Tuesday, June 5, 2018

sri lanka

ツアーも滞りなく終了し、自分は一人旅の為に初スリランカへ。
スリランカのビザはオンラインで申請する方がお手軽で費用も少し安いし、スリランカへの入国も大変スムース。 イミグレーションとは思えないカウンターでさっさと入国できます。
空港でSIMカードも手に入るし、コロンビア行きのバスも簡単に見付かります。 渋滞の程度にもよると思いますが、45分程度でコロンボのフォート・ステーションに着きます。(130Rs=$0.85)
今回旅をするにあたって情報収集をするのに大変苦労したので、多少分かりやすくそのあたりの事も書いておこうと思います。
どこのバス・ステーションにも共通していますが、スリランカはバス網が発達しているので、かなりのカオス具合。 人込みをさっさと通り抜け、夜でもムッとした暑さの中歩いて宿へ。 街の中にまぎれた感じは、インドにでも来たようなイメージだったのですが、あちこちにある仏像を見ると、ここが仏教国であることを改めて感じます。
スリランカの歴史は植民地の歴史なので、コロニアルな街並みです。
ほんの数時間をお世話になった宿。 今回とっても親切にして頂いたこのお宿。
"Star Anise Boutique Capsules"
https://www.booking.com/hotel/lk/star-anise-boutique-capsules.ja.html
と言うのも、翌朝の出発が朝5:45の電車に乗る予定だったのですが、前日の到着も遅いし、朝もチケットを買うのは不可能だった為に、数日前に宿の方にお願いしたら、代わりにチケットを購入しておいてくれました。 しかも、朝一番の電車は1stクラスのみな為、数日前には売り切れになってしまいます。(数日前の購入でも席が最後の一席だったそうです。。ここの宿は素泊まりには十分すぎる設備があるし、フォート・ステーションも徒歩10分程度。相談次第では多少のお礼でチケット購入までもお願いできたので、利用価値大です!) 
スリランカ国内の移動はバスが大変便利ですが、長距離移動の場合は、渋滞などの事を考えると、時間を気にしながら旅する際には電車移動が安全だと思います。
早朝にもかかわらず、爽やかさを感じられない気温のなか駅へ。 すでに駅の外では商売をする人たち。
構内はまさにロンドンのチューブ。 この駅もイギリスの植民地時代に出来たのは一目瞭然。
電車のドアが開いている。。。
時間通りに出発。 1stクラス=エアコン付きの普通の指定席の電車。(それ以下のクラスは、窓の開いたすし詰め状態の電車。)
スリランカの電車は揺れるという話は読んでいましたが、う~ん。。。 たしかに揺れる。。。 でもよく考えると、逆に鉄のレールを何百キロと段差もなく延ばしている方がすごいことなのかもね。 (電車1000Rs=$6.50)
9:10に予定通り最初の目的地、古都”アヌラーダプラ”に到着。
駅を出るとトゥクトゥクの誘いだらけ。。。 声の嵐を通り抜け、その中の一人と交渉。 大体の観光ルートは決まっているし、自分の絶対に行きたかった場所も全てそのルートに入っていたので、半分壊れたバンのドライバーに決めました。 必死に値切りあっていた額を換算するとコーヒー一杯分くらいのことだったので、ちょっと馬鹿らしくなって妥協。 ドライバーさんが気分よく案内してくれるならそれでいいよね。。
まず初めに連れて行ってくれたところが"Wessa Giriya(ウェッサ・ギリヤ)”。
突如現れる巨石群に圧倒されますが、先史の頃から人が住んでいたそうで、紀元前500年頃にシンハラ人がインドから移住して来て、アヌラーダプラに都をおいてからは瞑想の場所となっていたそうです。
磐座の中にはこのような窪みがいくつもあるのですが、これは瞑想をする人達が座り続けた跡で、岩の上にも三年とは言いますが、一体どのくらい座り続けたら岩をも削ってしまうのでしょうか。。
スリランカの寺院の入り口には、必ずこのムーンストーンという、日本で言う沓脱ぎ石のようなものがあります。 このムーンストーンについての説明は後ほど。
かなり広い空間が岩の下に広がっています。 静かな空気が漂っていて、草の上を流れる風の音を聞きながら瞑想するには最適かも。
2000年以上昔の壁画。
壁画はシーギリヤの”シーギリヤ・レディ”が有名ですが、ここにもかすかに、シーギリヤの物よりも昔であろう壁画を見ることが出来ます。
人の大きさと比べれば、この磐座がどのくらいの規模か伝わるでしょうか。

