Wednesday, February 12, 2014

enola gay

再び首都ワシントンへ戻って来ました!
せっかくの休みなので、いつもの通りスミソニアン巡り。
 以前からず~っと工事中のワシントン・、モニュメント。 2度ほど登ったことがありますが、ここ最近はずっと工事中な気がする・・・。

 ここのナショナル・ミュージアムにも幾度となく足を運んでいますが、いつもこれだけの名画の数々が無料で見られることには驚きます。 ここの美術館についてはもう何度か書いていると思うので、改めて更新することもあまりありませんが、ちょっとだけ加筆しておきます。 ちなみにこれは以前にも載せてたフィリッポ・リッピの聖母子像。 ダヴィンチやラファエロも沢山並んでいますが、今回は省きます。
 ボッティチェリによるジュリアーノ・デ・メディチの肖像画。
彼はフィレンツェの象徴であるドゥオーモで、1478年、兄ロレンツォ共にパッツィ家の陰謀で襲われ、彼だけ命を落とした悲劇の人。
当時フィレンツェは、金融業でも権力でもメディチ家とパッツィ家は対立。 ローマ教皇、ピサの大司教なども共謀し、ドゥオーモでのミサの際にメディチ兄弟を襲撃します。 兄のロレンツォはかろうじて難を逃れて、その後パッツィ家へ容赦のない報復をします。 その後ローマ教皇を巻き込み戦争になりますが、教皇が薨去したのをきっかけに事態が収束、ロレンツォの支配体制が確固たるものになります。
ちなみにこのジュリアーノの遺児は、その後ローマ教皇クレメンス7世となり、ラファエロを引き立て、コペルニクスの研究を支援、晩年ミケランジェロを呼びよせてシスティーナ礼拝堂の壁画の依頼をする人物です。 イングランドのヘンリー8世の離婚問題で対立したのもこの教皇。
親子共々大変な人生を歩んでますね・・・。
1606年に描かれた、ルーベンスによるジェノヴァの名門ドリア家の侯爵夫人ブリジーダ・スピノラ・ドリアの肖像画。  この部屋にはヴァンダイクも沢山飾られていますが、ルーベンスは輝きが違いますね。
ワシントン観光も特に目新しいところも無く、今回はどこへ行こうかと迷っていたのですが、そこで気になったのが、去年デートンの航空博物館で長崎に原爆を落とした”ボックスカー”からその居場所が気になっていた”エノラ・ゲイ”。
確か大学の頃にその”エノラ・ゲイ”をここワシントンのスミソニアン博物館に展示すると言う話で、かなり大きな論争が起こったのは記憶にあるものの、もう何度も訪れている博物館では一度も目にしたことがなかったので、実際そこのインフォメーションで聞くと、スミソニアン航空博物館の別館に展示してあるとのこと。 が、そこはダレス空港に隣接してあって、車がないとちょっと不便な場所・・・。
休み2日目の今日は、1日使ってそこまで行って来ました。 
今年は航空宇宙関係の博物館へ来ることが多い様な気がしますが、ここスミソニアンの別館は2003年にオープン。 名前を”スティーブン・F・ウドヴァー・ヘイジ・センター”と言います。 一見どうやって発音していいのか迷ってしまうような名前です。
ダウンタウンからここへ来るには、公共交通機関を乗り継いで来ても片道$10近くで、1時間半ほどかかります。 どうせだったら空港直行のシャトル出来た方が、値段も変わらず時間の短縮になると思います。 しかも空港から博物館へ行くミニバスは便数が多くなく、それを逃してしまった自分とダラスから来たと言う、同じく博物館へ行く便を逃した人と、結局空港からタクシーで行きました。
どうやら以前はダウンタウンの本館から無料シャトルが運行されていたそうなのですが、現在は廃止されています。(なかなか短期間のワシントン観光の人は、ここまで足は伸ばせないと思います・・・。)
”エノラ・ゲイ”。 1945年8月6日午前8時15分。 この飛行機の機体からたった1つの爆弾が投下され、広島市の人口の約半分の16万という数の人々が数カ月以内にその尊い命を失いました。
以前ボックスカーを見た時よりもショックの度合いは大きくて、この機体の下に立った時、胸に重い何かがのしかかって来るような感覚になりました。 70年前の史実を歴史のひと幕で起った惨劇と言うには、目の前の機体はあまりにも輝き過ぎていて、決して褪せた白黒写真の中で起った出来事ではないと言うことを、実際このB-29を目の前にして思い知らされた気がします。
この銀に輝く機体。 快晴だった真夏の広島の上空でも眩しい光を放っていたことでしょう。
あまり見学の人も多くなかった館内、しばらく合掌させてもらいました。
 
