Friday, November 4, 2022

charleston

仕事の後にバーミンガムを経って7時間のバス移動。 そうなくても長い移動だったのですが、深夜1時頃アトランタを過ぎた後でバスが故障。。 新しいバスに乗り換えるまでに時間を要し、その後着たバスがエアコン効き過ぎで死ぬほど寒くて、7時過ぎにサウスカロライナのチャールストンに到着したらすぐにベッドに潜り込んでしばらく睡眠。


チャールストンはアメリカでも大変歴史の古い場所で、アメリカの独立戦争にも南北戦争にも深く関わった街です。
まずアメリカの歴史を大きく変えるきっかけとなった南北戦争。 その南北戦争が始まった場所がここチャールストン。
知っての通り北部は工業を中心とした産業が成り立っていて、南部では巨大なプランテーションでの綿花や米、インディゴなどの栽培で巨額の富を得ていました。 リンカーンが大統領に当選した際、民主党と共和党の軋轢は激しくなり、黒人奴隷制度の廃止が大義名分として戦争は進みますが、北部のアメリカ人などは黒人を見たこともないような人達で、奴隷解放の為に自分の命を捨てても戦うというのはただの後付けのようなものです。 リンカーン大統領本人も黒人奴隷の開放はどちらでもいいという考えだったというのだから、一体これは何の戦いだったのか。。。 南北戦争前でも自由黒人は存在していたし、南北戦争後も黒人が完全に自由になったわけではありません。

サウスカロライナは”アメリカ合衆国”を脱退し、”アメリカ連合国”となりますが、これは合衆国は予算の90%が輸入関税から成り立っていて、それを支えていたのが南部の綿花などの輸出産業。 サウスカロライナ議会は連邦法の無効を可決したりと強硬な手段にも出ますが、アメリカは”合衆国”であって、自分たちが独立しようとすれば”義理”は無いわけで、南北戦争開始2か月前に”アメリカ連合国”という新しい国に属しました。


チャールストンのすぐ沖合にある”サムター要塞”は合衆国の南の砦で、1861年4月12日、チャールストンから砲撃が始まったことで南北戦争がはじまります。


この要塞へはチャールストンの港から$30で見学に行くことが出来ます。


沖合からの街の眺め。


サムター要塞は1812年の米英戦争の際に築かれた砦。









チャールストンのミリタリーのパルメトの旗。


当時ここに掲げられていた合衆国の旗。



戦争の後は廃墟のようになるのですが、第一次大戦中には少人数が配置され、第二次大戦では対空砲が設置されたそうです。








今はナショナル・モニュメントとして保存されています。



港に帰る際には何度もイルカに遭遇。



街には18世紀、19世紀頃の、貿易などで儲けた人たちの豪邸の数々が未だに立ち並んでいます。









”旧奴隷市場博物館”。
1859年に建てられた建物で、現存する最後の奴隷のオークションの行われた場所とされています。
奴隷制度と言うのは世界中どこでもあったものですが、アメリカでは南部を中心に大量の黒人奴隷が運ばれてきました。 95%は南部に住んでいて、人口の3分の1を占めていたそうです。 奴隷を所有していたのはほとんどが白人で、一部では自由黒人も所有していました。 この自由黒人と言うのはもともと奴隷と言う立場ではなく入国していた黒人や、所有者から解放された黒人を指しています。

この博物館ではその長い歴史について様々な説明がされているのですが、その仕組みは複雑です。 そもそもどういう人たちがアフリカからここへ連れてこられたかと言うと、当時のアフリカでの内紛、民族同士の戦いで捕虜となった人たちなどが売られて来たり、様々だったようです。 オークションでの値段も様々で、子供か大人か、男女でも値段が違うし、その中でも労働力として使えるかのレベルもあって、健康な20代前後の男の人で普通車くらいの値段だったようです。

奴隷制度が終わって自由になっても、未だにアメリカでは人種の問題は根が深いです。








”Heyward-Washington House”。
街には古い大きな建物が並んでいますが、そのうちのいくつかは見学をすることが出来ます。 これは1772年に建てられたトーマス・ヘイワードの家で、1791年にジョージ・ワシントンが南部へ来た際にはこの家に滞在をしています。



ワシントンが滞在した際にはこの部屋を使っていたそうです。


1790年頃にチャールストンで作られた、現存する数少ないベッドだそうです。






裏庭には奴隷の住み込んでいたキッチンと洗濯場があります。






1876年に建てられた”Williams Mansion”。
こちらはコロナの関係で現在公開されていませんが、30以上の部屋のある大きなマンションです。




”交易所と税関”。
1767年に建てられた税関ですが、独立戦争の際にはイギリス軍の捕虜収容所になったり、その後も郵便局になったり市場になったり。。。 いろいろな施設として使われた建物です。


チャールストンが”チャールス・タウン”と呼ばれていた頃の様子。



南北戦争後の写真をカラー化したものがなんだか生々しいです。




ワシントンが滞在した際のバンケットも行われた部屋。



1861年発行の新聞に描かれている街の様子。 奥の旗の立っているがこの建物。



1865年の写真と現在の様子。


”チャールストン博物館” 1773年に設立されたアメリカ最古の博物館。



街が形成される前からの展示。





米英戦争の際のユニフォーム。


綿を伸ばしていたマシン。


輸出されていた綿の様子。 


南北戦争の際の展示ですが、まるで”風と共に去りぬ”のアシュレーとスカーレットの様。



博物館が出来たころの展示の様子。


以前も書いた覚えがありますが、チャールストン周辺は映画”The Notebook(きみに読む物語)”の舞台。 この劇場は主人公のノアとアリーが初めてデートに行く場所。


この交差点が深夜に二人が寝転がる場所。


その交差点にあるのが”The Darling Oyster Bar”。
ここチャールストンも生ガキの産地で、あちこちのレストランにオイスター・バーがあるのですが、どこでも夕方にはハッピーアワーをやっていて、お安く牡蠣を食べることが出来ます。


サウスカロライナ産のものでも種類によって味が違って美味しかったです!!


映画"The Notebook"の中でも一番アイコニックなシーンの一つ。 ノアがアリーを連れて木々の林立する不思議な沼へ連れて行くと白い水鳥で埋め尽くされている場面。


この場面が撮影されたのもチャールストン郊外にある"Cypres Garden"。
車がないと行けない場所ですが、リハーサル前友人が運転してくれてササっと行って来ました。 公園の入場料$10でボートも無料で貸してもらえて、時間さえ許せば一日中でも過ごせそうな場所です。

波もない静かな沼で、木々が水面に反射してなんとも美しい景色。


まさに映画のシーンのまま。 いつもあの美しいシーンはどこなんだろうと思っていたので、実際に来られて最高!


短い滞在でしたが、もう一度映画を見直そうと思います。

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