ここは人の削った、建物のあった跡。

なんとも絶妙なバランスで巨石が並んでいます。


巨石の下には寝転ぶことの出来るテラスが。 運転手が、寝心地がいいから寝てみろとのこと。
自分の身長と昔のシンハラ人の身長は一緒なのか、お尻の部分から枕の部分まで含めてぴったりフィット! 本当に眠れそう。


遠くに眺められるのは世界最大の仏塔”ジェタワナラマヤ・ストゥーパ(Jetavanaramaya Stupa)”。
次に向かったのが”イスルムニヤ精舎(Isurumuniya Vihara)”
精舎とは読んで字のごとく仏教に精進する人たちの舎宅。 紀元前3世紀に、仏教の保護を目的に王が建設し、現在もその一部が残っているそうです。
スリランカでは寺院には入り口から靴を脱いで入らないといけないのですが、靴下を履くのはOK! 自分は以前サハラ砂漠を裸足で数時間歩いて、気が付いたら足の裏の皮が象の足のように変化していて(ほんの数時間で皮が変化したことにびっくり)、その後一か月くらいゴワゴワのままになってしまったので、ここは無理せず靴下着用。 土の上も裸足なので捨てるように一枚用意しておくのが賢明。 あと、膝から下を露出することも禁止なので、マーケットなどで安くサロン(こっちで男の人達の履いている巻きスカート)を手に入れておくと便利。
日本と同じく、神聖な場所には巨石があるようで、ここも中心はこの大きな岩。
見た目よりかなり急な階段で上まで上がることが出来ます。
ちょっと登っただけでも、すでにTシャツは汗だくなので、風が当たって気持ちがいい。
遠くには現在建設中の仏塔。 すべてレンガ造りで、中心部にも空洞が無く、そのまんまレンガの山! もう4年もレンガを積み続けているそうで、完成まであと数年だそうです。

仏塔は必ず右回り(時計回り)に回ります。
大きな菩提樹。
どこの菩提樹の樹の下にも、心洗われる空気が流れているような感じ。


ここは浅草の浅草寺の協力で色の塗り替えなどが行われているんだとか。 中の仏像も色鮮やか。 隣の岩窟の中には涅槃もあり、お坊さんがお経を唱えながら右手首に白い木綿の糸を巻いてくれます。 これは”ピリット・ヌーラ”と言われるもので、護身の意味があるそうです。 シンハラ語と英語で旅の安全を祈ってくれました。 このブログを書いているのが今日はこの日から一か月後。 未だ右手首に巻かれたままです。
ジャスミンの甘い花の香りが漂っています。
オジギソウ。 普通にあちこちに生えていますが、小さい頃に、食虫植物や、この手の植物に興味津々だったのを思い出しました。
イスルムニヤ精舎の裏には、大きな人造湖が広がっています。
歩いて5分ほどの場所にあるのがこの”ランマス・ウヤナ(Ranmasu Uyana)”。
ここはロイヤル・ガーデンと呼ばれる場所で、初めに建設されたのは紀元前3世紀のこと。 しかし、現在みられる遺構のほとんどは8-9世紀に造られたものだそうです。
ここには2つのプールがあるのですが、こちらが王のプール。 湖から直接水が引かれていて、そのまま下の水田に流れているつくりになっているそうです。
岩にはゾウのレリーフ。 この暑さの中水遊びをしている様子が目に浮かぶようです。

そして少し離れてあるのが王妃のプール。
こちらの方が広々としたつくりになっていますが、甘美な香りのする蓮の花やジャスミンの花も浮かんでいたのでしょうか?

そして、その横の岩の裏にひっそりとあるのが、この1.8メートルの円の彫られた”スター・ゲート”と呼ばれるもの。
世界最古の地図であるともされているそうなのですが、宇宙とを結ぶゲートとのオカルト的な説も。
 曼荼羅のようにも見えますが、天体図の様にも見えます。 もしくは水中生物を表しているとも。。。
野生動物があちこちに見られますが、見るも鮮やかな青い鳥、キツツキ、孔雀、猿も3種類いるのだとか。

先ほど見えていた建設中の仏塔。 登っている人の大きさと比べると、その規模が分かります。
次に向かったのはミリサウェティヤ・ヴィハラ(Mirisawetiya Vihara)”。
紀元前161年から137年の間に建てられたストゥーパ。

