Thursday, January 27, 2011

jeanne d'arc


 
ルーアンの街はジャンヌ・ダルクがその最期を迎えた場所ですが、それがこの旧市場広場。
もともと帝政時代には広場が2倍の面積あって、2つの市場があったそうなのですが、1979年に市場を郊外に移転して整備した際に、中世時代の地面と遺跡を発掘して、死刑執行場などが出てきたそうです。
 
 
 
これがその旧市場広場の中心に建っている“ジャンヌ・ダルク教会”。
随分と不思議な形をしているのですが、建物は戦後空襲で破壊された聖ヴァンサン教会のステンドグラス(空襲時には避難させてあったので無事だったもの)をはめ込んでデザインされたものです。
 
 
内部は大変明るくモダンで、古いステンドグラスもその中にマッチしています。
 
 
ステンドグラスはルネッサンス期(1520~1530)の作で、無事に爆撃を逃れて美しいままにその色を伝えています。
 
 
ここはすぐ教会の入り口なのですが、立札の建っている所がジャンヌ・ダルクが火あぶりになった場所。
彼女は普通の農家に生まれたのですが、1425年、彼女が13歳の時に神の啓示を受け、その使命を遂行すべく1428年フランス百年戦争の戦闘に加わります。 イングランド軍に包囲されていたオルレアンをまだ10代後半であった彼女が貢献し解放、ランスにてシャルル7世を戴冠させ、フランスの勝利に貢献します。
 
しかしその後彼女は宮廷内で孤立化し、1431年はじめ、ここルーアンで異端審問裁判が始まります。 悪魔崇拝、神の冒涜を犯した異端者、男装も異端とされ、魔女に関しては悪魔とのかかわりで処女を失うとされていたので、裁判の前に処女検査が行われ、処女であることが確認されたそうです。 5月、彼女は異端を認め改宗すると誓った為、極刑は免れ、永久入牢とされたそうです。 
が、その後入獄したものの再び男装に戻ります。 これには看守からの性的脅迫が背後にあった様ですが、異端再犯で極刑を免れなくなります。
 
1431年5月30日、彼女はこの場所で火刑に処されます。
中世ヨーロッパのキリスト教会での火刑は最も苛烈なもので、処刑方法よりも肉体が灰になってしまうと言うことは、最後の審判の際に復活すべき体が無くなってしまうと言うことで、肉体的恐怖よりも精神的絶望の方が大きかったようです。
 
ここにその時の様子をウィキペディアから引用すると
 
点火されるまでのジャンヌは「神様、神様」と泣き叫んでいたが、火の勢いが強くなると「すべてを委ねます」といって無反応になったと記録されている。炎の中、ジャンヌが高温と煙で窒息死し、その服が燃えた時点で一旦火は遠ざけられた。群衆に向けてその裸体、性器を晒し、ジャンヌが聖女でも両性具有と思われていた魔女でもなく、ただの女性に過ぎないと示すためであった。ジャンヌは死してなお、性器を晒されるという女性としての屈辱も受けたのである。その後約4時間をかけて燃やされたジャンヌの亡骸の灰は、セーヌ川に流された。このように灰さえも残さず決して土に返さないという遺体の取り扱いにおいても、ジャンヌが受けた取り扱いは当時としては最も苛烈なものだった。
 
19歳の少女にとってどれだけの辛さだったでしょう。
現在は彼女の名誉は回復して、1900年代初めにローマ法王によってカトリック教会における聖人とされました。
 
 
旧市場広場から大聖堂に続く道。
 
 
骨組みが木のノルマンディー独特な建物が続いて、まるで中世の様です。 このいびつな感じが何ともいいです。
 
 
美しい大時計のアーチがあります。 16世紀の作だそうですが文字盤はもとより建物自体が大変美しいです。
 
 
 
下のアーチの部分にはキリストと子羊たちが浮き彫りにされているのですが、なかなかリアルな彫刻で、まるで本物のキリストが羊とたわむれているようです。
 
 
さて、モネの絵でも紹介したこれが“ルーアンの大聖堂”ことノートルダム大聖堂。 かなり巨大で、近くから全体像をつかむのは難しいです。 街のはずれから見ると何本もの高い塔と屋根が見えて、その壮大さが分かります。
 
 
大聖堂のすぐ迎えにあるのが、現在はインフォメーションセンターなのですが、モネはこの建物の2階にで連作を制作したそうで、当時その階は女性の下着売り場だったそうです。
 
 
写真ではその大きさが伝わらないかもしれませんが、なかなか圧巻です。
 
 
建物の後ろから見た感じ。 
1063年に創建してから改修を繰り返しているので建物も随分複雑な造りに見えます。
 
 
そんなに大きな建物なのに、その装飾の細かさは細部が見えないほど。 一体建物全部で何人の人が彫られているのでしょう・・・。
 
 
なんとも細かな彫刻です。
 
 
外観に比べて内部はとってもおとなしく静かな感じ。 特にこれといった装飾はなく、大きなどっしりとした柱が並びます。
 
 
 
 
このイタリアのミラノの聖堂を小さくしたような教会は大聖堂の裏近くに建っているサン・マクルー教会。 これまた装飾が美しいです。
 
 
こちらの教会はあまり修復がされていなくて、ちょっと廃墟気味なのですが、それもまたなんとも時代感を覚えて味があって好きでした。

 
この教会の周辺の建物も素晴らしく、アンティーク・ショップなどが並びます。

 
ここルーアンには一度途絶えたルーアン焼きと言うものがあるのですが、これがその工房の1つ。 大聖堂の横の細い石畳の通りにあるのですが、お店のおじさんと英語の話せる息子さんが色々と歴史など教えてくれました。 オランダのデルフト焼きに似ていますが、16世紀にその流れをくんでノルマンディーでもこうした焼き物が焼かれたそうです。
 
 
昔のタイルのレプリカですが、なかなか味があっていいですね。 マヨルカ焼きやポルトガルのタイル、デルフトも素朴な味わいが好きです。 大きいものは持ち運べないので、小さなタイルを買いました。
 

お店で絵付けなど製作をしているのですが、色々見せてもらえて参考になりました。

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