Wednesday, November 20, 2019

bronte sisters, haworth, wuthering heights

随分とブログの更新が遅れてしまいましたが、2週間前のシェフィールド分です。

シェフィールドでの二日の休み。 向かった先は”嵐が丘”や”ジェーン・エア”などの作品で知られるブロンテ姉妹の暮らしていた村ハワースへ。
リーズを経由して約2時間ほどで、牧場の広がる丘にある、小さな集落に到着します。

ブロンテ姉妹の父パトリックはケンブリッジ大学で学位とった牧師。裕福な商家の出の奥さんをもらって6人の子供をもうけ、最後の子アンが生まれた後、ここハワースに引っ越して来て、この教会に勤めます。
家族の家であった牧師館”Pasonage”は教会のすぐ向かい。
現在ここが博物館となっています。
建物自体は1778年に、ここヨークシャーの石を使って建てられています。
父パトリックの書斎。
主に教会に関わる仕事をここでしていたそうですが、彼は一人でここで食事をすることも多かったそうです。

当時彼の使っていたものが当時のままの様に展示してあります。
このピアノは子供たちの物だったそうなのですが、主にエミリーが弾いていたそうです。
パトリックの若かりし日の肖像画が壁に掛けられています。
さて、多分この部屋がこの建物の中で一番重要な場所だと思いますが、ダイニング・ルーム。
姉妹が色々なことをして過ごした部屋で、嵐が丘やジェーン・エアなどの名作もこの部屋で書かれました。
暖炉の側のロッキングチェアは、アンが暖炉の囲いに足を乗っけて使っていたもので、
兄弟で唯一の男子だったブランウェルが1848年の9月に亡くなり、彼の葬儀の際に調子を崩したエミリーが息を引き取ったのがこのソファー。
エミリーは医者にも掛かりたくなかった様なのですが、医者に結核と診断された後も病気と認めず、薬も飲まず、ブランウェルの死後たった3か月で30歳で亡くなります。
その後アンも結核にかかり、療養の為に歌で有名なスカーボロ(スカーブラ)へ移りますが、エミリーの死後半年で29歳で亡くなります。
3兄弟が一年にも満たない期間に次々と亡くなってしまいますが、家族それぞれの心境たるや如何なるものだったのでしょう??
"To Walk Invisible"という映画でも詳しく描かれています。
部屋の様子は映画で描かれている通りです。 

ブランウェルはお坊ちゃまに育てられ、姉妹への嫉妬からアルコール、薬に溺れ31歳で急死。 この部屋には彼の石膏像も掛けられています。

その他壁には、シャーロットの敬愛するウェリントン公爵とウェリントン・サッカレーの版画が掛けられています。

ここはキッチン。
兄弟の中で一人残ったシャーロットは、副牧師だったアーサー・ニコルズと結婚し、お腹に子供も宿しますが、1855年、その妊娠中に妊娠中毒症の為に38歳でお腹の中の子供と共に亡くなります。
ここはそのアーサーの部屋。
二階に上がる階段のこの窓の横には大きな置時計があるのですが、毎日9時になると父パトリックは時計の針を合わせて、一階のダイニング・ルームにいる姉妹たちに早く寝るように促していたそうです。

二階のここはお手伝いさんの部屋。
シャーロットが改装そして少し狭くなったそうなのですが、ここが元々小さかった兄弟の部屋。
1826年、パトリックがリーズへ行った際に、ブランウェルに12体のおもちゃの兵隊を買ってくるのですが、兄弟でその兵隊を分け合って名前を付け、その兵隊で遊ぶようになるのですが、それが物語の創作の種になった様です。

この部屋の壁には、子供たちの落書きが今でも残っています。
1979年の映画ですが、実際の場所をロケーションに使っていて、当時の様子が想像しやすいので興味があれば。(英語です。。)
シャーロットの部屋に展示してあるのは彼女のアートワークや装飾品など。



とても細密に描かれた絵。 常に自然と触れ合って、詳細まで観察する目があったように想像できます。


彼女の針山と装飾品。
ネックレスはアンがスカーボロへ持って行っていたであろうもの。 ブレスレットはシャーロットの道具箱の中から出て来たもの。
カーネリアンと呼ばれるメノウに似たような石ですが、シャーロットの描いたアンの肖像画の中にも描かれています。 この後にも出てくるアンがスカボローの海岸で拾っていたのもこのカーネリアンだったこともあり、アンのお気に入りの石だったそうです。


シャーロットが新婚旅行に着て行ったシルクのドレス。
これまでの写真を見ての通り、地方の村とはいえ、結構裕福な生活であった様に思われます。
シャーロットの描いた肖像画の数々。