何度も荒廃を繰り返しながら、今に至りますが、来週のお祭りに合わせて化粧直し中。 梯子を連ねてバケツリレーで白く塗り直しています。


次に向かったのが”トゥーパラマ・ダーガバ(Dagoba of Thuparama)”。
ここがスリランカ最古の仏塔で、紀元前247-207年の間に建立されています。
歴史の間に何度も破壊されては再建されたのですが、ここには仏陀の右の鎖骨が埋葬されているそうです。
仏陀は入滅の七日後に荼毘にふされたのですが、その残った骨は取り合いとなったそうで、結局八等分して国々の王に分配され、10か所に埋葬されたそうです。
仏陀の入滅(説によると紀元前544年)から200年後、インドのマウリヤ朝のアショーカ王は、7か所の仏舎利を掘り起こして、それを細かく砕き、8万もの寺院に分配したのだとか。。。 日本などに伝わってきたいる仏舎利は貴石の類。
日本では仏舎利を納める仏塔は五重塔や三重塔に姿を変え、それはご本尊ではなく、やはり仏像を拝みますが、こちらでは仏舎利の納めてある仏塔が信仰の対象です。
仏塔の隣に広がるエリアには寺院の遺構が残されているのですが、保存状態も素晴らしくて、彫刻なども大変美しいです。


始めにも登場したムーンストーン。
聖域へ入る前に、ここを通ることで清められるような意味があるそうなのですが、中心部には蓮の花、その上には白鳥の行列、その外側がリヤベルと呼ばれる葉っぱの装飾、さらに外側には4つの動物。ゾウ、馬、ライオン、雄牛で、それぞれが生命の4つの段階である、成長、力、エネルギー、忍耐を表していて、縁には火の祭壇を表す炎が彫られています。(歴史家には宗教的な意味として輪廻を表していて、4つの動物が出産、腐敗、病気、死の四苦を描いていて、リヤベルの葉は世俗的な欲望、白鳥は善と悪の区別、蓮は最終的な成果を表すとも言われているそうですが、時代を追うごとに動物の種類が減ったりしていたり、生き生きと描かれた動物にこと考えれば、輪廻や四苦を表しているとは思い難い。。 地元のガイドはつたない英語では説明しきれないからネットで調べてくれ。。 と言う事だったので、自分は英語版のウィキを参考に解釈。)
大昔のアーユルヴェーダ?! 石棺ではなく、昔のスパ的なもの。 薬草の類を入れて入っていたそうです。 こんな体にぴったりの形じゃなく、もう少しゆったりとした形の方がよかったのでは?!
こちらはオリジナルの水洗トイレ?!
もちろんその昔には囲いもあったとは思いますが、こんなトイレがあったなんてすごい!
さて、巨大な仏塔”(Jetavanaramaya)”へ。 高さ122メートルで、高さこそ今では世界一ではなくなったそうなのですが、それでも大きさは世界最大。
当時1万人もの僧侶がここで生活をしていたのだとか。
お堂の跡。 8メートルもの高さの入り口があり、中には仏陀の立像があったのだとか。
現在はその形跡を残すだけ。
仏塔や仏像の下はこのようなつくりになっていて、仏舎利をはじめ、宝石や財宝が納められているそうで、植民地になる度に破壊され奪われたそうです。
マハセナ王(273-301)の時代に建設が始まって、息子の時代に完成したそうです。 約9300万個のレンガが積み上げられてるのだとか。 積み上げた人たちも凄いけど、それだけの数のレンガを作ったのも凄い。。

仏陀の身に着けていたサッシュやベルトがここに納められているそうです。
ナーガをはじめ、様々な彫刻も残されています。
凄い数のレンガです。
そこから歩いて次の場所へ向かう途中にあったのがこの菩提樹。
心地よい風の通る草むらに、光を浴びてひらひらと揺れる葉を沢山付けた大樹。
まさに仏陀が瞑想をしているかのような樹。
とても印象的でした。
”ルワヌェリサーヤ大塔(Ruwanwelisaya Dagoba)”
紀元前161-137の王の時代に建立。 仏陀は3度スリランカを訪れたとされていていますが、国内16か所が訪問地とされています。 アヌラーダプラでも数か所ありますが、ここもそのうちの一つ。


