Friday, May 18, 2012

spring break

さて、日本に帰ってから全くブログの更新が出来ていませんでしたが、南米への出発を来週に控えてまとめて更新。帰国後すぐからレッスンの声を掛けて頂いて、まずは地元岡山で崇人くんのエキシビジョンのプログラムの制作。 今回はいつもよりゆっくりと彼と関わることが出来て、一緒に何かを作ることで、少しでも参考にしてもらえることがあったなら嬉しいかな。
その後大阪なんばで山下艶子先生のお手伝い。 御歳83歳とはとても思えない、自分なんかよりもパワフルな先生には、お会いする度に驚きインスパイヤーされています。 毎日電車だけでも往復に要する時間4時間。 朝の6時から遅い時は夜の10時半までリンクに立たれていますが、そんな先生の近くでお仕事させて頂けるのは幸せです。ブログを読んでくれてる人はすでに周知の通り、キールズ・フリークな自分ですが、最近は日本も店舗数が増えて来たんですね。 ほんの少し前まで新宿の伊勢丹に小さなブースがあっただけだと思っていたのに、最近はアメリカのアパレルやメーカーの進出が頻繁ですね。 いくら店舗が増えても、日本じゃ手が出ない価格ですぅ・・・。夜の貸し切りまで半日時間があったので、京都に引っ越して、自分がツアー中に生まれた甥っ子のいる兄を訪ねて京都へ。 詩仙堂のすぐ近くと言うことだったのですが、ミナミから一乗寺までは乗り換え含めて1時間ほどなんですね・・・近い。
観光の為に行ったわけではなかったので、あまり意識していなかったのですが、アパートへの道すがらこの”一乗寺下り松“を発見。 しばらく前に吉川英治の宮本武蔵を読んだばかりだったのでちょっと感激。 こんな場所だったんだぁ・・・。兄の家に着いたものの、義姉が参観日から帰ってくるまで時間があったのでどうしようかなぁ・・・と思っていたら目に入ったのが”金福寺(与謝野蕪村、村山たかゆかりの地)”の案内。 与謝野蕪村はさておき”村山たか”に激しく反応。
村山たかは舟橋聖一の“花の生涯”にも詳しく描かれている、幕末に伊井直弼、長野主膳のもとで京都でのスパイ活動に従事し、安政の大獄に大きく加担したとされます。 その後桜田門外の変で伊井大老が暗殺されると、彼女も三条河原に三日三晩晒されます。 命だけは助けられるのですが、その後彼女が明治9年にその生涯を終えるまで過ごしたのがこのお寺。
これまたこんな所にあったんだぁ・・・。
入り口には彼女の慶応三年に創建した弁天堂。こういう景色の中に身を置くと、日本に帰ってきたなぁと思うとともに、日本人に生まれてよかったなぁ・・・と感じます。 芯から心身ともに浄化されて行くようなこの感覚は何なんでしょうか?禅のお庭と言うのは、いるだけで心を落ち着かせる不思議な力が備わってます。
門をくぐってこの景色を見ただけで息を奪われます。 平日の昼間と言うことで観光客は一人もいないし、たった一人でこの空気の中に身を沈めることが出来ました。座敷に入ると村山たかのお位牌。 波乱万丈の人生を生きた女性の安寧の地。 しばし当時の様子に思いを馳せます。与謝野蕪村の掛け軸。 江戸中期の俳人で画家ですが、ここは彼が愛し、お墓も建立したお寺。 松尾芭蕉がここの住職と昵懇で、庭を上がったところにある草庵を好んだ為にそう名付けられた“芭蕉庵”があるのですが、蕪村がここを訪れた頃にはすでに荒廃、彼とその一門が1776年に再興しています。村山たかが長野主膳に充てた密書。 ひやぁ・・・ちょっと身震いしそうです。伊井直弼筆の和歌の掛け軸。
たかが34歳の頃直弼から拝領したものなのですが、彼女は生涯これを大切にしたそうです。縁側に座っていたら三毛猫がやって来て一緒に庭を楽しみました。この上にあるのが芭蕉庵。
わびの世界って、ほんとに日本独特の感性だと思うし、落ち着きます。与謝野蕪村のお墓。 京都市内を眺められるよい場所に立っています。義姉と一緒にお昼。 抹茶が体に浸みわたるぅぅ。さて、大阪での仕事が終わって岡山に戻った月曜日。 全く何もない休みが取れたので友達と初めての有馬温泉へ。 ここ数年間温泉に行きたいと思い続けていた夢が叶いました。
岡山から有馬温泉までは2時間ちょっとと意外に近く、これだったらもうちょっと頻繁に来れそう。有馬温泉の歴史は大変古く、日本書紀にもその記載があり、豊臣秀吉も何度もこの地を訪れていたそうです。
金泉、銀泉、泉源と3種類のお湯があって、有名なのは鉄分が多くて濁った金泉。 こんな山の中のお湯なのに、口に入ると大変塩からいのですが、これはなんと瀬戸内海の海水の影響ではなく、太平洋の南海トラフを起源としているそうです。
写真は銀泉の炭酸泉源。 隣には水道から流れているところがあるのですが、口に含むとまさに炭酸水。 あまり飲むとお腹を壊すそうなのでご注意。 昔これに砂糖を混ぜてサイダーとして売っていたとか。
金泉の金の湯。 あぁ。。いい気分~!お風呂の後は豆乳ソフト。 あぁ日本人。
背中を押して今回温泉に行く方向に向けてくれた優介くん。 ありがとね。 また時間のある時はどこか行きましょう!いつものことながら、出発1週間前になって会社から東京のブラジル大使館に行ってビザの申請をするようにとの連絡。 そこから東京の色々な友達に連絡。 突然行ったにもかかわらずみんな都合をつけてあってくれてありがとう。
NYで出会って以来親交を続けてくれている浄瑠璃“一中節”の12代家元のご子息都了中くん。
以前一度了中くんの語りも聞きに行かせてもらったこともあるのですが、一中節って重要無形文化財なんですね・・・。 とっても興味深い話を沢山聞かせてくれてありがとう。
日本の伝統文化を受け継ぎ継承していくというのは、形のない日本の財産を守り続ける大切な役割。 あまり日常生活で浄瑠璃に触れる機会はありませんが、これも京都のお寺と同じく一服の清涼剤の様なもの。 深い知識がなくてもす~っと日本人の心には染みて来ます。 機会があったら一度聞いてみてください。
エネルギーもらいました。 ありがとう。

2 comments:

Chiaki said...

山下先生、お若い!
記憶にある十数年前の先生とお変わりなくて驚きました。

日本に居る間、「和」を堪能されたようですね。
京都はともかく有馬にも、長らく近くに住んでいた割には数える程しか行ったことがありません。
有馬の赤褐色の湯より、乳白色の湯の方が好みなんですが、関西にはあまり無いんですよね……。

ISAO said...

そうなんですよ。 山下先生60代でもおかしくないくらいお若いです。
あの元気、分けて頂きたい・・・。