Monday, January 16, 2017

lausanne, geneva ローザンヌ、ジュネーヴ 観光

今週から3週間は、1週間に2都市を回るスプリット・ウィーク。 移動ばかりの多忙なひと月になります。
今週の週初めはフランスのサン・テティエン、後半がスイスのジュネーヴ。
ジュネーヴももう3度目なので、休みの日は疲労はあったものの、せっかくなので隣町のローザンヌまで足を運んでみました。
ローザンヌは国際バレエコンクールのイメージしかなかったのですが、国際オリンピック委員会のIOCもあるし、国際スケート連盟のISUもここにあります。
ということで、駅の名前もこの通り。
せっかくなので、国際スケート連盟にも立ち寄ってみようと思ったのですが。。。
なんと、このアパートの2フロアのみがそれ。。。
同じ形のアパートの立ち並ぶ、住宅街の数部屋のみ。。。 えぇぇぇ?? これがISU?!と言った感じ。 かなり期待外れです。
そのまま坂道をレマン湖近くまで下がったところにあるのがこの”オリンピック・ミュージアム”!!
なんだか、車の入るゲートまでトラックになっていて洒落っ気たっぷり。
スイスは物価が約2倍と、すべてが信じられない値段で、何をするにもお金に羽が生えて飛んでいきますが、ここのミュージアムも入場料が日本円で2000円くらい。。 オーディオ・ガイドも付けると2500円を超えます。 痛すぎる。 ジュネーヴから電車でたった30分のここに来るのにも、電車の往復5000円もかかってるのに><

さて、展示はオリンピックの始まりから説明してあります。 もちろんギリシャのオリンピアで始まったものですが、それを近代に復興したのが下の彼。
クーベルタン男爵。
フランス生まれのクーベルタン。 随分と風変わりな人だったようなのですが、歴史に出てくるオリンピアの祭典に感銘を受けて、近代にオリンピックを復興させます。
なぜにフランスで興ったオリンピックなのに、本部がローザンヌにあるかというと。。。 はじめはクーベルタンの生家に本部が置かれたそうなのですが、第一次世界大戦中、政治的圧力から逃れるために永世中立国であったスイスに移動したそうです。 ローザンヌが選ばれた理由としては、クーベルタンがここの景色を気に入っていたからだとか。。
そして1896年に、アテネで第一回のオリンピックが開催されます。

これは5大陸を現わすオリンピックの旗ですが、ほぼ初期の旗。
このマークもクーベルタンが考えたものですが、この手紙を見ると、いろいろな案があったようですね。

これがオリンピアで太陽の光を集めて火をおこすボール。
昔からのトーチが展示してあります。
一番手前がリオのもの。
こちらはいつのトーチでしょう?
はい。 東京オリンピックです!
長野オリンピックのトーチ。 これを持って岡山の街を走ったのが昨日のことのようです。。
これは東京大会のものですが、飛行機や車で運ぶ際には、このランプに火を入れておくそうです。
オリンピックに欠かせないのがマスコットですが、いろんなキャラクターが誕生したんですね。