昼くらいになると石の地面は焼けていて、靴下で歩いていてもアチチチチチ。。。。 現地の人達の涼しい顔で裸足で歩く姿に、その順応能力を感じます。
19世紀まではこのような荒廃した遺跡となっていましたが、20世紀初めに修復されたそうです。
次に訪れたのが、今回のスリランカの旅で一番訪れたかった場所。
”スリーマハー菩提樹”。
ガウタマ・シッダールタ(サンスクリット語的にはこの発音に近いらしい)は、35歳の時にインドのブッダガヤの菩提樹の木の下で悟りを開き”仏陀”となりますが、現在ブッダガヤにある菩提樹は4代目で、じつはここのスリーマハー菩提樹が挿し木されたものです。
このスリーマハー菩提樹、紀元前288年、インドのアショーカ王の一番上の娘が、ブッダガヤの菩提樹から枝を持って来てここへ植えたもの。 人類が挿し木をした記録の中では最古のもので、実に樹齢2300年を超えています。 未だに釈迦が悟りを開いた菩提樹の枝が生き続けているのには驚愕です。
ここには何本もの菩提樹が植えられていますが、これも挿し木で増やしたものでしょうか?
スリーマハー菩提樹は上段に植えられています。
1891年の同じ場所の様子。

テラスの上には大きな樹があるのですが、それは別の木で、スリーマハー菩提樹はこの金の柱で支えられた細い樹。 葉も落ちていて弱々しく見えたのですが、また時期になると葉は茂るんだとか。 樹の近くでは熱心にお経を唱えるおばあちゃんたち。
落ちている葉を持ち帰るのは自由なようで、さすがにこの樹から落ちた葉ではないと思うのですが、近くに落ちていた葉っぱは頂いて来ました。
数年前からこの樹から500メートル以内に新しい建物を建設することは禁止されたそうなのですが、ここまで生きながらえているので、これからも宗教争いや天災に巻き込まれることなく生きていてほしいですね。

突然飛び出してきた猿。 噴水から水を飲む姿はおじさん。。。

お昼はスリランカ・カレー。
ご飯を中心に何種類かのカレーを乗せるのがスタイルのようですが、カレーはそんなにスパイシーではなく、食べやすいです。 地元の人達は手で食べていますが、慣れない自分はスプーンで。
これでアヌラーダプラの観光は終了。 バスの乗り場まで送ってもらって、ここからダンブラに向かいます。
国営のバスはひっきりなしに出ているのですが、これはエアコンなしでオンボロ。 大体30分に一便くらい出ているマイクロバスが、インターシティーと呼ばれるエアコン付きのバス。 国営バスが格安で、インターシティーは安い値段。 バスには行先と停車する町の名前が表示してあるので間違えることはないのですが、どのバスにも呼び込みのお兄ちゃんが同乗していて、大声で行先を叫んでいるので、旅行者でも迷うことが無くて便利。
座席をうろつくゴキブリに怯えつつダンブラに到着。
歩いてすぐの宿にもチェックインして、まだ時間があったので近くの”ゴールデン・テンプル(石窟寺院)”へ。 この辺りはトゥクトゥクの相場が決まっているようで、ぼったくられる心配はないです。 石窟寺院の往復+待ち時間で500Rs.=$3.15。

後から気が付いたのですが、トゥクトゥクのドライバーさんは裏口から表に抜ける行き方を案内してくれたらしく、山道は巨石がゴロゴロ。 霊験あらたかな雰囲気。


中腹からの景色も異国感たっぷり。
靴を脱いだらここからお寺に入ります。
ここまで来ると、この山が一つの岩であることに気が付きます。
大きな岩の窪みの中が寺院になっています。 5つの石窟があるのですが、手前から奥に行くにしたがって時代が新しくなります。
お寺の歴史は紀元前3世紀まで遡ります。
始めの石窟が一番古いもので、人工的に彫られていて、横たわる仏陀も岩山を彫って作られています。
仏陀が横たわるという言い方をしたのは、これは涅槃ではないということで、足の指がずれていて、目も半眼のままです。 瞑想中の仏陀です。


第2の石窟。
ここが一番広く、自然の洞窟です。
ここには水が染み出ているのですが、下の方で湧いた水が上へ伝って天井から雫となって落ちている不思議な湧水。

ここに配されている仏像はどれも状態がよく、ガイドさん曰く、この当時財源も豊かで、しっかりとした作りで出来ているからとのこと。
あと、部屋中に描かれた鮮やかなフレスコ画は、最後に修復された記録が350年前らしいのですが、大変良い顔料が使ってあるそうで、その鮮やかさを失っていません。 現在ではどのようにその顔料を作ったのかさえ分からないそうです。
同じ姿の仏像(みんな仏陀)がなぜこんなに多く並んでいるかは、大勢の人達が同時に入って来ても、それぞへの人の前に一体の仏像が来るようにと言う事らしいです。
仏陀は5つの違うポーズをしています。

