”エル・エスコリアル”。 宮殿、修道院などの複合施設。 もちろん世界遺産として登録されていますが、ここは宮殿であるとともに王家の霊廟で、建物の中心部は巨大な聖ロレンソ修道院になっていて、地下にある霊廟には5世紀に渡るハプスブルク家とブルボン家の人々が埋葬されていて、その顔触れはカルロス1世、フェリペ2世からスペイン系ハプスブルク最後の王カルロス2世(スペイン王家は血統を守るために近親結婚を繰り返し、このカルロス2世に至る頃には虚弱体質が悲劇的な様相となりてんかんや知的障害もあったようです。)アルフォンソ12世まで何代にも渡ります。
(この写真と内部の写真は他のサイトより拝借。 内部は完全撮影禁止です)
フィリップ2世は地方都市だったマドリッドを、スペインの中心部であると言う地理的条件から首都と定め、1563年から1584年にかけ、そこから45キロ離れたエスコリアルの地に壮麗なバロック様式の大宮殿を建設しました。
外観は簡素で派手さはなく、全て花崗岩を積み上げて造られていて、広さはパリのヴェルサイユ宮殿に匹敵するそうです。
内部に飾られる美術品も一級品ぞろいで、ヴェネチアのテッツィアーノやティントレット、エル・グレコやヴェラスケス、その他素晴らしい絵画が並びます。
この写真はフィリップ2世の寝室ですが、ここは当時のままに保存されていて、彼はここで息を引き取ったそうです。 この隣の部屋は彼の食堂で、そこらは素晴らしい景色が眺められました。
その彼の部屋を過ぎた所から地下へ向かう通路が始まるのですが、途中の金の豪儀な門を過ぎると天井、壁、床とも黒と朱の大理石になり、長く薄暗い階段が別世界に続くことを感じます。
その階段を一番下まで降りると円形のドーム状の、この一面を大理石で囲まれた部屋に到着します。 ”スペインの歴史の中枢”王家の霊廟です。 全く同じ形のキャスケットが縦に4列ぐるり一周していて、名だたる人たちの名前が刻まれています。 時代が時代なら、王家でも限られた人しか入ることのできない場所だったのでしょう。
ひと時この部屋に自分一人だけになったのですが、この重く冷たい部屋の中心に立ち尽くして、しばらくの間スペインの歴代の王に囲まれてみました。
ここを出てると今度は真っ白な大理石に囲まれた部屋がいくつも続くのですが、ここも王家にゆかりの人達のお墓が並んでいて、特に興味深いのは赤ちゃん達のお墓があること。 当時は幼少時に亡くなる子供が多数だったので、そうした子供たちの大きなお墓もありました。
全て含めると、かなりの大きな霊廟です。
中心部にある聖堂はこれまたかなり巨大で、宮殿内にこんな建物があるのはただただ驚きです。 当時はカトリックとプロテスタントが争う宗教戦争の真っただ中ですが、王家がカトリックと共にあった様子がよく分かりますね。
聖堂の正面。 人の大きさと比べてもらえると、この壮大さが分かると思います。 ドームは92メートルもあります。
黄金期にあったフェリペ2世の時代、植民地は中南米からアジアのフィリピン(フィリピンの名前の由来は皇太子時代のフェリペの名前に由来します)にまで達し、”日の沈まない国”とまで言われていたものの、彼が王宮に移ってから5年後、スペインの無敵艦隊はイギリスに敗れスペインのヨーロッパ支配は終幕していきます。
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