Saturday, December 25, 2010

irish dance


アイルランドは”セント・パトリック・デー”でも有名な聖パトリックと共にありますが、彼は5世紀にアイルランドでキリスト教を布教した実在人物です。 聖パトリックはケルトの宗教とキリスト教を融合させることで布教を図ったのですが、それは独特のケルト十字などでも見ることが出来ます。
ここがアイルランドで一番大きな“セント・パトリック大聖堂”です。

これがそのケルト十字。 ケルトには色々な妖精なども登場しますが、もともとアイルランドの人達は信仰心に厚かったのでしょう。


今回は悪天候のために教会は締まっていては入れなかったのですが、これは自分が7年前に撮った内部の写真。 これはここで一番著名な司教だったジョナサン・スウィフトとステラこと彼の永遠の恋人だったエスター・ジョンソンの墓。 スウィフトはあの小人に縛られたり、ラピュタの登場する“ガリバー旅行記”の作者として有名ですね。 彼は政治家であったり司教であったりと、様々な面を持っていたようですが、このガリバー旅行記も子供の本ではなく、当時の風刺小説だったんですね。



夜は1日早いクリスマスということで、アイリッシュ・ダンスのディナーへ行って来ました。 テンプル・バーのエリアにある“アーリントン・ホテル”で毎晩行われているのですが、コース料理とショーで29ユーロとお手頃です。 前回来た時にはこのアイリッシュ・ダンスを見過ごしたので、今回はちゃんと見て来ました。




アイリッシュ・ダンスを見るのは昔NYで観た大ヒット作”リバー・ダンス”以来ですが、小さな舞台でも迫力十分でした。 このタップの速さ、お見事ですね。 普通のタップよりも随分と打ちつける感じで、トーも随分と突きます。


リバー・ダンスのナンバーから。 懐かしい曲です。 もうこれが大ヒットしたのも15年くらい前でしょうか? 躍動感があって、タップも素敵です。 もう一度あの鳥肌の立つ大人数で踊るアイリッシュ・ダンスが観たくなりました。

今夜はクリスマス・イヴ。 例年と違い、今年はひっそりと雪に埋まったダブリンの郊外で過ごします。

Thursday, December 23, 2010

dublin


しばらくの間を過ごしたフランスを後に、久し振りのアイルランドはダブリンに到着。 前回はダウンタウンに泊っていたのですが、今回は会場が郊外な為に、ホテルも町からは随分と離れた場所です。
ここ数日イギリスを中心に雪が随分と降って、交通機関も乱れていたのですが、自分達は問題なく飛ぶことが出来ました。 しかし次の日の朝には外は一面銀世界でした。

.
バスが止まっていたので、仕方なくタクシーをシェアして街まで来たのですが、街ものこ通り大雪です。 

ダブリンのメイン・ショッピング・ストリート。 日が暮れても雪は振り続けました。 みんなクリスマス・ショッピングで忙しそうです。


ここはそのストリートにあるコーヒーと紅茶の専門店"ビューリーズ(Bewleys)"。 紅茶の消費の多い国と言ったら、誰でもイギリスと思うかもしれませんが、そんな紅茶大国を抜いて世界一の紅茶の消費国はなんとアイルランド。 そんなアイルランドで1840年、初めて茶葉の輸入を始めたのがこのビューリーズ。 U2はじめ文化人が昔から通うこのカフェですが、中には綺麗なステンドグラスがあったり、歴史を感じます。


で、とりあえずやはりアイリッシュ・コーヒーを注文。 フランスのヴァン・ショーからアイリッシュ・コーヒーに。 その国ごとに冬の楽しい過ごし方はあるものです。 大変温まりました。



ツリーの前でクリスマス・ソングを歌って募金活動。 やはり年末ですね。


ここは“テンプル・バー”と呼ばれる地区で、写真の左の建物が、アイリッシュ・ミュージシャンの集まるその名も“テンプル・バー”。 


アイルランドと言えば“ギネス”。 やはりビールを飲まない自分もここに来たら飲んでおくべきでしょう・・・。 でもやはりビールは得意じゃない。。。 うぅぅ。。。にがい。。。

.
でもこの左手に持っているブラディー・メリーに浸かった生ガキ! 最高でした。 世界各地で食べた絶品の項目に加えたい味です。 アイルランドの生ガキもクセがなく美味しかったです。 

.