天井の絵も大変鮮やかで美しいものです。





息をのむ空間が広がっています。

スリランカではこの架空の動物に時々出会いますが、ガイドさん曰く龍のようなものだそうで、自分的には狛犬かな?とも思います。 尾は孔雀の羽だそう
3番目の石窟。
こちらはキャンディの王で、ここは彼が造った部屋。
この頃には資金繰りの影響で、そこまで高価な資材が使われていないため、第二の石窟よりも傷みが目立ち、色の鮮やかさも劣ります。


最後の石窟ですが、随分狭い部屋で、天井画も虫などに削られたいるそうで、傷みも多く見られます。 中にある仏塔は姫のものだったらしいのですが、35年前に盗掘に遇ってしまったんだそう(先に述べた通り、仏塔の中には貴金属が納めてあるので)。 盗まれたものは発見されていないのですが、ガイドの人曰く”犯人には悪いカルマが付いたので、来世ではろくなものに生まれ変わらない。”の一言。 日本の大乗仏教のような地獄に落ちるではなく、小乗仏教ならではですね。
古い石窟の美しさと比べると、時代の新しいものは多少美しさに欠けますね。
外に出ると日も傾きかけていて、とっても気持ちのいい風が吹いていました。 景色を眺めることしばらく。



岩山を逆に降りて正面へ。 なかなかインパクトのある建物。。
トゥクトゥクのドライバーさんが、眺めのいい場所があるからと岩山の裏へ。
ここからの夕焼けは最高に美しいものでした。
なかなか親切なドライバーさんだったので、明日のシーギリヤ観光も同じ人に頼むことにして、朝の待ち合わせ時間を決めて長い一日終了。
次の日は朝8時の待ち合わせでシーギリヤへ。 トゥクトゥクに揺られること約30分。 ライオン・ロックの入り口に到着。 シーギリヤへは往復と2,3時間の待ち時間でRs.1500=$9.46。 ミュージアムでチケットを購入してから長い歩きが始まります。
5世紀の事、ダートゥセーナ王には平民の母を持つ長男カーシャパ1世と、王族出身の母を持つ弟のモッガラーナがいましたが、477年、弟に王位を取られることを恐れたカシャーパ1世(Kashyapa)は、いとこで軍司令官だったミガラと組んでクーデターを起こします。
弟に王位を奪取されることを恐れ、カーシャパ王は首都アヌラーダプラを離れ、ここシーギリヤの岩山の上に王宮を建設します。
カーシャパの即位から7年後には王宮が完成、都として機能し始めますが、その10年後には弟の軍により陥落するという歴史を持っています。
短期間に建設されたとは思えないような計画都市で、周囲には堀も巡らされています。
1500年以上の時を経ても、建物の遺構が見られます。



岩山の上に宮殿が建ち、街にも建物が並んでいる姿を想像すると、カーシャパの美しい理想郷が目に浮かびます。
宮殿に続くまっすぐな道のわきにはプールと噴水があり、女の人達が水浴びもしていたんだとか。。 多分甘い香りのする花々も浮かんでいたのでしょう。 このようなアプローチのモデルとしては最古のものの一つだそうです。
カーシャパは狂王のように言われていますが、自分はここに立ってみて、バイエルンのルートヴィッヒに共通するような、心の奥底にどうにもならない闇を抱えつつも、美しいものを追い求め、理想郷の中に孤独に生きた人だったのでは?と感じました。
ただの親殺しの、反逆を恐れて密林に都を築いたという定説は、どう考えても当てはまらないと感じました。
ここも巨石が並んでいるということは、やはり磐座だったようで、紀元前1-2世紀には修道院として機能していたそうです。

巨岩の数々に圧倒されます。
この岩が結界かな?
この辺りから上へ上がり始めます。
眼前にそびえる岩の壁。
中腹上にあるのがシーギリヤ・レディで有名な壁画。

岩に張り付いた通路を進みます。

螺旋階段を上がったところに壁画群があります。
壁画は撮影禁止ですが、18人の美人画が描かれています。 当時は500人も描かれていたのだとか。
ここは鏡の壁と呼ばれるところで、樹脂と蜂蜜を混ぜたものを塗ることで鏡のようになっていたのだとか。 王がここを歩くとき、自身の姿が映るようにしたそうです。




