Friday, April 29, 2022

cedar park

先週はアトランタの郊外でしたが、今週は再びテキサスへ。 オースティンの郊外の町へ来ていますが、アメリカの郊外と言うのは公共交通機関があまりないので、ウーバーを使わない限りはどこへも行くことが出来ません。 休みがあってもコーヒー屋に行くか、スーパーに買い物に行くくらいです。 と言うことで今週も写真も無ければ取り上げて書く話題も無し。。

帰国まであと3週間になりました。 次のツアーに向けての準備も始まり、荷物の整理にバタバタとしています。

Thursday, April 21, 2022

small cities

ここ2週間ほど地方回りで、宿泊している場所もハイウェイの近くと言うことで、更新も滞っていますが、本土ツアーも残り一か月を切り、そろそろ帰国の準備を始めているところです。

有り難いことに、今年はブレイクもほとんどなく、日本にも一か月ほど帰るだけで、残りはずっと仕事が入っているのは、まだコロナのくすぶる日本と比べると、本当に感謝しかありません。

こちらはもうマスクをしている人を日常で見掛けることはほとんどありませんが、最後まで連邦法決められていた”乗り物に乗るときにはマスク着用”もついに撤廃され、”コロナ”と言う言葉すら聞かなくなってしまいました。

日本に帰ったら”逆カルチャーショック”になるかもしれません。

Friday, April 8, 2022

fort worse


つい先日ダラスにいたばかりなのに、フロリダ、ペンシルバニアを挟んで隣町のフォート・ワースへ戻ってきました。 ここへ来るのは随分と久し振りな気がしますが、ダウンタウンの北にあるストック・ヤードはまさにテキサスのカウボーイを感じられるエリア。



週末にはここでロデオを観ることも出来ます。


テキサスの州旗は”ローン・スター”と呼ばれていて、星が1つ。 これはメキシコから独立してテキサス共和国となった際の”国旗”で、それがそのまま州旗として使用されています。


テキサスの牛として有名なのがこの”ロング・ホーン”。 その名前の通り体に不釣り合いなくらい長いこの角。


食肉用の牛ですが、17世紀の後半にメキシコから持ち込まれた牛が野生化したもので、この長い角の印象とは違い、とっても穏やかな性格。







5歳の牛で、すでに1トンをはるかに超えているそうです。





ここはかつて鉄道の引かれていた駅で、家畜の取引のされていた場所です。



角のオブジェは$100くらいから。 スーツケースには入らない。。




テキサスはアメリカの中でも地価の安い州なので、こんなラグを敷くスペースもありそうです。



カウボーイなショップではブーツやベルトや、なんでもカスタマイズすることが出来ます。


普段赤い肉は食べない自分ですが、やはりテキサスにいる間に一度は食べておかないと。。



高級ステーキハウスで食べれば$100くらいしそうな肉でも、ここでは普通のステーキの値段で頂くことが出来ます。 ステーキ食べたのなんていつ振りだろう。。。


今までターコイズに興味を抱いたことは無かったのですが、今シーズン、ニュー・メキシコのセリーリョスで見たターコイズの色合いやストーリーが興味深かったので、アメリカ西南部へ来るとついつい気になってしまうのですが、ターコイズは石自体はどれも一緒な為、色や柄だけでは産地がどこかを見分けるのは難しい石。 が、産地によって石の価値や希少性が雲泥の差で、その中でも”ランダー・ブルー””ナンバー・エイト””ビズビー“の3つはコレクターズ・アイテム。 小さなブースの集まったマーケットで自作のおじさん、長い付き合いのディーラーさんからしか石を買って、自分で磨いてジュエリーに加工しているそうなのですが、そんなおじさんがビズビーとナンバー・エイトも置いていて、あと数個だけ磨いた石を持っているけど、何に加工するか考え中とのこと。 ウェブサイトも持ってないけど、いつでも欲しかったら電話して。 とのこと。
どちらの鉱山も随分昔に閉山していますが、全て枯渇してしまっているわけではないそうで、山の持ち主さんから買えば、これくらいのクオリティのものは出てくるんだそうです。

Tuesday, April 5, 2022

gettysburg

”ゲティスバーグ”。 日本ではあまり馴染みの深い地名ではないかもしれませんが、ここは南北戦争(1861-1865)の激戦地。 戦争の詳細については改めては書きませんが、黒人奴隷の開放を大義名分とした北軍(ユニオン)と、当時世界の綿市場の大半を占めていたアメリカの南部地域の南軍(コンフェデレート)との間で繰り広げられた戦争。 北進してきた南軍と、ワシントンへの進軍を阻止する北軍との間で、1863年7月1日から3日までの3日間、南北戦争最大の戦闘が起こりました。

まずはどんなものだったのか、この映画の予告編だけでも見てもらえると多少の想像はつくかと思います。(できれば長編ですが本篇も)


