Sunday, September 25, 2016

trip to hokuriku

さて、ここ最近ずっと加賀百万石の金沢へ行ってみたいと思っていたのですが、せっかく時間があるのだから、のんびり青春18きっぷででも旅してこようかと思っていたところ、誘った母も同行するということで、岡山から軽四で6時間弱、小京都金沢へ到着。
空襲での被害がなかったということで、大変風情のある街並みや建物が残っていて、美しい日本の風景にそこここで触れることが出来ます。
街の中心部の長町界隈には、かつて藩士が住んでいた武家屋敷跡が残されていて、その中で唯一公開さてているのが”野村家”。
1583年、当主野村信貞は、前田利家が金沢に入城した際の直臣として従い、11代に渡って奉行職などを歴任、明治の廃藩の世になるまで続いた家柄だそうです。
高低差のあるダイナミックなお庭があって、濡れ縁の下にまで池が入り込んでいて、とても斬新でいて風情があります。
釘隠しなどの細工も大変精巧。 部屋は格天井になっていたりと、贅をつくした造り。

二階のお茶室ではお抹茶も頂けます。
これで観光客がいなく静かだったら、小説の1つや2つ書けそうな雰囲気。
長町から歩いて20分ほど、”ひがし茶屋街”と呼ばれる重要伝統的建造物群保存地区があります。
この辺りには明治初期に建築された茶屋様式の町屋が多く残っています。
ここ”志摩”は国の重要文化財にも指定されている茶屋で、内部を見学することも出来ます。
金箔のお店”箔座ひかり蔵”の中には、金閣寺顔負けの金の蔵もあります。 
外壁は純金プラチナ箔。。。  重厚で鈍い金のヒカリ。
内装は純金箔24K。。。
夕暮れ時、しとしとと雨模様になって来ましたが、しっとりと濡れた石畳もまた一興。
この辺り、6時にはすっかりお店も閉まってしまって、もうちょっと明りの灯った通りも散策できればいいのにと、ちょっと残念。
ひがし茶屋街から川を渡って反対側、夕食を食べに主計町(かずえまち)茶屋街へ。
ここは昔ながらの茶屋や料亭が多いようです。
お店の1つに入って、加賀野菜やのどぐろなど頂きました。

帰り道、お城の周りを歩いて帰りましたが、兼六園とのお濠の石垣の高さには驚きました。
この竜宮城のように見える門は”尾山神社”の神門。
明治8年に日本人の棟梁によって建てられた、洋風建築を模した門で、最上階にはステンドグラスがはめられていて、陽の光に当たって七色に輝いていました。
このように奇抜な門を作った目的は減少した参拝者の確保だったとか。。。
前田利家を藩祖として祀った神社です。

小さな丘を巡るような庭があります。 小川が流れていたり、キツツキが木をつついていたりと、自然豊かなお庭です。
そこからすぐの近江町市場へ、日本海の海鮮を求め。
くろむつ、白エビ、赤貝、ホタルイカ、ガスエビ。
どれもとーっても美味しかったのですが、特にこのガスエビがとっても美味しい!! 甘くてぷりぷり。 どうやら北陸を代表するエビのようですが、初めて食べました。
一路金沢城へ。


ここ20年ほどお城の整備が進んでいるそうで、現在工事中のところも含め、美しいお城の姿を見ることが出来ます。
石垣がとても壮大で、やぐらの石垣もそこここに。 天守ややぐらの多くも失っていますが、当時の姿を想像すると、かなり大規模なお城だったことが分かります。
鉛の瓦を使っているので、ちょっと趣の違った姿です。
石川門を通って”兼六園”へ。
日本三大庭園のうちの後楽園を有する岡山県民としては、やはりどちらが美しいのか興味があったのですが、いやぁ。。。比べるまでもないくらい完敗です。 兼六園の趣と壮大さ、木々の大きさや枝ぶりの迫力には感嘆です。
北陸、どこに行っても苔の姿が美しいです。
奥に流れる滝、ちょうどいい姿と水の落ちる音にするのに苦心したようです。


松の手入れに余念がありません。
多くの庭師さんが働いていました。 こうやって代々手をかけ続けることによって、今の美しい姿が出来上がっているんですね。

”根上松(ねあがりのまつ)”。
13代藩主が苗を盛り土の上にお手植えして、徐々に土を取り除いて根を地表に現した松。
堂々たる姿。
加賀では能楽が盛んだったようなのですが、その文化に触れることが出来るのが”金沢能楽美術館”。 お能や狂言についての展示があり、能装束を身に着けることも出来ます。
試させてくれる能面も木彫りの本物。
自分も仕事がらマスクを着けることも多いですが、軽い気を使ってあるとはいえ。。。息をする部分も狭く、結構暑い。 この着物と面で舞台をこなすと汗だくになりそう。。。