時期によっては蜂が多くて怖いらしい。。

岩山は2段階になっていて、中腹にあるのがライオンテラス。
現在はライオンの足しか残っていませんが、当時は大きなライオンの口の中に入るような作りだったそうです。

この大きさが分かりますか?
あと一息で頂上です。


今のような便利な階段が出来る前は。。。まるでボルダリング。


結構スリリング。
そして頂上の宮殿跡へ。 まるで天空の城ラピュタです。





上ではいい風が吹いています。 ここまで上がって汗だくなので、しばし木漏れ陽に入って休息しつつ、往時の姿を思い浮かべます。
岩を削って大きなプールも。
上から眺めた都市の様子。
観光客のいないエリアまで散策していてふっと現れた岩陰のこの池。 全ての建物からも死角になった小さな池。
これを見た時に、”あぁ、やっぱりカーシャパは空虚で恒久なもののない現実に、どのように美しいものを創り上げてもどこか虚しく、天空に上げた地上の池と睡蓮を眺めつつ、近い未来に自分の命が絶たれる気配を感じながら、当たり前の小さな幸せに憧れていたんだ。”と確信に近く感じました。







岩山からそのまま削り出した”玉座”。
柱の跡も残っているので、屋根もある作りになっていたと思いますが、どのような気分でここに座っていたのでしょうか。。
495年。
ついにその日はやって来ます。 南インドに亡命していた弟モッガラーナは、王位奪還の為にシーギリヤに軍を進めます。 初めこそカーシャパが優勢でしたが、ここまでの防衛設備を備えた都でも、運命の流れを止めることは出来ず、王は喉を掻き切って自害。 シーギリヤは陥落します。
モッガラーナは仏教徒にシーギリヤを渡し、首都をアヌラーダプラに戻します。 14世紀頃までは修道院として存続しますが、その後衰退、放棄されてしまいます。


まるでジェットコースター。。



下に降りてから改めて見上げると、その大きさに圧倒されます。



周囲にも岩を削って作られた建物。

こんな岩にも上っていた跡が。。


少し離れてから眺めたライオン・ロック。 マグマの固まったものが露出したものだそうで、195メートルの高さがあるそうです。
近くには似たような岩山も見られます。
昼過ぎにはダンブラまで戻り、ここからはインターシティに乗って次の街キャンディを目指します。 約2時間でキャンディ到着。 360Rs=$2.30
そこから予約している宿を目指しますが、トゥクトゥクのドライバーさんも場所を見つけるのに一苦労。 Booking.comの地図の場所には宿はなく、全く別のロケーション。 いつもBooking.comを使っているのに、こんなトラブルは初めてのことで、宿はキャンセル。 結局ここには止まる予定にはしていなかったのに、キャンディの老舗ホテルQueen's Hotelに移動。
1840年に、キャンディの国王によってアパートとして建てられた、スリランカでも一番古いホテルの一つ。
リノベーション感がない。。。 
まるでヴィクトリアンの時代にタイムスリップしたかのよう。
が。。。 人ではない、いや~な感じのものも一緒に住んでそうな。。><

バルコニーからは19世紀に初めにキャンディの王が、12年の歳月を費やして造った人造湖、キャンディ湖が見えます。
キャンディはイギリス統治時代の面影がちらほら。
スコットランド出身のジェームス・テイラーが、初めて紅茶の木をセイロンに持ち込んで植えたのがここ。 もともとセイロンではコーヒーを栽培しようとしていたのが失敗。 インドでお茶の木の栽培法を学んだジェームスが、1867年からキャンディにてお茶の木の栽培を始めます。
紅茶の生産は軌道に乗り、プランテーションの規模は拡大します。 そこで出会ったのがトーマス・リプトン。 言わずと知れたリプトンの創業者ですが、その頃家業の食料品店がイギリスで軌道に乗って事業を拡大。 当時の紅茶ブームに便乗して1888年から紅茶事業に参入。 お茶をディーラーから買うよりも、茶畑自体を買ってしまおうということでセイロンにやって来ます。
1890年、ジェームスはトーマス・リプトンとのビジネスをはじめ、リプトンは”紅茶王”と呼ばれるまでになり、ヴィクトリア女王からナイトの爵位まで受けます。
ジェームスは1892年にキャンディで死去、この地に埋葬されました。
この日はすでに遅かったので、カフェでお茶を飲んだり、マーケットなどを散策。