映画”ゲティスバーグ”での予備知識はありますが、まずはここのミュージアムで勉強。

当時の風景も現在とほぼ変わりのない感じ。

二日目の激戦地、”リトル・ラウンド・トップ”。 当時の直後の写真を見るとかなりの惨劇の様子が分かります。


ミュージアムの入り口にある木に食い込んだいくつもの弾丸。


南軍の兵隊のユニフォーム。

こちらは北軍のもの。

南北戦争は世界最後の旧式の戦争でしたが、この大量に製造された武器の数々、余ったスペンサー銃はその直後に起こった日本に輸出され、戊辰戦争に使われます。 アメリカ人同士命を奪った銃が、その後日本人同士の殺し合いに使われたということです。


旧式な歩兵隊のいた戦争だったので、戦陣での信号伝達や更新の為に組織されていた鼓笛隊も重要でした。


シアターでの映画を観た後、その上にあるのがこの世界最大級の油絵とジオラマ。 以前ポーランドのヴロツワフへ行った際にも似たような油絵があったような。。 照明とナレーションでピケットの突撃の様子を説明してくれます。

1861年のフラッグ。 すでに南北戦争は勃発していましたが、旗には南部の州の星も含まれたままでした。

ノースカロライナの隊の持っていた南軍の旗。

兵隊の募集のポスター。 当時の通貨の価値が分かりませんが、月給$13だそうです。


北軍の指揮官ジョージ・ミードの帽子。

陣地にはこのテントが無数に並んでいました。



南軍の上層兵のユニフォーム。 南軍の兵は北軍よりもはるかに質素な感じに見えますが、上層兵のユニフォームはエレガント。

映画の中でも度々双眼鏡で戦場の様子を確認するシーンがありますが、実際に現地に立ってみると、敵陣との距離がそんなに離れていないことに驚きます。 歩兵中心だったのと、大砲の飛距離の問題もあるんでしょうね。

激戦の最後、有利に進んでいた南軍が引かざるを得なくなった”ピケットの進軍”。 ピケットだけがこの軍を指揮していたわけではないのですが、後にこのように呼ばれるようになります。 

戦争三日目、南軍は午後1時から150門の大砲で2時間に渡って南北戦争最大と言われる砲撃を続けます。 それが止むと12500名の歩兵が北軍陣地へと進軍します。 鉄の弾が飛び交う中を1.2キロにわたって前進するも、大砲放火ではそこまでのダメージを与えられていなかった北軍陣地へ近づくとその攻撃は激しくなり、南軍は撤退を余儀なくされます。

北軍の死者負傷者の合計が1500名だったのに対し、南軍の死者は1123名、負傷者が4019名にもなりました。



戦争終結の数か月後、リンカーン大統領はこの地を訪れ歴史に残る”ゲティスバーグの演説(Gettysburg Address)”を行います。


当時はもちろんマイクもなく、声も通らず2分足らずの演説だった為に、カメラマンが気付いた時にはすでに演説も終わっていて、ちゃんとした写真も演説の記録も残ってはいないそうです。 この小さな丸の中に写っているのがリンカーン大統領。


その時の演説台の上にあったと言う椅子。


イラストのような大演説ではなかったのかもしれませんが、アメリカ史に残る”人民の人民による人民のための政治。。。”のフレーズは永遠に残りました。



"Little Round Top"
二日目の激戦地。


赤が南軍、青が北軍。
手薄になっていた丘”リトル・ラウンド・トップ”へ容赦ない進軍を行った南軍。 ここを取られるとかなりの痛手になる北軍は決死の激戦を繰り広げます。 ミード将軍は巧みな兵の配置でこの危機を乗り越えます。


丘の上に立つウォーレン将軍。









多少衝撃的な写真もあるかもしれませんが、当時の様子と現在を比較した写真を見ることが出来ます。

下から押し寄せてくる南軍、その戦いは凄まじいものだったのでしょう。









三日目の激戦地の北軍側の陣地。 騎乗にいるのがミード将軍。


後で南軍側の陣へも行きますが、ここで南北戦争最大の砲撃の、150門以上の大砲が2時間に渡って炸裂してこちらへ飛んできました。


北軍はこの前線で必死に攻撃に耐えます。


南軍側に向いた大砲。




戦争での死者が埋葬されたのがここナショナル・セメタリー。 ここでの式典へやって来たのがリンカーン大統領。



1863年11月19日。 歴史に残るスピーチが行われました。
その記念碑がこれ。




戦没者はこのモニュメントを囲むように並べられていて、実際にリンカーン大統領が立っていたのはこのモニュメントのある場所。




その場所から少し北の丘にあるのが南軍のリー将軍の本部のあった場所。



映画の中でもここの様子が出てきますが、後にモーテルやいろいろな建物が周りにあったようなのですが、最近になって全て取り払われて、現在は当時の様子に近い形で保存されています。


さて、もう何年も前になりますが、カナダのオタワの美術館に行った際に写真技術が出来始めた頃の、日本語で言う”湿板写真”のエキシビジョンがあって、いつか自分も一度試してみたいと思い、あちこちの場所を探していたのですが、今でもやっている数少ない写真屋さんはどこも結構なお値段。。 と、ここゲティスバーグにはお手頃な価格でやってくれる写真館があることを発見していたので、ちゃんと予約を入れて行って来ました。

これは1851年にイギリスで発明された技術で、日本にも安政年間(1854~1860)には輸入されていて、お侍さんなんかの写真も現存しています。
この写真機も1850年代後半のものだそうで、まさに当時そのまま!