隣接するのがここ”21世紀美術館”。
平日というのに大盛況な美術館。
このレアンドロ・エルリッヒの《スイミング・プール》は自分も知っていたのですが、この金沢の地にあったのは認識がなかったです。
とってもシンプルな構造とアイディアなのに、じっさいにアートとして作るととっても面白いし、体験型アートの成功例ですね。

”ぬう”をテーマのエキシビジョンを開催中でしたが、展示品の8割はいまいち。。。
しかし、建物自体はとても面白いし、美術館で働く人たちの服もオシャレで、もっと常設の現代美術を収納してもいいとは思うけど、訪れてみる価値はあるかな。
この度の旅でどうしても行きたかった2つの場所のうちの1つ。
九谷焼の”上手長右エ門窯”!!!
金沢市内から45分ほどの距離で、ここが九谷焼の産地??と思えるほど、普通に田んぼの広がるエリア。
130年間九谷焼を焼いている老舗の1つ。
なぜここに来たかったのかと言うと。。。
それはこのハイメ・アジョンとコラボレーションをした焼き物を作っているから!
こちらの窯元は伝統を継承しつつも、新しいデザインや型を抜けだした企画を次々と出していて、その中で自分の好きなスペインのデザイナー、ハイメ・アジョンとタッグを組んだのです。
ハイメ・アジョンと言えば、スペインのリヤドロとの仕事が有名ですが、自分の机の隣にあっているこのThe Guestも彼の企画。
長右エ門窯でもかなり数多くの作品をデザインしていますが、どの作品もとっても素敵。
揃えられるものなら揃えてみたい。。。 でも無理。。。


リヤドロの壺のような造形にもちゃっレンジ。

実際にハイメ・アジョンが座っていたというギャラリーのカウチで、彼デザインの湯飲みでお茶をいただきました。
こちらの作品を購入。
もちろん一点一点手描きなので、どれも表情が違っていて、ストックのあった3点から一番気に入ったのを選ばせて頂きました。


新しくできる金沢のホテルに、これの巨大ヴァージョンが飾られる予定になっているそうです。
http://www.choemonshop.com/index.html
夜はホテルの裏のせせらぎ通りにあるお店で。
加賀料理、どれも美味。 お酒も美味しいです。
次の日は一路山中温泉へ。
途中ここ”那谷寺”へ寄り道。
ここは開創717年の古刹。 来年は1300年大祭。
戦乱の世で焼き尽くされたりと、荒廃した時期もあったそうなのですが、1640年には再建。
前田利常の書院などもあったりと、古い建築物も残っています。
永平寺の再建をしたのと同じ棟梁が、3年の歳月を掛けて建てた”普門閣(宝物館)”には、思いがけないものも並んでいて一見の価値あり。

シシガミの森のような雰囲気。
鐘楼堂には、寛永の頃に朝鮮から来た鐘が吊るしてあるそうです。

国の名勝指定を受けている”奇岩遊仙境。
火山の噴火跡の姿が、観音浄土補陀落山に見えるということだそうですが、確かに現世離れした風景です。
カワセミがコバルトブルーの羽を輝かしていました。
よく絵の中で出てくる極楽浄土のような景色。

本殿は京都の清水寺を彷彿とさせるような舞台造り。





山代温泉にあるのがこの”九谷焼窯跡展示館”。
九谷焼は1655年頃に、山中温泉の九谷村で始まるのですが、約50年後には突然廃窯となります。 その100年後、再興九谷がはじまります。 九谷村で窯を開いたのですが、積雪などの交通の不便の為、2年後にはこの地に移動。 1826年から豪商吉田屋伝右衛門から始まり、昭和15年までこの地で九谷焼は焼かれたそうです。
これは昭和15年に造られた、九谷焼の現存最古の登り窯。



ここが再興九谷の登り窯。

さて、もう一か所行きたかったのが、ここ山中温泉にある山中漆器の工房”我戸幹男商店”。
100年以上の歴史を持つ山中漆器のお店なのですが、東京のデパートで見かけた器の造形の素敵さに、是非一度訪ねてみたかった場所です。