夜、ホテルはリノベーションがされていない=窓はちゃんと鍵も掛からないしあってないくらい薄い。。外の騒がしさは半端なし><+ミシミシ、ギーギーといろいろな物音。。。あぁ。。。やっぱりいい雰囲気しないなぁ。。。と思いつつ、それでも寝ようと努力しているときに部屋の電話がジリリリリリリーーー! びっくりして飛び起きて受話器を取るとプープープー。。。 背中がヒンヤリ。。。 再びラジオを聞きつつ寝ようとしていると、今度は窓際でガガガガーーーバンッ! 誰か侵入して来たかぁ?!?!?! と飛び起きて電気をつけても反応なし、カーテンを開けてチェックするのもドキドキしつつも、勇気を出してガバッ!っと開けてみると、カーテンがぐっしょり!! ウッド・フロアーにも水溜りが。。
次の朝、夜の惨事を伝えて、部屋の変更を頼んで、この日は楽しみにしていた紅茶のプランテーションへ。
公共の交通機関を使ってのプランテーション観光はあまり現実的ではなかったので、ドライバーさんを一日お願いして行って来ました。
目指すはお茶の一大産地”ヌワラ・エリヤ(Nuwara Eliya)”。
まずドライバーさんが連れて行ってくれたのはここ"Storefield Tea Factory"。
スリランカの紅茶は有名な紅茶ブランドが畑を経営しているのではなく、広大なプランテーションをいくつかの会社が経営していて、茶葉になるまではそのそれぞれの会社が製造。 その後全てのお茶はコロンボの紅茶市場に集められ、毎週水曜日にオークションが行われて紅茶会社に買われていきます。 と言うことで、有名な紅茶会社は数あれど、元の紅茶は同じと言うことになります。
ここは小規模ながら、工場の見学と紅茶のテイスティングが無料だそうで、ガイドさんが丁寧に案内してくれます。
これは最近話題のホワイト・ティーのお茶の木。
この日は作業がお休みだったのですが、ここで茶葉を半乾きにします。

そのあといくつかの工程を経て紅茶が出来上がっていきます。
この網で茶葉がサイズごとに選別されます。
スリランカでは茶葉の大きいものから
OPA(オレンジ・ペコー・エイ)刻まれてない大きな葉っぱ。少しのよれ。
OP(オレンジ・ペコー)Aよりも小さめの刻まれていない葉っぱ。(自分も勘違いしていたのですが、この”オレンジ”はオレンジの香りとかではなく紅茶の色)
PEKOE(ペコー)それよりも小さな刻まれていない葉っぱ。新芽は少なめ。
FBOP(フラワリー・ブロークン・オレンジ・ペコー)BOPに新芽の含まれたもの。
BOP(ブロークン・オレンジ・ペコー)2~3ミリの大きさになったもの。一番人気。
BOPF(ブロークン・オレンジ・ペコー・ファニングス)もっと細かく、濃く抽出できるので、ミルクティーに最適。
D(ダスト)ふるいの一番下に溜まったもの。ティーバッグなどになるそう。
茶葉が大きい方が紅茶の色も薄くなります。
下にあるのはシルバー・ティー(ホワイト・ティー)とゴールド・ティー。 これらは新芽の一番上のみを摘んでいて、数時間だけ朝日に当てて作るのだそう。(朝日に当たっている時間が倍になったのがゴールド)
左が緑茶や紅茶になるお馴染みの茶葉。右がホワイト・ティーの茶葉。
右。Sinensis
左。Assamica
さて、お楽しみの試飲。。。 っていうか、凄い量!! 飲みきれないのでちょっとずつ。
右下から時計回りにホワイト・ティー、ゴールド・ティー、緑茶、OP、PEKOE、FBOP、BOP、BOPF。
ホワイト・ティーは高級茶葉で、ここでは年30キロしか収穫できないので貴重品。 国外で販売されている値段では手が出ません。 タンニンやカフェインは含まれていなくて、抗酸化作用が高く、抗がん作用や血圧を下げたりと、色々な効能があるのだとか。
飲んだ感じはほんのり甘くて、とってもまろやか。 ティー・カップに4,5枚の茶葉を入れて飲むのですが、一日に同じ茶葉で4,5回お湯を注いで飲むことが出来るそうで、そう考えるとコスパは悪くないのかも。
ゴールド・ティーはホワイトのそれよりも高価で、効能も強いそうなのですが、味はホワイトの方がよかったかな。 この二つは飲み干しました(貧乏性。。。)。
ストレートで飲むには、やはりBOPは味と香りのバランスが丁度良かったです。 それより濃くなるとミルクが必要。
緑茶はやはり日本の方が美味しいかな。
徐々に茶畑が見られ始めました。 ヌワラ・エリヤまではまだ1時間くらいの距離。


スリランカでは、月に4度も同じ木から茶葉が収穫できて、それを1年中繰り返すのだそう。。。 4年たったら枝を剪定。 日本だと新茶は”夏も近づく八十八夜”ですが、ここだと月4度も新茶なんですね。(日本では2番茶、3番茶くらいまでは摘むようですが)