これはTinと言うブリキ板にコロジオンを塗布して撮影するものですが、被写体は瞬きはしてもいいものの、12秒間も静止しないといけないのでなかなか大変。 ブレた写真が多かったり、みんな何かに寄り掛かっていたり、支えを持って写っているのはその為。


溶剤を注ぐとみるみるうちに画像が現れてきます。


今のように何枚も写真を撮れるわけではないので、たった一度きりのチャンス。 レンズを覗いたままの姿が転写されます。


ちょっとでも揺れるとこんな感じに失敗。 これはこれで昔な感じがあっていいんだけれど。


完成作品がこちら。
被写体はともかく、150年前にタイムスリップしたような、歴史に触れることの出来た大変貴重な体験でした。 


ダウンタウンへランチに行った際に立ち寄ったのがこのアンティークショップ。
以前ノースキャロライナで、南北戦争の際の掘り出された銃弾を売っていたので、ここでもそのようなものがあるのでは?と期待していたのですが、まさにそんなものだらけでした。
博物館以上に博物館のような資料が並んでいて、店主のおじさんもいろいろと説明をしてくれ、写真も自由に撮らせてくれたので載せておきます。



当時のライフルの数々。 普通だったら博物館にしかないようなものですが、普通に売っています。


南軍、北軍の銃弾の数々。 これはヴァージニアでの戦いの際にこぼれ落ちた銃弾で、発射はされていないものです。 ゲティズバーグから出てくるものよりも、はるかにヴァージニアから出てくる数の方が多いそうです。


これはゲティズバーグから出てきたもので、上が北軍、下が南軍、真ん中が実際に発射されもの。



これはゲティズバーグの砲撃に使われた大砲の弾の破片。 大きな球が破裂して中から小さなものが出てきます。 ゲティズバーグから出てきたものには全て保証書が付きます。


サーベルの数々も当時のもの。 日本じゃこんな風には売ってない。。。


南北戦争期のインク壺。


自分が撮ったのと同じ方法で撮られた170年くらい前の写真の数々。 兵隊さんの写真が多く、この写真を残して戦地へ向かったのでしょうか。




砲弾やユニフォームも並んでいます。


このラッパは帽子の上に付けられていたもの。 これも映画を観れば分かりますが、当時のものです。


ユニフォームのボタンの数々。 北軍のものです。
南軍の兵のユニフォームはもう少し簡素だったので、ボタンの数は少ないそうです。



これはアトランタでの戦いの際の砲弾の破片。 こちらは随分と数も多くお値段も半分くらい。


ダウンタウンの様子。 現在もあまりその姿に変化は無いようで、古い建物が並ぶ雰囲気の良い街並みです。


"The Will's House"。
ここはリンカーン大統領が訪れた際に宿泊していた建物。 



現在も外観は全く同じです。


さて、こちらは3日目にリー将軍率いる南軍が陣取っていた場所。


写真を見ても分かる通り、この一帯はすべて史跡として保存されていて、バリケードなどもそのまま再現して保存してあるので、特に映画を見直して来ただけあって全てが生々しく見えます。




向こう側が北軍の陣地。 こちらから激しい砲撃が続き、その後無数の歩兵がこの大地を前進して行きました。




騎乗のリー将軍。 "Black Lives Matter"運動が起こってからはリー将軍の像が破壊されたり撤去されたりと問題になりましたが、これは歴史の解釈の問題で、決して彼が黒人を奴隷に縛り付けたわけではないし、彼は名将であり、戦後はヴァージニアのワシントン大学の学長になり、荒廃した南部の復興に尽力した人です。
黒人問題は未だに根の深い問題ではありますが、今ある問題と過去の歴史を混同させるのは違うと思います。




リー将軍から3日目のピケットの突撃の計画を聞いた際、その作戦を渋ったのが右腕のロングストリート将軍。 結局彼の予測した通り撤退を余儀なくされました。
戦後は事業を行ったり、政治にも関わったりしましたが、60も過ぎると隠居状態になり、段々畑や果樹園を作って過ごしたそうなのですが、近所の人はそこを”ゲティスバーグ”と呼んだんだとか。
南北戦争を経験した将官としては珍しく20世紀まで生き、再婚した奥さんは1962年に亡くなっています。

一度は訪れてみたかった場所。 車で巡っただけでしたが、大変保存状態の良い史跡なので、実際に徒歩で当時の人達の足取りを辿ってみるのもいいかもしれません。

夏草や兵どもが夢の跡。