様々な器が並んでいるのですが、木目の美しさと流れるようなモダンなフォルムがいい感じ。
木の種類によっても、木個々の個性によっても手に持った感触が全く違っていました。
小さな器でも、どれだけ大きな木を削っていって成形しているのかがよくわかります。
1つの器を作るのに、木の大半は木くずになってしまうんですね。。。
気に入った2点を購入。 現地割引して頂きました!
http://www.gatomikio.jp/products_top.html
山中温泉に到着。
温泉の歴史は古く、1300年前から温泉として使われているそうです。
これは”あやとりはし”と呼ばれる曲線を生かした美しい橋。 深い緑と橋の色のコントラストが眼にも鮮やか。
深い谷のほとりには遊歩道が整備してあって、のんびりと散策をするには気持ちがよさそう。
”こおろぎ橋”へ向かう途中にあった”無限庵”に立ち寄ってみました。
もともと金沢城下にあった家老の邸宅で、それを明治期に木製の自転車で財を成した家に買い取られ、この地に移築された建物だそうで、天井には長い年月をかけて買い集めた屋久杉の土埋木、廊下の手すりは全て黒柿、そのほか贅をつくした造りになっていて、こんな場所にこんな建物があるとは驚き。 襖や壁にも金がふんだんに使われています。
なんと、あの尾形光琳の描いたうちわも展示してあります。
”こおろぎ橋”。
もともとは江戸時代に造られた橋だそうで、1990年に総ヒノキ造りで架け直されたそうです。

菅原神社の境内にあるご神木で、天然記念物にも指定されている”栢野大杉”。
樹齢は2300年。
自然林のようでありながら、土器の出土や杉の配置から考えると、神を祀って植林されたと考えられているそうです。
古くは平氏、源氏、朝倉氏の多くの武将も参拝したそうです。
もくもくと立ち上る煙のように枝が張っていて、まさにご神木。 2300年の時を経てもその生命力は力強く、神の力が宿っているようです。
1947年には昭和天皇もこの地を訪れたそうで、天覧の大杉とも呼ばれています。

山中温泉にある唯一の造り酒屋は”松浦酒造”。^^
お酒、なかなか美味しかったです。

総湯”菊の湯”。
もともとはここ一か所だけだったそうなのですが、20年ほど前に女湯も造られて、現在こちらの建物は男湯。
夕方に行くと地元の人たちで賑わっていました。 お湯は結構暑くて、湯船の水位は胸の高さほどと深く、地元の人曰く、しばらくは湯船の端に座っておいて、上がる前に浸かればよいとのこと。
無色透明無味ですが、上がった時には体中ポカポカ。
日暮れ時には良い雰囲気。
地元の高校生が秋祭りの獅子舞の練習をしていたりと、日本の原風景を味わうことが出来ました。
最終日、一度は行ってみたいと思っていた”永平寺”へ。
曹洞宗の道元が1244年に創建した寺院で、現在でも多くの数多くの僧が修行をしています。

僧が床拭きで駆け巡るこの廊下。。。 ちょっとやってみたかった床拭き。。。
よく見るお寺の様子。。
”僧堂”。
座禅、食事、就寝までの修行の根本道場だそうで、この木彫りの魚をこんこんやっているイメージはあります。。

長ーい法堂に向かう階段。
広いお寺を、全行程裸足で歩いてみたのですが、すべて歩き終わっても足の裏はきれいなままでした! さすがによく拭き清められています!! アッパレ!
ここが七堂伽藍の一番奥にある”法堂(はっとう)”。


早朝から多くの僧がお勤めをしている様子はよく見ますね。

旅のお供の母。
甍と紅葉のはじまる気配を感じる紅葉。

除夜の鐘でも有名な大梵鐘。
現在の鐘は新しいものですが、瑠璃聖宝閣にはオリジナルの鐘も展示してあります。 ここには国宝の道元禅師の書や、中国へ旅した時の船の櫂なるものも。。
高村光雲や平櫛田中の彫刻、戦国武将からの書なども展示してあって、ここを見るだけでも行った価値あり。
そこからの帰り、せっかくなので眼鏡の街”鯖江”の眼鏡ミュージアムにも立ち寄ってみました。


一階には眼鏡の歴史に関する展示がしてあって、普段考えることもない眼鏡文化の成り立ちについて知ることが出来ます。 眼鏡の販売もしているので、そこでお気に入りの1つを見つけるのも楽しいかもしれません。
帰り鯖街道を抜けて京都の兄の家へ立ち寄り、夜無事に帰宅。