広島出撃前のティベッツ大佐。
人はみんなそれぞれの正義があって、その大義名分を政治は利用して人類に悲劇をもたらす。 誰だって自分の家族が傷ついたり、その命を失ったりすることなんて望まないのに、一度狂った歯車は常識や倫理、大衆を飲みこんで暴走してしまう。
どの国が正しく、どの国が間違っていたかなんて、その時代時代で受け止め方は変わるだろうし、どちらの国にも善と悪が存在しているでしょう。 
問題なのは、その時人間は人間に対して何をしたのか。 スミソニアンの自然史博物館にありました。 ”世界の人類は、どの人種も99・9%同じである”と。
さて、人類は過去から何を学んで、これからどのような歴史を刻んで行くのでしょうか? 
是非沢山の人に実際にこの場に立って、色々なことを考えてもらいたいです。
日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、ロシア、イタリア、どこを責めても未来の構築は出来ないでしょう。 未だに戦争は続いています。 一部の権力を握る人達が、これ以上尊い人命を犠牲にすることがないよう祈ります。
“桜花”。 昭和20年に導入された特攻機。 隣の機体に搭載されて切り離され、そのまま敵艦に突撃すると言うもの。
10度の出撃で駆逐艦1艘を撃沈、数艘に損傷を与えたのみ。 大体は攻撃前に発見され母機もろとも撃ち落とされ、桜花のパイロット55名、母機の搭乗員368名の命が失われたのみ。 戦争である一国のみを責めることは出来ません。
この桜花、ここスミソニアンとイギリス、日本に一機ずつ保存されているそうです。
さて、戦争の話はここまで。
この写真の機体は一体何でしょう?  後部はこんなにまっ平ら。
先っぽはこんな感じ。 
そう、エール・フランスが世界に誇った超音速旅客機“コンコルド”!! 
2003年に廃止されたのは記憶にも新しいですが、客席数100で、運賃はファーストクラスの20%増し。どう考えても商業的に採算の取れる飛行機では無かったのですね・・・。 しかし、普通8時間かかるパリーニューヨーク間を、たった3時間半で結んでしまう驚異の速さ。 飛行可能距離は短いので、大西洋は超えられても、太平洋は給油なしでは越えられなかったそうです。
日本にも5度だけ飛んで来たことがあるそうです。
さて、この奥に鎮座するのは一体?? 
その通り! 正真正銘、本物のスペース・シャトル!!! 
向井千秋さん、若田光一さん、野口聡一さん、星出彰彦さん、山崎直子さんも搭乗した”ディスカヴァリー”です。
 スペース・シャトルは何機製造されたでしょうか? コロンビア、チャレンジャー、ディスカヴァリー、アトランティス、エンデバーの5機ですが、自分の記憶にもよく残っていますが、86年にチャレンジャーが、03年にはコロンビアが爆発事故を起こして消滅しました。
このディスカヴァリーは2011年まで39回のミッションを遂行して、宇宙滞在322日、地球を5247回周回したそうで、これはスペースシャトルの中では最多の飛行回数だそうです。
後ろから見るとこんな感じ。
 びっしり張られた耐熱パネルが、まるで魚のうろこの様。
 
見た目はつぎはぎだらけの様で、ちょっとこれに命を預けて宇宙空間へ飛び出すのは不安な気も・・・。
いやぁ・・・さすがに実際に宇宙を飛び回っていたシャトルはオーラが違います。  これが宇宙空間にいたと思うだけでも頭の中でイメージが膨らみますね。
実は今回ここに来たのはエノラ・ゲイを実際この目で見たかっただけで、こんな本物のスペースシャトルがあるなんて知らなかったんです・・・。 いや、ビックリ!
施設には修復施設も併設されています。 
 3時くらいには見学が終わったので、その足でジョージタウンへ。
ここについては前回も書きましたが、そんなに広いエリアではないものの、ここの雰囲気が好きなので、ちょっと散策に寄りました。
ここも前回のブログで書きましたが、実はここワシントンでも人気上位のカフェだったんですね。
いつ行っても雰囲気のいい店内は人でいっぱいですが、しばらく本を読みつつのんびりしました。  こういう時間が一番心休まるなぁ。
外へ出るともう日暮れ。 氷点下で吐く息も真っ白ですが、この雰囲気に癒されます。 家に帰ったら温かいシチューでも・・・ な~んてことはありませんが。。。

