Monday, April 17, 2017

final week

ヨーロッパ・ツアーバーミンガムが最終週。 本日全てのショーを終えました。
大きな事故もなく、スムースにツアーを終えることが出来たことに今年も感謝、感謝!!
2か月後からはついに日本ツアーです。
と、その前に、明日から友人の家族の別荘へしばらく籠ります。 南仏まで飛んで、そこから車で山奥へ。 さっき天気を調べたら最低気温がマイナス4度。。。 もう帰る準備して冬服全部片付けてしまったのに。。。 凍えないように気を付けます。
月末には帰国します!

Wednesday, April 5, 2017

cardiff, rhondda

春も盛りを少し過ぎた頃のウェールズはカーディフ。
これだけ旅をしているのにウェールズに来るのはこれが初めて。 ウェールズはアレッド・ジョーンズやシャーロット・チャーチのように歌のうまい人が多くて、素朴でのどかな場所なイメージ。
ウェールズがウェールズ公国として成立したのが1258年。 が、1282年にイングランドのエドワード1世に敗北してからはイングランドの支配下となりました。 エドワード1世が長男にプリンス・オブ・ウェールズの称号を与えて以来、イングランドの王太子はウェールズ大公の称号を引き継いでいくことになったそうです。
が、薔薇戦争で勝利したのはウェールズ出身のテューダー家で、ヘンリー7世からエリザベス1世までの、その後のイングランドの運命に大きな影響を与えたテューダー朝が始まります。
ユニオンジャックにウェールズの旗が入っていないのは、イングランドの一部として扱われていたためだそうです。
街にはアーケードが巡らされていて、大きなマーケットもあります。

 オシャレなカフェも沢山あって、本読みするにはぴったり。

ウェールズの旗はこの赤いドラゴン。 なぜ赤い竜なのかは、歴史的にも神話的にもはっきりしていないんだとか。。。
 街の北にあるのがカーディフ城。

 もともとは1世紀にローマ人が築いた砦があったそうなのですが、その後ノルマン人が城を築いて、近年では19世紀になって石炭で財を成したビュート候が現在の建物を建てたそうです。



午前中にここのカフェでコーヒーを飲んでいるときに、ラピュタの冒頭のシーンの街の参考にされたのが南ウェールズのロンダ渓谷と判明。 宮崎監督も実際にそこの炭鉱跡を訪れたんだとか。
バスで一時間の距離と判明したので早速GO!!
Rhondda Heritage Parkに到着。
おぉっ!! これはパズーの持ってたランタン!! 目玉焼きの乗ったトースト食べたいっ!



 19世紀から1980年代まで石炭を掘っていたそうなのですが、ここの石炭は最高のクオリティだったそうで、燃やした時に出る灰がたった2%なんだとか。。。 タイタニックに積み込まれた石炭もここの石炭だそうです。


パズーが肉団子入れてもらってた所っぽい。。


ブラック・ダイヤモンド。
" 親方~っ! 空から女の子がぁ。。"

炭鉱の中にはネズミがいっぱいいたので、こうやって猫を放っていたそうです。
この巨大なウィール。 開業当初は蒸気だったそうです。
トロッコを載せたエレベーターは左右非対称な動きをするそうで、このメモリを見てスピード調節をしたそうです。

赤のトロッコがダイナマイト、あとは木材を詰めたトロッコ。 発破をかけて掘る度に木材でトンネルを支えて進みます。
これに乗って上がり下がり。

これは点呼をするためのチップ。
1つはこの番号表に。
1つはこのヘルメットに着けるライトと交換に引っ掛けます。 このチップが鉱員の出入りを確認します。

坑道に入る前にもう一度ここで身体検査。 タバコなど持っていたら、そのまま帰らされたんだとか。 自分もヘルメットをかぶっていざ中へ。
ひんやりとした坑道。 掘っていくときの天井は低いので、一日中膝で四つん這い状態だったそうです。 案内をしてくれたピーターさんが働き始めたのが15歳。 ピーターさんのお父さんは13歳から働いていたそうです。
鱗木の化石。 鱗木の幹がそのまま出てくるそうです。 持たせてくれたらこれが随分重い。。。

トロッコは石炭を積んで2トンにもなるそうで、まっすぐではないレールの上を走っていると、週に2度くらいはこのように倒れてしまっていたそうです。 これが倒れたら大変で、真っ暗な中詰め直しをしたそうです。
石炭をちょっと触っただけでも粉が舞い散るのですが、ピーターさんが若い頃は防塵マスクもなかったそうで、灰の中に粉が溜まって亡くなる人も多かったんだとか。
あと、ランタンの火の大きさで坑内のガスのレベルを点検していたそうで、時には数百人が犠牲になる事故も起こったそうです。
発破をかける仕事もしていたピーターさん。 ダイナマイトを仕掛けて180メートルほど離れて爆破させるらしいのですが、それでも爆音は凄まじいらしく、耳が聞こえなくなる人達も多いそうで、ピーターさんも左耳はほとんど聞こえないんだとか。
最盛期には4歳から週6日労働。 その子10歳以下は働けなくなったそうなのですが、労働組合が出来るまでは1日12時間、ピーターさんでも8時間働いていたそうです。
食事はできないし、水は自分の持ち込んだものだけ、トイレもない状態だったそうです。
早朝5時、6時には下に入っていたそうなので。。。 エドモン・ダンテスより過酷じゃないか。。。

ビデオに登場するピーターさんが案内してくれました。 訛りがきついから理解するのに何度か聞き返さないといけなかったりしましたが、とっても親切で丁寧に歴史を教えてくれました。




どうでしょう? ラピュタの街っぽい??
で、この本物のランタン買ってしまった。。。 これでラピュタごっこしなきゃかな。。。