいます。
ニコラス・レグニールはフランスのベルギーとの国境で生まれていますが、ローマでカラヴァッジョと同じパトロンについて作品を書いていたようで、作風もよく似てますね。
 
 
ここルーアンはかのジャンヌ・ダルクが火刑に処されて19歳の生涯を終えた町。 それに関しては明日彼女にまつわる場所へ行ってみようと思うのですが、ここにはそんな彼女の絵も数点ありました。
 
 
Claude Monet / 1878 "Rue Saint-Denis"
6月30日の祝日の様子なのですが、これとほぼ同じで対の絵がオルセー美術館にもありますが、三色旗でいっぱいで祝賀ムードたっぷりな感じが、ちょっとモネっぽくなくて面白いですね。
 
 
Pierre-Auguste Renoir "Bouquet de Chrysanthemes"
自分はルノアールのファンではないのですが、この絵はなかなか素敵だと思いました。
 

Claude Monet "Portail de la Cathedrale de Rouen"

これがルーアンの大聖堂ですね。 ここにはこの一点しかないのですが、この聖堂、この美術館から歩いて5分ほどの所にあるので、親近感がわきますね。 明日はじっくり聖堂を訪ねてみようと思います。