Friday, July 15, 2011

eva peron

ここレコレータは有名な墓地がありますが、その隣に立つのがこの聖母ピラール聖堂。 1732年に完成した聖堂の塔は、当時ラ・プラタ川を行く船の目印にもなっていたそうです。
内部には壁やそこここに絵タイルの装飾があるのですが、多分スペインのセビリアからやって来たものでしょう。
そしてここが多くの著名なアルゼンチン人の眠るレコレータ墓地。 
かなり広大な墓地に豪華な装飾を施した代々墓地(ちょっとしたブティックかマンションの様)が並んでいて、まさに死者のダウンタウンと言ったところです。
そして、その中でもみんなが向かうのがここエビータのお墓。 彼女は前回も書いたとおり1952年に33歳で子宮癌でこの世を去っていますが、遺体は完全な処理をされてイタリアへ空輸され、その後1971年に発掘されてスペインへ。 1976年、軍事クーデターの後ブエノスアイレスに戻って、ここのお墓へ埋葬されます。 発掘された際も、遺体は亡くなった当時の姿をほぼとどめていたそうです。
レコレータから歩いて30分くらいの所に2006年に出来たのがこの”エビータ博物館”。 この博物館は街のはずれにあるのでちょっと多いのですが、もともとは”エバ・ペロン財団”の子供や親を宿泊させるために使われていた建物で、彼女の没後50周年を記念して博物館としてオープンしたそうです。彼女は貧しい私生児として生まれて15歳で家出、その後自身の美貌と性を売り物に出会った男を踏み台に出世。映画女優などをしていた時に将来の夫となるペロンと出会います。 ペロンの愛人として過ごし、彼が軍事裁判で有罪判決を受けた時にはラジオを通じて彼の釈放を訴え、釈放後に彼と結婚。 翌1946年、ペロンはアルゼンチン大統領に就任します。ファーストレディーとしての彼女の働きは凄まじく、慈善活動や貧困層への援助、救済に力を注ぎました。 国費のバラマキを行った為、富裕層や軍上層部からはひどく嫌われたらしいですが、当時のアルゼンチンでは最も影響力のある人物となりました。彼女はファッションにも大変興味が深く、クリスチャン・ディオールなどフランス・ファッションを愛好していました。 そんな彼女のコレクションも見ることが出来ます。
この衣装の数々を見るだけでも人々の羨望と尊敬を受けていた様子が分かります。
2階にはテラスがあるのですが、セビリアのタイルとラ・エスペランサの絵タイルがあります。さて、夜は楽しみにしていた"Bar Sur"です。 アルゼンチンでは一番古いタンゲリーアですが、8時半から2時まで休みなくタンゴを楽しむことが出来ます。このレトロな雰囲気が本当に心地よく、おじいちゃんの歳を重ねた柔らかい音が何とも言えないです。 バンドネオンも最高です。
以前来た時は2カップルが踊っていたのですが、今夜はひと組だけでした。 しかしこの狭いフロアで素晴らしい踊りを見せてくれます。 途中で一緒に踊らせてくれるのですが、もっとちゃんと習ってみたいものです。 ショーのような派手さはないですが、じっくりとタンゴの真髄を味わうには最高の場所だと思います。
しかも今夜のお客はたった3組。 結局自分達が最後の客になったのですが、こんなに人が少ないのも火山の影響でしょうか・・・。 ほぼプライベート・ショーだったのですが、あぁ贅沢。 
帰りはバンドネオンのソロの演奏してた人が車でホテルまで送ってくれました。^^ 

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