夜はアイリッシュ・ミュージックが聞けるのですが、食事をしている最中に、好きな"Galway Girl"が聞こえて来たのでビデオに撮ってみました。 なんとも曲がアイルランドっぽいですね。 この曲は映画"P.S. I Love You"の中でも登場しますが、まだこの映画を見たことのない人はぜひ見て下さい! 涙なしでは見れませんが、大変心が温まります。

Monday, December 20, 2010

Henri Ⅳ

アンリ4世。 
今年は彼の没後400年にあたり、名君として国民に人気がある為、あちこちで彼のエキシビジョンが行われています。 そんな彼にここナントは大変関わりが深いのですが、彼が王に即位したのはフランスの宗教改革の真っただ中。 1589年、アンリ3世がカトリックのドミニコ会士に殺害されアンリ4世として就任。 その後カトリックをフランスの国家的宗教としつつ、多くの制約はあるもののプロテスタントにも宗教の自由を認める宣言を発布。 これが行われたのがここナントのお城で、これを“ナントの勅令”と言います。
その後1610年、これまたカトリック教徒に殺害されるのですが、彼の遺体は他の王と共にサン・ドニ大聖堂に納められます。

ここからが新しい話題。 16日付のニュースになっていたのですが、彼の遺体もフランス革命の時に棺から暴かれ、他の王妃王女と共にごちゃ混ぜに穴に突っ込まれるのですが、その時に彼の首は切り取られ持ち去られます。 その後何人かの手を渡り、再び世に現れたのが今から100年前、あるオークションに掛けられたときらしいのですが、当時はその信憑性が低く、ルーヴル美術館に寄贈しようともしたのですが美術館からも断られたとのこと。 その後も幾人かの手を経たそうなのですが、今回そこに科学のメスが入り、400年振りに本物と断定されたそうです。

しかし、名君も亡くなった後にこんな運命をたどるとは思ってもいなかったでしょう。 近年になってやっとルイ17世もサン・ドニ大聖堂に納まったことだし、早くアンリ4世もサン・ドニ大聖堂に戻してあげてもらいたいものです。

タイムリーなニュースでした。

明日からしばらくフランスを離れて、新年まではアイルランドはダブリンへ滞在です。

Saturday, December 18, 2010

nantes

今週は1週間で2つの町で公演です。
週の前半はリヨンの近くSt.Etienne、ここはパリから2時間以上も南に下がったのに随分と雪が多くて寒かったです。 今週は休みが移動日なので休みなし。 パリからひいていた風邪の悪化で、着いた日はダウン。 でも次の日には回復しました。 少し離れた町まで仕事の前に行ってみようかとは思ったのですが断念。 ということで街の感想はナシです・・・。

で、次はまた随分と北へ移動。 効率の悪い移動ですが、いまは北西部にあるNantes。 今回も会場の近くに泊っているので街からは離れているのですが、昨日の午前中、電車で街まで行ってみました。


ここナントはロワール川が大西洋に流れ込む場所に位置しているのですが、16世紀から18世紀にはいわゆる三角貿易でフランス貿易の40%以上を占めて、国内最大の貿易港となっていました。 ナントには1700年代151隻ものアメリカ大陸用の船を持っていて、大量の黒人奴隷をアメリカに向けて送りました。 18世紀後半にはボルドーがフランス一の貿易港となるのですが、その間黒人奴隷貿易で、多くの富豪が生まれました。

写真は”ブルターニュ公爵城”。 1207年建造、1466年に再建。 13世紀から16世紀までブルターニュ公の住居で、1532年以降はフランス王家のブルターニュでの居城となりました。
現在は修復されて博物館となっているようです。


城の外からの眺めは豪儀なのですが、いざ中に入って見るとガラーンとしていてちょっと拍子抜け。 それでも建物の装飾は美しいです。


ナントはフランスのビスケット会社大手の”LU"ルフェーヴル・ユーティルの発祥の地なのですが、ダウンタウンにはその工場跡がギャラリー・スペース/カフェとして残っています。 第2次世界大戦でこの塔は破壊されたのですが、1998年に再建されたそうです。

ナント大聖堂。 特に目立った解説もないカテドラルなのですが、1434年に建設が始まって、完成を見たのが1892年だそうです。 1972年には火災に見舞われたのですが、現在は美しい姿を取り戻しています。


この中で注目されるのはこのブルターニュ公国最後の大公フランソワ2世の墓だそうで、16世紀の作です。



大変細部の装飾が細やかで、作品としてでも美しいです。


この彫刻、500年も前の物には思えません。

今フランスでも冬の風物詩クリスマス・マーケットがあちこちに建っているのですが、こんなカヌレのブースもあります。 まだフランスに来てからカヌレを食べていなかったので食べておきました。


でもやはりクリスマス・マーケットは”ヴァン・ショー”!! ホット・ワインです。 アルコール度もそんなに高くないし、仕事前でも気にしない! 温まります。

沢山の人でどこのマーケットも賑わってます。


街で見かけた古いお菓子屋。 洋ナシの砂糖漬けなんかもありました。 う~ん。高いけどおいしそう!


