Wednesday, December 8, 2010

st denis


パリは冬真っ盛り。。。 毎日どんよりと曇って雪の舞う日が続いています。
今日は電車でちょっと離れた所にある“サン・ドニ大聖堂”へ行って来ました。 あまり派手な教会ではないのですが、ここは歴代フランス君主の埋葬地となっています。 ほとんどのフランス王と王妃のがここに眠ります。


教会の起こりは、聖ドニはフランスで布教の最中モンマルトルの丘で首をはねられ殉教たのですが、彼はそのまま死ぬことなく、自分の首を持ったまま歩きだし、この地に辿り着いたときに絶命して倒れたそうです。


一階の祭壇の周辺には彫刻を施されたお墓が並びます。


このような墓もフランス革命期に開けられて、遺体は近くの穴に埋められてしまったそうです。


これが初期のサン・ドニの墓。 地下のクリプトの奥にあります。




確かルイ16世とマリー・アントワネットの祈る像。

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そしてクリスプの中心にあるのがこの墓で、真中左側がマリー・アントワネットで、その隣がルイ16世。 彼らは処刑された後はマドレーヌ寺院に埋葬されていたのですが、ナポレオン失脚後に王政復古がなされて、ルイ18世はルイ16世とマリー・アントワネットの遺骸を探すように命じ、
王と思われるわずかな骨と、ガーターベルトを含んだ灰色の物質が1815年に発見されてここへ埋葬されたそうです。
その他穴に埋められた穴も雨られたものの、すでに誰の遺骸かを判別するのは不可能だったらしく、ここのクリプトの納骨堂に納められ、王族の名前が順に記されたそうです。 
ルイ18世自身もこの写真の墓に納められています。
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この絵の少年はルイ16世とマリー・アントワネットの間に生まれた次男ルイ・シャルルことルイ17世。
彼の人生は悲劇に満ちていますが、彼には兄がいたものの4歳の時に死亡、母マリー・アントワネットの浪費がひどくなった1つの原因となったのですが、彼が生まれた頃にはフランスの絶対王政が揺るぎ始めた頃で、1789年にフランス革命が勃発、2年後一家は民衆によってタンプル塔に監禁されます。 この時ルイ=シャルル6歳。 間もなく彼は家族と引き離され数ヶ月間靴屋の夫妻に預けられます。 しかし扱いは大変ひどく、虐待されていたと言われています。 1792年、母マリー・アントワネット処刑、1793年、8歳の時に父ルイ16世が処刑され、その後叔父ら反革命派によって“ルイ17世”と呼ばれるようになります。
革命の真っただ中で監禁された身だった為戴冠式も行われず、ルイ・シャルル自身も国王と呼ばれていることすら知る由もありませんでした。
靴屋の夫妻のもとを離れるとタンプル塔の日の当たらない部屋に2年間も捨て置かれます。 1日に1回食事を持った革命軍の人間が”カペーのガキ”とだけ言葉をかけて生存確認をする以外誰とも会話をすることがなかったそうです。 1795年、彼が10歳の時に病死しているのが見つかります。 死因は結核で、遺体は共同墓地に埋葬されます。
その後、彼の心臓と言われるものが何人もの所有を経たのですが、2000年、マリー・アントワネットの遺髪と末裔とのDNAの照合が行われたのですが、その結果この心臓はルイ17世の物に間違いないことが判定され、2004年6月、ようやくここサン・ドニ大聖堂に埋葬されるに至ります。
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これがそのルイ・シャルルの墓。 悲劇の10年を生き、死後200年以上も経ってやっと家族のもとへ落ち着くことが出来ました。
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彼の小さなミイラ化した心臓。 さぞ苦しい思いをしたことでしょう。
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カナダのもとスケーターで、パリに住んでいる友達がここのショコラショー(ホット・チョコレート)が一番美味しいと言っていたので、連れて行ってもらいました。 ルーヴル美術館からも近いです。
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カフェ・オレと同じくショコラショーもフランスでメジャーな飲み物ですが、普通にイメージするホット・チョコレートと違い、ここのは本当にチョコレートを溶かしただけの様な濃厚さ。 自分も何カ所かのそれを試してみましたが、ここのはちょっとミルクっぽ過ぎたかな? 自分的にはPaulのショコラショーがビターで好き。 是非頼んでみて下さい。


一緒に頼んだのはミルフィーユ。 やはりフランスにいたら一度は食べないと・・・。
とにかくフランス中にパティシエが無数に点在していて、美味しいそうなマカロンやデザートが並んでいるのですが、フランス人の友達に、本当にフランス人はそんなに甘いものを食べるのかきいたら、やはりデザートは欠かせないそうで、他の国に行って美味しい甘いものがないと不満だそうです。 これは男女共通らしいです。

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