年の3分の2は雨が降るそうで、標高が高いのに水は豊富。

オジギソウ。


ドライバーさん曰く、こんなに眺望の聞くいい天気はラッキーだよ。とのこと。
が、これも午前中だけのことで、午後には大雨。。
お茶を摘む人たちはインドからの出稼ぎらしく、その人たちの住む集落もところどころにあって、ヒンズー教の寺院もところどころに見られます。


来週からフル・ムーンのお祭りがあるので、それ用に着飾られるゾウも準備されています。
標高1868メートル。 ヌワラ・エリヤの街に到着。
1846年にイギリス人の入植者によって設立された町で、競馬場などまであるミニ・イングランドと言った感じ。 大きなホテルやクリケット場、緑豊かな湖もあって、バケーションには最適な雰囲気。 当時は鹿や象のハンティングも行われていたんだとか。
街を後に雨の中帰路へ。





かなりの雨量の中お茶を摘み続ける人たち。 お茶は全て手摘みなので、これからはお茶を飲むときにはこの人たちの事を思って感謝しないと。






途中、ドライバーさんが紅茶お奢ってくれるというので、峠の茶屋的なローカルな食堂へ。 キリ・テ(ミルク・ティー)。 大変に香りがよくて、味は香港ミルクティーのような感じ。 軽い甘みが身体にしみわたります。 美味!


スリランカでは大学まで学校教育が無料だそうで、ここキャンディにも大きな大学があって、寮や食事まで提供されるそうです。 キャンパスは緑も豊かでとっても雰囲気がよく、こんな不思議なジャワ・ビンローの巨木もありました。


夕方ホテルに戻って来た頃にはお祭りの準備がかなり進んでいました。
時計を見ると、ホテルの目の前にある佛歯寺(ダラダー・マーリガーワ寺院)の夕方のお祈りの時間が近づいていたので、お寺へ行くことに。
ここはその名前の通り仏陀の右の犬歯が納められているお寺。
4世紀初め、東インドのオリッサからスリランカにもたらされ、アヌーラダプラの法輪堂に祀られていましたが、王の権威の保証となり、首都が移転するたびに、佛歯も移されました。
一日に三度(5:30、9:30、18:30)のプージャと言う礼拝があって、その際には歯の納めてある黄金の厨子を拝むことが出来ます。
ここにあるムーン・ストーンはその形を随分と変えています。
靴を預け中へ。


建物に入ると、鮮やかなトンネル。
美しい木造のお堂があり、佛歯はこの二階に納めてあります。

プージャの始まる30分前はまだ人も少なく、蓮とジャスミンの甘い香りで満たされています。 この花は次々に参拝に来た人たちが並べて行って、かなりの量になるので、どんどんと時間の経ったものから集められていました。
これがお堂の中に納めてある佛歯の入った小さな仏塔。
15分くらい前から仏塔を拝む列ができ始めて、時間になると音楽とお祈りが始まり、しばらく待っていると列も進み始め、お堂の真ん中の小窓から遠くに仏塔を拝むことが出来ました。
観光客も多いのですが、わざわざ遠くから来たであろう仏教徒の人達も多く、お供え物がいっぱいになっていました。

下ではしばらくの間演奏が続いていました。
こんな様子。




この日の夜は中庭側の部屋に移動させてもらって、ぐっすり眠ることが出来ました。


キャンディ湖の真ん中には島が造られているのですが、ここには王宮からのトンネルが通じていたそうで、島はハーレムになっていたそうです。
かなりな数の魚。。


半日を街で過ごして、コロンボからのフライトが明日の早朝なので、夕方前にはインターシティーでコロンボに向かいます。
バス停のある市場の付近もお祭りの準備が整っていました。 中心にある仏陀には、当日まで白い布が掛けられているようです。
お祭り用品を扱う出店。 街のあちこちにこのランタンも下げられています。


市場にはフルーツがいっぱい。
キャンディまで来るバスではちゃんとした席が確保できず、補助席に座ってくねくねの道を苦労したので、今回は座席確保! コロンボまでも距離は長くないのですが、ハイウェイなんてものないので、これまたくねくねの道を4時間。。。320Rs.=$2.02

コロンボでもお祭りの大きな電飾が現れていました。
到着したバス停から、そのまま空港へ。
数日間のスリランカの旅でしたが、すべて順調に回ることが出来ました。 さて、いつかはインドにも行ってみるかな。。

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