Monday, August 10, 2009

panama city

さて、パナマに到着して一夜が明けました。 まぁ蒸し暑い。 熱帯です。
今日が唯一の休みだったので、友達10人程度でパナマ半日ツアーへ。 値段も安かったし、1日で見たいところ全てを回るにはこれが一番。

まずはパナマ=パナマ運河と言うほど代名詞的存在の運河へ。
町から車で20分ほどので、太平洋側の水力・エレベーターのあるミラフローレス閘門へ。
ここには運河のことを説明した資料館もあって、船の航行と合わせて見ることが出来ます。

運河は太平洋と大西洋を結ぶ全長80キロの運河で、陸地のガツン湖を通っているので、そことの標高差が26メートル。そこのレベルまで船を上げるためにこの閘門が作られていて、3段階にせき止めて、大量に水を注入しつつ船を持ち上げます。


見ての通り堰を挟んで随分と水位の落差があります。


水位は驚くほどの速さで上がって、水のレベルが一緒になったら堰が開いて次の堰へ進みます。
巨大タンカーと運河の幅はすれすれで、前後4台の電車が引っ張り合いながら均衡をとって進みます。 この電車日本製です。


人のすぐ横を通って行きます。


この堰、1914年に運河が作られてからずっと現役だそうです。


こうやって船は進みます。
1日にここを航行するのは30~40隻くらいで、約8時間で太平洋と大西洋を結んでいるそうです。 通行料金は大体一隻平均500万円だそうで、これは前金で現金払いだそうです。1999年までこの運河を所有していたアメリカは随分いい儲けだったのでは?
あと、よく”パナマ船籍”という言葉を聞きますが、これはパナマに船籍を置くと税金等の費用が安いのと、いろいろ乗船員などに利便があるからだそうです。


これが閘門へ水を注入するパイプの実際の大きさ。 これだったらあんな大きな船でも持ち上げられるかも 。


パナマと言ってもう1つよく聞くのがこの“パナマ帽”。 どうやら実際はエクアドルの帽子らしいのですが、なぜパナマ帽と呼ばれたのかは”?”だそうです。
「1834年にセオドア・ルーズヴェルトがパナマ運河を訪問したときから一般に広まった」のが本当のようです。


さて、運河を離れて旧市街へ。 ここの旧市街は未だにちょっと寂れた感じ。 最近はどこの旧市街も観光地化されて、美しい街並みを取り戻しているのが一般的なのに、ここは随分とノスタルジックな雰囲気が残ったまま。 空き家も多く、ちょっともったいない感じ。 いずれここも整備されて観光地化するのでしょう。
この写真の布は”モラ”と呼ばれるパナマのキルトで、起源は古くはないそうなのですが、鮮やかな色彩とデザインは趣があります。 現地では大体1000円から2000円と言ったところなのですが、これだけの手間を考えるともったいない値段かも。



これは旧市街にある大統領官邸。
セキュリティーも全然甘くて、さすがパナマといった感じ。 


入り口の門の中にいるのはこの大きなサギとちょっと変わった鶴のような鳥。



旧市街の中心にあるのがこの教会。 中には入れませんでしたが、色の違う石のブロックを使った建物はなかなかきれいでした。

2 comments:

Chiaki said...

お久し振りです。
日本の夏は楽しまれましたか?

パナマ運河って、そんな風になってたんですね。
1914年の技術が、現在も通用していることにも驚きました。

ISAO said...

お久し振りです!
久し振りのブログの更新、チェックして頂いてありがとうございます。^^

そろそろ日本の暑さにダウンしそうになっていたので、“避暑”とはいきませんが、体を動かせる場所に戻ってこれてホッとしているところです。

ときどき名前を耳にするここパナマですが、運河をはじめ、いろいろ日本ともかかわりを持った国のようです。
運河の建設に当たっては、マラリアとの格闘があったり、建設費用の問題が起こったり、出来てからもここの管轄をめぐっての争いがあったりと、なかなか歴史的にも興味深い背景を持っているようです。