Friday, September 20, 2019

glasgow


なかなかブログをアップする時間が無く、更新が遅れてしまいましたが、一か月を日本で過ごして、再びツアーに戻って来ました。
ここスコットランドのグラスゴーでのリハーサルももう何度目でしょう。。 まるで地元にでも戻って来たかの様です。
 着いて二日目のマチネで、丁度”ジョセフとアメージング・テクニカラー・ドリーム・コート”をやっていて、チケットも安かったので行って来ました。
イギリスに着いてすぐにミュージカル、戻って来た気がします。
このミュージカルは、もしかすると以前にも書いたことがあるかも知れませんが、ロイドウェバーとティム・ライスが学生だった頃に書いた、二人の作ったミュージカルの初期作品。
題材はカナンに生まれたジョセフが、エジプトに人質に取られて成長する聖書の物語ですが、子供ミュージカルの様に作られていて楽しい作品。 もちろん曲はとってもキャッチーで、自分もむか~しにはよく聞いていたミュージカル。 ジョセフ役を誰が演じるのかで話題になる作品ですが、今回はアイドル・グループ出身の俳優さんっだったのですが、歌が抜群に上手で驚きました。
マチネで客も半分くらいだったにもかかわらず、キャストのみんな全力投球で、脱帽です。 やはりシアター文化の国ですね。
誰かの撮ってたジョセフ役のJaymi Hensleyの歌う"Close Every Door"。
スコットランドの危険なお菓子”スコティッシュ・ショートブレッド”。
クッキーとかそんなに食べない自分でもアディクテッド気味。


今まで足を運んだことのなかった博物館"Kelvingrove Art Gallery and Museum"。
この豪華な建物は1901年のグラスゴー万国博覧会に合わせて建設されたもの。

歴史や自然、スコットランドやヨーロッパのアートなど、様々なものが広い建物の中に展示してあります。



18世紀の服飾の展示もありますが、日本の着物の刺繍の技も凄いけど、こちらの洋服の刺繍もまぁ細かい!





スコットランドと言えばネッシーですが、こんな恐竜も出てくるんだそう。




まるで宮殿のような建物です。
ダリの”サン・ファン・デ・ラ・クルスのキリスト”。
ある日ダリが宇宙の夢の中でこのイメージを見たそうで、ハリウッドのスタントマンにポーズをとってもらって描いたんだそう。 ダリ本人から美術館が買い取ったそうです。
とってもインパクトのある磔刑の絵。

建設する人が正面と裏を間違えて建ててしまったと言う噂が立ったというだけあって、裏側の方が豪華かも?
やっぱりスコーンは美味しいねぇ。
こう言うクレセント(三日月の意味で、円形に連なったこんなアパート)を見ると、必ずオリバーの”Who Will Buy"のシーンを思い出しますが、この映画のクレセントはスタジオに建設したものなんだとか。
しかも歌はマーク・レスターの声ではないんだとか。。




この日は以前にも一度行った、市内からバスで45分ほどで行けれるスコッチの蒸留所"Glengoyne"へ。
敷地に入ると発酵のにおいが漂っています。
建物の中は撮影が出来ないのですが、よくある銅製の大きな蒸留器が3つ並んでいて、スコッチは基本的には2度蒸留するそうです。
ここではスコッチにあるピートを燃やして麦芽大麦を乾燥することはしないのですが、それはピートが取れるのがもっと北の地方だからそうです。
スコッチは使用済みの樽を使って寝かせますが、シェリー、バーボン、ラムなど、アメリカン・オークやヨーロピアン・オークの違いで出来上がりの色や香りも随分と変化します。 これをブレンダーが混ぜて味を決めます。

12年、18年、21年を試しましたが、やはり時間が経つごとにまろやかになっていて、21年まで来るとツンツンした感じが全くなくなっていました。 香りも癖のない、ちょっとシェリーのような甘さがあっていい感じ。

この30年のボトルは700ポンド!

始めの週の週末、グラスゴーで一番ウイスキーが揃っているという"The Pot Still”へ行ってみました。 https://thepotstill.co.uk/
なんと700種類以上ものボトルがあるそうで、スコッチに関して全く知識が無いので、とりあえずいろいろと教えてもらうことに。
どんな味のものを試したいかを伝えると、数本ボトルを出して来てくれて、香りをかいでどれにするかを決めることが出来るのですが、産地がどこで、どういう蒸留所で作っているのか、味や香りなどについてかなり詳しく説明をしてくれます。


大体一杯5~7ポンドくらいで、色々なものを数杯試した後、最後は他の場所では飲むことの出来ないレアなものは無いか尋ねたら、奥の方から取り出してくれたのがこれらのボトル。
一番左のボトルを試しましたが、これは小さな蒸留所で作っていて、現地まで行って買い付けないと手に入らないんだとか。 隣に立っていたスコッチに詳しそうなおじさんも珍しがって写真を撮ってたくらいなので、かなりレアみたい。 大切にチビチビ頂きました。
次の日の休みは久し振りのエジンバラへ。




ここホリールードハウス宮殿を訪れるのも何度目? ここの宮殿は未だに現役で使用されていると言うこともあって、こじんまりとアットホームな雰囲気があって素敵な宮殿。
もともとは、今も宮殿の隣に廃墟として残っている、1128年に建てられた寺院(建設したデイヴィッド1世の前に、角の間に十字架(ルード)を頂いた鹿が現れたのが名前の由来)が始まりで、15世紀からはスコットランドの国王の住居として使われています。