ここはフランスの史跡にもなっている”パッサージュ・ポムレー”。 1843年からあるアーケード型のショッピング・モール。 モールの走りの様なものですかね? とくにこれといった店が入っているわけではないのですが、なんともエレガントなモールです。

Tuesday, December 14, 2010

philippe alvergne

金曜日。ショーは夜の1回だけだったので、パリ最後の日中を過ごすために今日は一人でプラプラ街歩き。
今日攻めるエリアはrepubliqueとbastilleとルーヴル美術館を結んだ三角地帯。 ここはオシャレな店の集まるマレ地区も含まれていて、メジャーなブランドから小物屋さん、スーツ屋にレストランやカフェが集まっていて、どんな通りもくまなく歩くといろいろなものを発見出来る楽しい場所です。

ウィンドーショッピングをしていると時間を忘れてしまいますが、特に今回自分が気に入ったお店がPhilippe Alvergne。 もともとKENZOなどで働いていた人らしいのですが、4年前に自分のブランドを立ち上げたそうで、小さなお店に、まるでオートクチュールの様にしっかり作ったセンスのいい服がたくさん並んでいました。 有名なブランドを除いて、やっぱりファッションの街だなぁと感じるお店でした。 パリに来てから何も買い物をしていなかったのですが、アルパカの大きなストールが30%オフだったので、まだメジャーなブランドじゃないし、気に入ったので買ってしまいました。
http://www.tremblay-alvergne.com/

ところでパリでは先日大雪だったのですが、どうやら23年振りの大雪だったそうです。 お陰で3回目のショーは客が随分少なかったです。

今日は最近自分のIpodで聞いている曲を紹介。
JoshGrobanの新しいアルバムが先日出ましたが、その中のガリレオ。



この中の“誰が空に虹を架けるのか?誰が夜空の星に灯りをともすのか?”という歌詞が好きです。



その他はここのサイトでも聞けます。
http://www.joshgroban.com/

Sunday, December 12, 2010

chateau de chantilly

前日パリは1日中雪が降って、あたり一面銀世界になりました。
今日は仕事の前にパリ近郊にあるルネッサンス様式の城”シャンティイ城”へ行って来ました。


駅から城までは2キロの道を歩かないといけないのですが、雪がまだ積もっていた為に景色はいいものの歩きにくかったです。。


20分ほどでこの美しいシャトーが目に入ります。


この城は19世紀に完成しているのですが、オマール公の絵画、工芸のコレクションが“コンデ美術館”として展示してあって、絵の並びなど全て当時のままだそうです。


色々な形をした屋根が並びます。


城の周りには堀があるのですが、城が反射する景色が美しいです。


入口にはルーヴル美術館にあるミケランジェロの奴隷の像2体が立っています。


ここが晩餐の部屋。 ここで食事をしていた様子、想像つきますね。


ここが絵画の陳列室。 彼の美術品のコレクションが並びます。
著名な作家の作品も多く、作品量はさほど多くはないもののセンスのいいコレクションです。




城のチャペル、過去の城主の心臓が納められているそうです。



ここは宮廷料理人ヴァテールがシェフをつとめていた所。 ルイ14世を招いて開催した3日3晩の大宴会を成功させて、王を感嘆させた料理人。 3日目の朝、食事に使う魚が届かなかった為に自らの命を絶ったそうで、映画にもなっているので一度見てみようと思います。


雪に覆われていますが広大な庭園です。 シーズン中は綺麗なのでしょう。


マカロン。 ここ3週間、あちこちのマカロンを試していますが、自分にはいまいち味の違いが分からない・・・。 個人的にはLadureeのが中の餡が固くて好きだったような。 ここの"jean-paul hevin"は日本人もいっぱい押し寄せてるお店です。 ま、味は普通。
http://www.jph-japon.co.jp/


日の暮れたバスティース広場。

Wednesday, December 8, 2010

st denis


パリは冬真っ盛り。。。 毎日どんよりと曇って雪の舞う日が続いています。
今日は電車でちょっと離れた所にある“サン・ドニ大聖堂”へ行って来ました。 あまり派手な教会ではないのですが、ここは歴代フランス君主の埋葬地となっています。 ほとんどのフランス王と王妃のがここに眠ります。


