Sunday, June 23, 2019

saga

コロンビアへ出発前に、屋久島旅行後記を書いておきます。
 心配していた雨にも大きな影響を受けず鹿児島港へ。 この日は桜島の頂上からモクモクと立ち上る煙も見られました。
この日は博多駅まで戻って嬉野温泉へ。 新幹線の中で食べた鹿児島中央駅で買ったさつま揚げが絶品で、母は安納芋がお気に入りで、自分はコーン。 よくあるさつま揚げのような触感ではなく、ふわふわでやわらかく、これはおススメ。
夕方前には嬉野温泉に入って、 嬉野茶を味わって温泉へ。
止まっている宿で椎葉山荘のお風呂も使わせてもらえるので、車で山の中まで運転して日暮れ時の温泉を楽しんで、後はここでおススメのとろとろの湯豆腐。 その頃には外は真っ暗で雨。
ここにある滝ではちょうど蛍が見られると言うことだったので、真っ暗な中を歩いて行こうとすると、親切にも宿の方がライトと傘を貸してくれました。 そのまま少し進んで滝の流れているであろう岩壁まで来ると、まぁ。。無数の光が目の前に! 淡くリズミカルに、下から上まで満天の星空のように蛍が飛び回っていました。
今年は蛍を見に行く機会が無かったと思っていたので、こんなところで見られるとは嬉しいサプライズでした(嬉野だけに><)。
次の日は母の希望で有田へ。
深川製磁のミュージアムで有田焼の歴史を学んで。。
酒井田柿右衛門へ。

窯の火入れをしているのか建物の奥からは煙。
もちろん手の出るような品はありませんが、ショップの方に色々と歴史や作陶についての話を伺って次へ。
有田工業団地にも立ち寄り。
有田の街中へ。
自分には認識が無かったのですが、有田焼の陶祖、李参平の家は続いていて、一度は途絶えていた作陶を先代から始めたとのこと。
李参平は豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、鍋島のお殿様が朝鮮から連れて帰った陶工で、1616年に泉山に白磁鉱を発見して日本初の白磁を焼いた人で、今の有田焼(伊万里焼)の陶祖とされています。
ここにはその十四代李参平窯のお店もあって、どれだけ高価なのか恐る恐る見るだけでもと思って入ってみると、やはり大変素敵な白磁の器が並んでいました。 と、値段を見てみると、作品に比べて思ったよりも手が出せる価格で、気に入るものを物色。
後で分かったのですが、お店の番をされていたのが奥様で、親切に色々と説明をして頂きながらどれにしようかと選抜作業をしていると、ちょうど十四代が出て来られたので決めて頂きました。
今では有田焼は真っ白の焼物を求める為にほぼ全て天草の陶石を使っているそうなのですが、十四代は陶祖と言うこともあり今でも泉山の陶石を使わせてもらって、あえて黒く残る鉄分も残した土づくりを頑張っているそうです。 釉薬にも泉山の鉱石が使われているそうで、淡い乳白色が本当に素敵です。
先ほど寄った酒井田柿右衛門でも家元の作品にだけは泉山の陶石を使っているそうなのです。
これが買って帰った茶碗。
いびつに見える形でもすっぽりと手に収まって、どこに口を当てても滑らかな飲み口で大変気に入りました。
次に向かった先は河童のミイラで有名な”松浦一酒造”。 この近辺に来ると松浦鉄道など”松浦”の表示を多く見かけるようになります。

運転手の自分はテイスティングが出来ないので、味見は母のみ。 自分はジャケ買いでお土産を数本。
せっかくこのエリアにいるのでちゃんぽんを食べたいと思っていたら”伊万里ちゃんぽん”のお店発見。 野菜たっぷりに塩っ気が美味しかったです。
今夜の宿泊先武雄温泉に向かう途中鍋島焼の里があったので、ちょっと立ち寄ってみることに。
鍋島のお殿様は、技法が外に漏れるのを防ぐためにここに関所を作って作陶をしていたそうです。
中国の景色を彷彿とさせるようななんとも趣のある風景が広がっていて、関所で隔離されていたころには、まるで陶芸の桃源郷のような雰囲気だったのでしょうか?
いつかここもゆっくり訪ねてみたいものです。
以前一人でぷらりと立ち寄ったことのある武雄温泉。 この竜宮城のような楼門は東京駅も設計した辰野金吾。
ここにある楼門亭は素泊まりの宿で、3つの温泉に入りたい放題です。

旅の最終日は太宰府へ。
お参り前から梅が枝餅を頂いていざ参拝。
前回来た時と同じく韓国人だらけ。。 しかし某国人のように傍若無人な行動はしないので、とりあえず神社の雰囲気は維持できてます。


ちょうど菖蒲の時期と言うこともあり、池には色とりどりの菖蒲が咲き乱れていました。

大宰府政庁跡。
約三世紀に渡って豪族や朝鮮半島政策の為の役割を果たしていた政庁跡。

転々とする礎石に同時の様子が偲ばれます。
806年10月。 中国を発った空海は太宰府に入り、その間の詳しい資料は残っていないそうなのですが、ここ観世音寺に1年余り滞在していたとされます。
続日本書紀によると、ここは天智天皇が母の供養の為に746年に建立したそうで、国宝の梵鐘は日本最古のもので、698年に京都妙心寺と同じ型で制作された兄弟鐘だそうです。
宝蔵には外観からは想像も出来ないような大きな仏像が並んでいて、どれも平安時代頃の歴史あるものです。 もう少し人の形をした平安時代の大黒天は日本最古の大黒様の像だそうです。

国宝の梵鐘。
現在は金堂と講堂を残すのみのようですが、平安時代の栄華を想像するのは容易です。
この日は博多でG20が開催されていたので、駅という駅のロッカーは封鎖されていたので、レンタカーを返した後の荷物の置き場には困りましたが、親切な大丸百貨店の受付で預かってもらって中洲へ。
母に中洲体験をしてもらって旅終了。
トラブルもなく無事に旅の全行程を終えて岡山まで帰って来ました。

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