ここは父パトリックの部屋。

この散らかった部屋はブランウェルの物で、荒れた生活の中、このような様子だったのではと再現されています。
1851年発行の嵐が丘とアグネス・グレイのユニフォーム・エディション。 作者がカラー・ベルになっているのが分かります。
このカラー・ベルは知られている通り、当時のご時世から男の名前で出版社に出していたためで、姉妹の名前をミックスして作ったペンネームです。
この1850年のジェーン・エアは、父パトリックが兄弟に贈るために作ったもので、”娘の初めての仕事で。。云々”と手紙にしたためています。 父も子供たちの活躍が本当に嬉しかったのでしょう。
このカップボードはハザーセージのトーマス・エア(Thomas Eyre)のもので、シャーロットは1845年に彼の家を訪ねていて、その次の年にジェーン・エアを書きますが、その際にこの彼の”エア”という名前を取ったとされていて、このカップボードもストーリーの中に描かれています。
博物館の所有する唯一のエミリーの手紙。 写真でも分かりますが、エミリーのサインは収集家に切り取られてしまっているそうです。
姉妹全員が自分用のポータブル・ライティング・デスクを持っていたそうなのですが、これはエミリーの物で、ローズウッドで出来ているそうです。(当時でも高級品なはず?)
机の上の物も彼女の遺したものです。
シャーロットの作品。
エミリーのアート・ボックス・ 写真の中のマグカップはエミリーのクリスマスにもらったものだったかな? ブックショップにはこれのコピーのマグも売られていました。
この10センチにも満たないであろう小さな本は、シャーロットが14歳の時に書いたもので、小さな小さな文字で埋め尽くされています。
これはおもちゃの兵隊の為に書いたと言うことなのですが、所有者がこの本をオークションに出すと言うことで、本が博物館から移転する危機にあり、博物館が買い取れるよう募金活動をしていました。
と、今日このブログを書いている日のニュースに、無事博物館が落札したという記事が載っていました。 落札金額はおよそ9400万円!!!
文化財的価値が計り知れないのは分かるけど、こうやって値段がついてしまうとちょっと生々しくて好きじゃないかもなぁ。
こちらも同じく小さな文字がびっしりと詰まったミニチュアの新聞。

先にも書いていましたが、アンがスカボローで集めた小石。
シャーロットが亡くなる前に作っていたレースの襟。 未だに針に糸が通ったままです。
シャーロットは細かな作業が好きだったのでしょうか? これはすでに色は失われていますが、色紙を巻いて紅茶の缶をデコレーションしたもの。
ブランウェルの描いた肖像画。
シャーロットがブリュッセルの寄宿舎へ行った際に使っていたトランク。
エミリーとアンの髪の毛で編まれたブレスレット。
これはシャーロットが身に着けていたもので、亡くなった人の髪の毛を編んで身に着けるのはちょっと怖い気もしますが、当時はこのような習慣もあったようです。
シャーロットの描いた”目”。
これはブランウェルが亡くなる2か月前に描いた最期の絵。
奥にはハワースの教会とお墓が描かれていて、悪夢を見ている様子ですが、自分が破滅して行っていることを深く自覚していたのでしょう。




外は冷たい雨が降り続いています。
”INN”という宿を示す言葉がありますが、これはパブなどの二階が宿になっているところを指すものですが、ずーっと一度は泊まってみたかったので、今回は夢を叶えました。
パブのバーカウンターでチェックインをして、そのままギシギシ階段を二階へ。
部屋はこじんまりしていて可愛らしく、雰囲気がたっぷり。
日暮れ前にブランウェルがアルコールに溺れていたパブ”The Black Bull"へ。 ここは自宅と教会との並びになっています。

中は普通のパブなのですが、ブランウェルの描いた姉妹の絵がそれとなく壁に掛かっていました。




日が暮れると人影もほとんどなくなってしまって、とっても静か。

朝、雨が上がるとこの景色。

教会の中に家族は埋葬されているのですが、この日は内部を修復しているとかで入れず。
教会から墓地越しに自宅が見えます。


さて、村からバスで15分程。 ”嵐が丘”の舞台となった"Top Withens"へ。
バス停からどのくらいの時間が掛かるのか分かりませんでしたが、とにかく歩いて行くことに。



心配していた雨はとりあえず止んでくれたので助かりました。
とってものどかな田舎の風景が広がっています。
いつもイギリスに来る度に感心するこのストーン・フェンス。 延々と万里の長城のごとく国中に続いているのですが、一体どのくらいの労力が掛ったのか想像を絶します。


さて、道もトレッキングな感じになって来ましたが、吹き抜ける冷たい風に震えながら、人影のない荒野の中を歩き続けます。

ゴールの見えない中トボトボ。。




途中廃墟の痕跡も。


歩き続けて1時間ちょっと。 やっと到着!!


この廃墟に立ったエミリーに”嵐が丘”の構想が浮かんだそうです。
ここは元々500年くらい前からある農場主の家だったそうです。

強風の吹き抜けている様子が伝わるでしょうか?
まさに物語の冒頭ロックウッドの訪ねてきた時のようです。




もう指先の感覚もなくなるほど冷え切っています。。






やっと麓まで下りてきたので、パブに入ってコーヒーを入れてもらって指先を溶かしました。 往復3時間と言ったところだったでしょうか。
天気が厳しかったこともあって、物語の雰囲気をもっと感じられたような気がします。
ここからバスに乗って、途中リーズに寄り道をしてからシェフィールドまで帰りました。
ここは来てよかった旅でした。