教会の起こりは、聖ドニはフランスで布教の最中モンマルトルの丘で首をはねられ殉教たのですが、彼はそのまま死ぬことなく、自分の首を持ったまま歩きだし、この地に辿り着いたときに絶命して倒れたそうです。


一階の祭壇の周辺には彫刻を施されたお墓が並びます。


このような墓もフランス革命期に開けられて、遺体は近くの穴に埋められてしまったそうです。


これが初期のサン・ドニの墓。 地下のクリプトの奥にあります。




確かルイ16世とマリー・アントワネットの祈る像。

.
そしてクリスプの中心にあるのがこの墓で、真中左側がマリー・アントワネットで、その隣がルイ16世。 彼らは処刑された後はマドレーヌ寺院に埋葬されていたのですが、ナポレオン失脚後に王政復古がなされて、ルイ18世はルイ16世とマリー・アントワネットの遺骸を探すように命じ、
王と思われるわずかな骨と、ガーターベルトを含んだ灰色の物質が1815年に発見されてここへ埋葬されたそうです。
その他穴に埋められた穴も雨られたものの、すでに誰の遺骸かを判別するのは不可能だったらしく、ここのクリプトの納骨堂に納められ、王族の名前が順に記されたそうです。 
ルイ18世自身もこの写真の墓に納められています。
.

この絵の少年はルイ16世とマリー・アントワネットの間に生まれた次男ルイ・シャルルことルイ17世。
彼の人生は悲劇に満ちていますが、彼には兄がいたものの4歳の時に死亡、母マリー・アントワネットの浪費がひどくなった1つの原因となったのですが、彼が生まれた頃にはフランスの絶対王政が揺るぎ始めた頃で、1789年にフランス革命が勃発、2年後一家は民衆によってタンプル塔に監禁されます。 この時ルイ=シャルル6歳。 間もなく彼は家族と引き離され数ヶ月間靴屋の夫妻に預けられます。 しかし扱いは大変ひどく、虐待されていたと言われています。 1792年、母マリー・アントワネット処刑、1793年、8歳の時に父ルイ16世が処刑され、その後叔父ら反革命派によって“ルイ17世”と呼ばれるようになります。
革命の真っただ中で監禁された身だった為戴冠式も行われず、ルイ・シャルル自身も国王と呼ばれていることすら知る由もありませんでした。
靴屋の夫妻のもとを離れるとタンプル塔の日の当たらない部屋に2年間も捨て置かれます。 1日に1回食事を持った革命軍の人間が”カペーのガキ”とだけ言葉をかけて生存確認をする以外誰とも会話をすることがなかったそうです。 1795年、彼が10歳の時に病死しているのが見つかります。 死因は結核で、遺体は共同墓地に埋葬されます。
その後、彼の心臓と言われるものが何人もの所有を経たのですが、2000年、マリー・アントワネットの遺髪と末裔とのDNAの照合が行われたのですが、その結果この心臓はルイ17世の物に間違いないことが判定され、2004年6月、ようやくここサン・ドニ大聖堂に埋葬されるに至ります。
.
.
これがそのルイ・シャルルの墓。 悲劇の10年を生き、死後200年以上も経ってやっと家族のもとへ落ち着くことが出来ました。
.
.
彼の小さなミイラ化した心臓。 さぞ苦しい思いをしたことでしょう。
.
.
カナダのもとスケーターで、パリに住んでいる友達がここのショコラショー(ホット・チョコレート)が一番美味しいと言っていたので、連れて行ってもらいました。 ルーヴル美術館からも近いです。
.

カフェ・オレと同じくショコラショーもフランスでメジャーな飲み物ですが、普通にイメージするホット・チョコレートと違い、ここのは本当にチョコレートを溶かしただけの様な濃厚さ。 自分も何カ所かのそれを試してみましたが、ここのはちょっとミルクっぽ過ぎたかな? 自分的にはPaulのショコラショーがビターで好き。 是非頼んでみて下さい。


一緒に頼んだのはミルフィーユ。 やはりフランスにいたら一度は食べないと・・・。
とにかくフランス中にパティシエが無数に点在していて、美味しいそうなマカロンやデザートが並んでいるのですが、フランス人の友達に、本当にフランス人はそんなに甘いものを食べるのかきいたら、やはりデザートは欠かせないそうで、他の国に行って美味しい甘いものがないと不満だそうです。 これは男女共通らしいです。