Wednesday, October 26, 2022

birmingham AL

先週のトゥペロからバスで2時間、そんなに到着が深夜遅くになることなくアラバマ州のバーミンガムに到着。

もちろん名前の由来はイギリスのバーミンガム。 なぜそうなったのかを調べたものの、いまいちはっきりせず。。とりあえずここに鉄道を引いたり工業を持ち込んだ人たちに由来するようです。

バーミンガム美術館。 

入場は無料にも関わらず、なかなか良いコレクションが並んでいます。



企画展なども無料で、この日は写真集などで見ることもある”マンジャリ・シャルマ”。


日本をはじめアジアの展示も案外充実。 ベトナムの陶器に関してはアメリカでもっとも質が高いんだとか。

広いスペースを使ってかなりの数のウェッジウッドも展示してあります。 これもイギリス本国以外では一番のコレクションだそうです。

1790年と1791年に制作されたウェッジウッドの代名詞”ポートランドの壺”。

急に気温が下がって、日差しがあって気持ちはいいものの日中でも10度以下です。

バーミンガムは”バーミンガム運動”という黒人不平等に対する大規模な運動の起こった町で、ケネディ大統領が連邦政府として介入せざるを得ないまで大変な事件となりました。

もともとは南北戦争が終わり、貧しい白人と黒人を中心に町が出来上がり、それまで農業が中心だった南部にも工業が発達するようになり、ここも鉄鋼業で発展していきます。 1930年代の大不況で打撃を受け、黒人人口が70%を占めていたこの街ではどんどんと人種間の軋轢が増していき、アメリカでも最も人種差別の激しい場所となりました。

1963年9月15日の日曜ミサ、この16番街バプテスト教会で爆破事件が起き、4人の少女の命が奪われます。

その教会の道を挟んで隣にあるのが”バーミンガム公民権協会”。

未だにアメリカでは根の深い、単純な解決策のない人種問題。 半世紀前には学校、レストラン、ホテル、公共の乗り物など、どこでも白人が優遇され、黒人はあからさまな差別がありました。

バーミンガムでは各地で爆弾騒ぎが起こり”ボムビンガム”と呼ばれるようになります。

1960年には南部地域にあった人種隔離法が正式に憲法違反であると連邦最高裁判所が判決を出しますが、南部はこれに従わず、連邦政府も強制的な動きは出しませんでした。

1961年、7人の黒人と6人の白人がグレーハウンドバスに乗って、人種で分けられていた座席を無視して出発します。 これは南部ルイジアナのニューオリンズを目指す非暴力の抵抗運動”フリーダム・ライダース”です。

各地で運動は広がりを見せますが、同時に白人至上主義の人達からの暴行、逮捕者が続出。

1963年、キング牧師が16番街教会でスピーチを行います。

この非暴力運動では大人が参加すると解雇されるため、小学生までも含めた学生が参加します。 この際には人道的にも問題のある警察犬や高圧放水などを使用して、数百人の逮捕者を出しました。

デモの際にはキング牧師も投獄されますが釈放、その後すぐに活動を再開します。

全米各地で起こっていた公民権運動はその年の8月28日、ワシントンにまで至り、その際にキング牧師の"I have a dream"の有名なスピーチが行われます。

そのほんの2週間後、教会での爆破事件が起こります。 教会は日曜日と言うことで満杯に人が入っていたのですが、その際地下室にいた少女4人が19本ものダイナマイトの炸裂によって命を失います。

教会は1時間余りのツアーで見学することが出来ます。 様々な映像も交えてのツアーですが、大変複雑な気持ちになります。 この祭壇でキング牧師のスピーチも行われ、亡くなった4人の少女の葬儀の際にも彼はここスピーチを行います。


この惨事を知ったウェールズのアーティストが破壊されたステンドグラスの修復を請け負いますが、正面には黒人のキリストを描いて、その右手は憎しみを押しのけ、左手を開いて許すことの寛容さを表しています。


この場所が事件の起きた場所。 もちろん犯人の捜査は本格的には行われず、最終的には逮捕者も出て裁判も終わったのは2000年代に入ってからの事。


目の前の公園にはキング牧師の像も立っていますが、まだまだアメリカの差別問題と言うのは根が深そうです。

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