Saturday, March 26, 2011

azulejo


 
何度も登場しているアズレージョですが、今日も古いタイルを求めて街歩き。 2か所ほど質のいい古いタイルを扱っているお店を見つけて寄ってみました。 写真のように全てのパーツが揃っている古いものはかなりの値段で、1枚ずつでもエンジェルの顔や手や、何かの部分が入っているものはこれまたお高いです。 ここには16世紀から20世紀までの様々なタイルがストックしてあるのですが、17世紀の美しいタイルがあったので4枚1セットで入手しました。 別の店でもなかなかいい1枚があったのでご購入。 数に限りがあるものだし、大切に持って帰らないと。
 
 
 
ここはケーブル・カーのグロリア線を上がった付近の公園ですが、ここからの街の景色もなかなかに素晴らしいです。 ベンチやカフェも多くて、のんびり景色を楽しむ人達も多いです。
 
 
 
さて、今日はアズレージョづくしなのですが、街からバスで15分ほど離れた所にあるこの“国立アズレージョ博物館”へ行って来ました。
とっても楽しみにしていた博物館なのですが、予想を裏切らない、美しいタイルに囲まれた至福のひとときを過ごして来ました。
 
 
 
まずはタイルの製作過程ですが、いつも古いタイルに3つの点が付いているのが気になっていたのですが、それはこうやって重ねて焼く為だったんですね。
1枚の同じ絵を何枚も製作する下絵の書き方や、なかなかに分かりやすく、興味深い展示が並びます。
 
 
これが16世紀の初期のタイル。 もともとスペインを経由してムーア人がポルトガルに伝えたものですが、16世紀初めセビリアを訪れたマヌエル1世がタイルを輸入して、シントラの宮殿を覆い尽くしました。 このタイル、セビリアのアルカサルの物と一緒ですね。
 
 
16世紀中旬のたいる。 この時代にしてはめずらしい色彩豊かで絵画のようですね。
 
 
これも16世紀中旬の物。 
このように直接タイルに色を付ける技術が入ったのは、当時スペイン、フランドル、イタリアの陶工がポルトガルに入り、マヨルカ焼きの技術を伝えたことによるそうです。
 
 
 
 
 
様々な17世紀の装飾タイル。 このようなタイルで壁を覆いました。 図柄も色合いも風合いも大変素敵です。 壁を覆うほどの枚数を手で書くなんて、途方もない手間ですね。
 
 
当時タイルは主に宮殿や教会を飾っていたので、モチーフも宗教上ものもが多いです。
 
 
 
 
中庭を飾る17世紀のタイルです。 この博物館はもともと教会だったので、このようなタイルもそのまま残っています。
 
 
まるでデルフト焼きの様ですが、17世紀はじめ、多くのデルフト焼きがオランダから輸入されました。 17世紀後半にはデルフト焼きの輸入も禁止され、ポルトガルのデザインの方が流行します。
 
 
 
17世紀後半から18世紀初頭にかけては“巨匠の時代”と呼ばれるアズレージョの黄金時代を迎えます。 植民地のブラジルでの需要も増え、一点ものも繰り返し使えるパターンを用いた安価なタイルにとって代わられます。
その多くはこのようなバロックな図案になります。 この部屋も一面をタイルで飾られて大変豪華です。
 
 
教会部分。 ここにも沢山のアズレージョが使用されています。
 
 
 
 
これは18世紀から19世紀に生産された“応接人物像”と呼ばれる図案で、背景から切り抜かれたようなタイルはポルトガルだけに見られるものだそうです。 訪問者の歓迎の為にパティオや階段の踊り場に設置されたそうです。
 
 
 
2階の回廊もぐるりタイルで覆われています。
 
 
18世紀の地震に見舞われる前のリスボン市内を描いたパノラマ作品。 なかなか正確に描かれていて興味深いです。
 
 
現代作家の作品なんかも展示してあります。
 
 
”サン・ロッケ教会”。
1540年、
フランシスコ・ザビエルも含まれていたイエズス会がポルトガルへ到着。 1565年から建設が始まり、1584年には“天正遣欧少年使節”(1582年に日本を発って8年間をかけてローマに派遣された4人の少年達。 帰国後、時代は移り変わり、1人は棄教、3人は追放もしくはその地で殉教という定めを負います。)
 
 
かなり内部は贅を尽くした造りで、このようにふんだんに大理石のマーブルを使用しています。
 
 
植民地ブラジルで造られた金を惜しげもなく使っているそうで、豪華なバロックの装飾がなされています。
 
 
 
このような平らな木の天井は初めて見ましたが、これは1588年頃描かれたものだそうです。
 
 

港町リスボン。 どの街角の景色にもため息が出ます。

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