Friday, February 7, 2014

the walters art museum

前回来た時はホテルの近所の治安の悪いマーケットまでこの"Crab Cake"(カニの身の寄せ集め)を食べに行ったのですが(結構いいお値段するので・・・)、今回は友達と食事と言うことで、初めてレストランで食べて来ました。 このプレートでも、食べてみるとかなりの量で、結局半分持ち帰って次の日のランチになりました。
カニの身は美味しいのですが、味付けも濃いので、自分的には普通にゆでた足の方が好きかな。。はは。
ボルチモアはカニで有名なのですが、なかなか楽しい夜でした。
前回のボルチモアのブログでも登場したここ"The Walters Art Museum"。 自分自身ここの展示内容についてはほとんど覚えていなかったのですが、今回ホテルから歩いて10分で、しかも入場料無料と言うことで、2度も来てしまいました。
1800年代に鉄道事業で財をなしたボルチモア出身のウォルター家のコレクションですが、これがなかなか素晴らしい内容で、1931年にヘンリー・ウォルターズが亡くなった際に、ボルチモア市に遺贈されました。 この様な内容の美術館が無料と言うのは素晴らしいですね。
では、いつもの通りランダムに自分の目に留まったものをいくつか紹介。
見ての通りの、日本からヨーロッパへ輸出された、説明には肥前と書いてありましたが、地肌の柔らかい味と美しいデザイン。 昔の鮮やかなヨーロッパ陶磁器に慣れていた人達の目には、随分と新鮮に映ったことでしょう。
西洋の名品に負けない美しさですね。
18世紀フランスの象牙の装飾。 細密なレースの様な細工ですが、機械も無い時代にすごい技術を持った人たちがいたんですね。
1900年代初めにフランスの有名なグラスメーカー、ラリックによるオーキッド。 花の部分は象牙細工ですが、忠実な写実に香りが漂ってきそうです。
作品はジャンルごとに分けられていたり、寄贈者ごとに分かれていたりするのですが、ふと見上げるとヴァンダイクの聖母子。 自分はルーベンスだと思って見上げたのですが、さすが師弟関係、画風が似てますね。
正面入り口から見て階段奥にあるのがこのフィレンツェのテラコッタ。
これは1515年にメディチ家から輩出したローマ教皇レオ10世が、フィレンツェに凱旋帰国をする際に飾られたものだそうです。 ご存知焼きもの好きの自分は、このフィレンツェの焼き物も大好き。 大体もっと小さな聖母子像で、周囲がレモンやその他で装飾されたものが多いのですが、このように大きなものはほとんど見ることはないです。
この釉薬の色が最高で、とっても柔らかみを帯びた色合い。 肌の白もほんのり青みがかっていて、その造形もさることながら、やはりセビリアやリスボンのタイルと同じく、この時代特有の色合いと手作り感が最高です。
これだけ大きな作品を、部分に分けて焼き上げて組み合わせるのは大変だったようですね。
真ん中にはメディチ家の薬の紋章。
Filippo Lippi / Madonna and Child 1446 - 47
ブログにも時々登場してくるフィリッポ・リッピ。 沢山同じような宗教画の並ぶギャラリーでも、彼とボッティッチェリの絵には目が吸い寄せられます。
Sandro Botticelli / Madonna and Child with the Young Saint John the Baptist late1490s
そのボッティチェリとその工房の作品。
Rafaello Sanzio / The Madonna of the Candelabra 1513
これはラファエロの作品なのですが、この作品がアメリカ大陸に渡って来た初めてのラファエロの聖母らしい。
この一見現代風な作品は16世紀の宮廷画家ブロンズィーノによる、メディチ家コジモ1世(ミケランジェロの葬儀も行った人)の息子の絵。 写真のない時代に、この様に絵を描かせるのは当然のことですが、富も権力も手に入れたメディチ家に生まれた赤ちゃんって感じですよね。
Guido Reni / The Penitent Magdalene 1635
レーニはヴァチカン宮殿の装飾もしていますが、カラヴァッジョの様な劇的な明暗や構図とラファエロの様な古典的な表現が混ざっているそうで、この絵からも伝わってきます。
The "RUBENS VASE" / Early Byzantine 4th Century
もともとは4世紀、ビザンチン時代のメノウの花瓶。 ビザンチンの皇帝の為に制作されたものの様ですが、1204年に十字軍がコンスタンチノープルからフランスに持ち帰ったらしく、その後西ヨーロッパの王の元を転々とし、1619年にはフランドルの巨匠ルーベンスが購入します。
これはそのルーベンスの描いたこの花瓶。 そんな花瓶が流れ流れて今はボルチモアで自分の目の前にちんと座っている。 不思議ですね。
この目を惹く祭壇は、15世紀末に北フランス、ノルマンディーの教会の為にブリュッセルで制作されたもの。 左からキリストの逮捕から中央が磔刑、右端で復活するまでの様子が表情豊かな木彫で表現されています。
人物一人ひとりの動きと表情が本当に豊かで、悲壮感はあまりなく、ついつい童話の一場面でも見るように見てしまいます。


これは1900年のパリ万博に出展されたティファニーのブローチ。
大粒のサファイアが煌びやか。
Jean - Francois Millet / The Sheepfold, Moonlight 1856-60
絵画もあらゆるジャンルがあるのですが、これは“落ち穂拾い”で有名なミレーの作品。 本人の言葉によると、”壮麗さと夜の恐れ”、この作品を見ている人達に歌、静寂、空気のざわめきを伝えたい。 と語っているのですが、それは150年の時を経ても薄れることは無いようです。