スコットランドのシンボルのアザミ。

今でも王は夏の間に少なくとも1週間は滞在、色々な行事も行われるので、とってもきれいに整備されています。
内部を撮影することはできないのですが、様々な歴史的なイベントの行われてきた部屋が続きます。 ヴィクトリア女王とアルバートが好んで朝食を楽しんでいた部屋は、そこで二人の描いた絵なども残っています。
が、ここの宮殿の歴史の中でも、一番ショッキングな出来事と言えば、やはり”クイーン・オブ・スコッツ”と呼ばれるメアリー・スチュアート(1542-1567)をめぐる話でしょう。
メアリーの生まれる前、ヘンリー8世の時代からイギリスの王室はスキャンダラスと大事件の嵐。 
メアリーの生まれた直後にスコットランド王の父が亡くなったために、彼女は生後6日で王位を継承します。 イングランド王のヘンリー8世は亡くなる前に、唯一の男児だったエドワードと彼女を婚約をさせて、いずれはそのままスコットランドをイングランドに併合させようと考えていました。 
ヘンリー8世は亡くなり、エドワードが9歳にしてイングランド王となったため、エドワードの母方の伯父がスコットランドにメアリーを連れ去ろうを攻めて来ます。 メアリーは6歳でフランスのアンリ2世の元に逃げ、その後彼女はフランス宮廷で育ち、16歳の時にはアンリ2世の王太子フランソワと結婚をします。 同時期にイングランドではメアリーの血縁であるエリザベス(エリザベスのいとこの子がメアリー)が女王に即位。しかし、エリザベスは庶子であって、血統的にはメアリーの方が王として正しいと言うことでアンリ2世は抗議。 間を置かずしてアンリ2世が他界したためにメアリーはフランス王妃となります。
1560年、フランソワは16歳で病死。 子供の無かったメアリーは翌年にスコットランドに帰国。 メアリーには多くの再婚相手の話が舞い込みますが、エリザベスなど、政治的な妨害の為に実現しません。 そんな時に血統的、宗教的に申し分のない、容姿端もてはやされていたダーンリー卿が出て来ます。 これもイングランドからの強力な妨害にあいますが、1565年、二人は結婚。 ダーンリーにも様々な位が与えられるようになります。 が、お坊ちゃまでわがまま放題、美男子でももてはやされたダーンリー。役に立たない姿にメアリーは幻滅。二人の仲は急速に冷え込みます。
そんな時メアリーの近くにいたのが、イタリア出身の音楽家デイヴィッド・リッチオ。彼は明晰で有能、大変気の利く性格だったそうで、次第に重用し、寵愛するようになったそうです。
1566年3月9日。 狭いらせん階段進み、彼女の寝室に向かって数人が押し入ります。 そこからリッチオを拉致、隣の部屋での窓際でメアリーの目の前で数十回めった刺しにして殺害。 現在もそのらせん階段を上って彼女の部屋、そして殺害現場となった部屋へと見学することが出来ます。 リッチオの刺殺された場所は、450年の時を過ぎても血の染みが残されています。
メアリーはその時に妊娠をしていましたが、リッチオの子ではなく、ダーンリーの子であることを彼の目の前で認めさせられました。 流産の危機もありながら、男の子を無事に出産。(この子はエリザベスの後を継いでイングランド王となります)
ダーンリーとメアリーの関係は修復不可能なところまで来ていましたが、ダーンリーは梅毒で病床に、メアリーも関係改善の為に彼を見舞いに行き、1567年2月10日、病状が落ち着い時に回復祝いが行われますが、その夜に彼の館が爆発。 次の朝、損傷の無い下半身裸の彼の遺体が発見されます。 ダーンリーはこの時21歳。 ホリールードのメアリーの部屋にもほど近い寺院内に埋葬されます。
その後メアリーはダーンリー卿の殺害に関わったという噂でスコットランドにいられない状況となり、エリザベスの元へ逃れます。 その後は軟禁状態が続き、それでもメアリーは自分がイングランド王の正当な継承者であると、エリザベスを追い込むような行動を起こそうとします。 どれも証拠不十分などで事件化することはなかったのですが、ついに足が付き死刑判決を受けてしまいます。
エリザベスは死刑執行所へのサインを渋ったということですが、1587年2月8日処刑が執行されます。 この時彼女は44歳。
このころの様子をよく描いている映画が”ブーリン家の姉妹”、”エリザベス”と続編の”エリザベス:ゴールデン・エイジ”、”ふたりの女王メアリーとエリザベス”。 事実は小説より奇なりのようなお話。


宮殿のすぐ横にあるのが廃墟となった寺院。 ここは様々な王族の結婚式、戴冠式が行われ、埋葬もされています。 復興活動もされてきたらしいのですが、1768年の暴風で屋根が飛ばされてからは廃墟となっているそうです。
大変歴史的な場所なのに、いつかは修復されることもあるのでしょうか。。
この西の塔の2階にメアリーの部屋があって、その隣がリッチオの殺害された部屋。



ユニオンジャックとスコットランド旗とEU旗。 この並びもあと少しかな?
通りの紅茶屋さんでランチ。



デザートには重いけどスコーン。 今日はカロリーの事は考えず。



スコットランドの18世紀の哲学者アダム・スミス。
ロイヤルマイル。 築数百年という建物が並びます。



もう何度も行っているので、今回は入らなかったエジンバラ城。 巨大な岩山です。







今年のポスターはがらっとイメージチェンジで、自分も写真で登場。 ミッキーマウスの口になってます。^^
2週間に渡ってのリハーサルも終わり、本日金曜日ヨーロッパ・ツアーがオープンです。

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