札幌オリンピックには公式キャラクターはなかったそうなのですが、とりあえずこのクマのマスコットがいたらしい。。


オリンピックのセレモニーは一大イベントと化していますが、その衣装もなかなかのものです。 こちらはトリノで使用されたもの。

時代ごとに活躍した選手のユニフォームや器具が展示してあります。

冬季大会ではソニヤ・へニーのスケート靴(ブレードの形が随分と違います)。

有名なカタリナ・ビットのカルメンの衣装、トービル・ディーンのボレロも展示してあります。

全ての大会のメダルも展示してあります。
こちらは第一回大会、1896年のアテネ大会のもの。
こちらは1900年、第2回フランス大会。
1964年。 東京大会。

1972年。 札幌大会。

1998年。 長野大会。

トリノ。
バンクーバー。
ソチ。

シドニー大会の表彰台です。
なんだか楽しい展示がいっぱいのミュージアムで、オリンピック・ファンでなくても楽しめます。
オリンピックの目的と言えば、美しいスポーツマンの極限での戦い、限界への挑戦などはお題目と化して、国威発揚、経済効果が大前提の政治商業イベントとなっていますが、近年は経済効果もほとんどなく、ただただ赤字。。。 もうどこの国でもオリンピックを開催したくない雰囲気に陥っていますが、そろそろ高校野球の甲子園やテニスのウィンブルドンのように、アテネでの永年開催に変更した方がいいのでは??
すでに開催前から東京五輪は大失態、大失敗だし、社会主義国がオリンピックで大国アピールをする時代も終わったんだから、もう各国持ち回りのオリンピックは時代遅れなのかもねぇ。。。
そろそろ原点回帰しましょうか。

レマン湖。
スイスの山々が美しいです。







一路市街地の方へ。 と、どの道もかなりの急勾配。









ローザンヌ大聖堂。 そんなに古くも見えないのですが、13世紀からの痕跡が沢山残っています。
こちらがローザンヌ国際バレエコンクールの行われるボーリュ劇場。
その劇場に併設してあるのがベジャール・バレエ団の本拠地。
ここで名作の数々が生まれているわけね。。
もともとマルセイユ生まれのベジャールですが、ここに本拠地を置いて、10年前に亡くなったのもここローザンヌ。 駅にも彼の名前が付けられています。
さて、真っ暗になる前にジュネーヴに戻って来ました。







たぶん資産数億円あったらここの時計するかなw


一時期ほどの人気は聞かなくなったものの、フランク・ミューラーの高級ラインは豪華絢爛。
この壁にくっ付いてるやつでも欲しいわ。
16年前に香港で買ってから、ほぼ毎日使っている赤色のアーミー・ナイフ。 料理するのもこれ一本。 日用品としては一番頻用しているアイテムですが、ナイフなどの出し入れが固くなったりはあるものの、切れ味は変わらないし、今でも現役。 まだ世代交代をさせるつもりはないのですが、新しく出たウォルナットのシリーズ。 木目の綺麗さに惹かれて二代目をストック用に買いました。 
仕事前の午前中。 一度は行ってみたいと思っていた赤十字の博物館まで足を運んできました。 この日は朝から雪、雪、雪。
ここは国連のジュネーヴ事務局。
国連事務局の正面にあるのがこの大きな椅子のモニュメント。
これは”壊れた椅子”という彫刻作品で、足の一本が壊れたデザインです。 地雷などに反対するメッセージが込められているそうです。
ここが赤十字・赤新月ミュージアム。

日本人にはあまり”赤新月”という呼び方は馴染みがないかもしれませんが、イスラム教徒にとって赤色の十字はキリスト教をイメージするということで、この赤い月のマークが使われています。
1828年生まれのアンリ・デュナンによって創設されました。
創設に当たっては紆余曲折があり、デュナンは国などに関係ない人道支援を目指していましたが、彼がその活動を高く評価していたナイチンゲールには、自国の兵士は自国民が支援するべきと反対されます。
1855年にはパリでYMCAの設立し、その後アルジェリアでの人道支援のため製粉所を建設、多額の借金を抱え込みます。
1863年にはジュネーヴで赤十字規約10か条の採決に至りますが、デュナン自身は人生の転落が始まります。 理事を務めていたジュネーヴの銀行が破たん、製粉工場の失敗。 多額の債務を抱え赤十字の委員からも辞職させられます。
その後貧困のどん底の人生を20年余り続けます。 その後消えていたデュナンが発見され新聞記事に取り上げられ、再び彼の功績が讃えられます。 1901年には第一回のノーベル平和賞を受賞しますが、1910年にその生涯を終えるまで質素な生活を続け、ほとんど手付かずだった賞金は、遺言通り赤十字社に寄付されます。

もっとも古い赤十字のマークをあしらった旗。
これはデュナンの生まれ、スイスの国旗を反転させたものという話ですが、そういう記載はないそうです。
世界の健康啓発のポスター。

1930年の日本のポスターも。

ここには戦場での兵士の情報が記載されたカードも展示してあります。 どこで負傷してどこの病院に収容されて。。。などの情報が詳細に記載してあります。
今日はこれからニースに飛びます。

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