Tuesday, February 26, 2008

berlin

心身ともに疲労に浸ったデンマーク公演を終えて、昨夜8時間のバストリップでここドイツのベルリンへやって来ました。 
ここへ来るのもこれで2度目ですが、毎回来る度に過去の歴史について深い悲しみと、複雑な歴史を辿ることになってしまった国民のことを思ってしまいます。

今回どうしても訪れたかったのがここ"Fuhrerbunker"
ここは2006年までナチの聖地化するのを恐れて秘密にされていた場所なのですが、ヒトラーの総統官邸の地下壕のあった場所です。 
ヒトラーは終戦間近の1945年の1月16日から自殺する4月30日までをここで過ごしました。 観光地ではないので、ホテルで聞いても教えてはくれませが、ただのアパートの駐車場で、ポツダム広場から徒歩で10分もかからないGertrud-Kolmar-Str.沿いにあります。 大体の見当をつけて歩いているとすぐに見つける事が出来ました。 


少し前にヒトラーの”最期の12日間”という史実に基づいたドキュメンタリー映画を観てから、どうしてもこの場所には立ってみたくて行ったのですが、今はその頃を思わせるものは何もなく、そこにはただのアパートと普通の人たちの生活があるだけ。 ホロコーストによってユダヤ人600万人、非ユダヤ人500万人の大量虐殺に至った彼の最期の地というイメージは何も浮かびません。
以前ポーランドのアウシュビッツにも行きましたが、そこでの死者数があまり大きい為に、具体的にその虐殺がどういうものであったかは想像もつきませんでした。 たった一人の人がこの世を去ってもやり場のない気持ちに襲われるのに、1100万人もの人々の命が”何でもないもの”であったかのように人の手によって消されると言うのはどういうものなのでしょう?
未だに世界から戦争が消えることはありません。 人間は過去から何を学ぶのでしょう?
地下壕の見取り図からすると、黒い車の止まっている辺りがヒトラーが自殺した場所になるでしょうか。 ここは戦後何度も更地化しようとしたのですが、壕の壁の厚さが3.5メートルと厚いために掘り起こすことが出来なかったそうです。 そのため今でもそのまま駐車場として残っています。
ここは東西統一後に発展を遂げている”ポツダム広場”です。 
戦後有名な”ベルリンの壁”がつくられた跡には、その記憶を忘れない為、今でもそれがあったことを示すモニュメントやレンガなどが埋められているのですが、ここの広場には壁の一部がモニュメントとして残されています。 今では簡単にまたげるこの境界線も、ほんの20年前までは近寄ることもままならない場所だったんですね・・・。 今もイスラエルなどでは新たな壁が建設されています。 どこまで歴史は繰り返されるのでしょう? 誰一人としてこんなことをしても幸せになれる人はいないのに・・・。 人はいつまでも浅はかで、個人の利益にのみ執着するものなのでしょうか?

ブランデンブルク門付近。 道路上にも壁のあったことを示すブロックが埋められています。 奥に見えるのが”ドイツ連邦議会議事堂”です。

4年前に来た時には広い空き地だった場所に現在いくつかの建物も建ち、その一角にはユダヤ人犠牲者の記念碑も建てられています。 随分と広い敷地に石のブロックが並んでいて、ちょっと異様な雰囲気が漂っています。

西側のブランデンブルク門の裏からは東側のテレビ塔も見えます。


さて、前回行こうと思っていけなかったのが、ここ”ドイツ連邦議会議事堂”です。
要はドイツの国会議事堂ですが、なかなか重厚で巨大な建造物なのですが、1894年に完成したものの1933年には不審火によって炎上しています。 この不審火はヒトラーが首相となった一ヵ月後に起こっています。
第三帝国時代には修復は全くされず、崩れた議事堂は1943年のベルリン大空襲の被害を受け、1945年のベルリン攻防戦では、武装親衛隊の抵抗拠点の1つであった為にソ連軍の攻撃目標とされ、更に徹底的に破壊されたそうです。 しばらく廃墟となっていたこの建物は、取り壊されないことになっていたものも再建もされず、一部が修復されただけに過ぎなかったそうです。
東西統一後の統一議会はここで開かれたものの、首都をベルリンに戻すかどうかの議論もあり、結局この旧国会議事堂を連邦議会の議事堂として利用することに決まり、大規模な修復が完成したのは1999年のことだそうです。
現在ここの建物は世界的にも有名な建築物の1つになっていますが、石造りの外部と、最新のデザインの内部のギャップが大きく、特に天井部のガラスのドームは大変ユニークで、上から議会の様子が直接眺められます。
見学の列は随分長いものの、団体観光客などはいなかったようで、お昼で1時間くらいの待ちでした。 エレベーターで一気に屋上まで上がるとベルリン市内が一望できて、ガラスのドームは時々射す陽の光に輝いていました。 ドームの内部は螺旋階段で頂上部まで上がれて、竜巻のような鏡のモニュメントは大変印象的です。


鏡を写真に撮ろうとすると、一枚一枚に自分の姿が映っていましたw



ここは1時間並んでも来た甲斐があったかな。
これこそ新しく始まったドイツ連邦の象徴ではないでしょうか。


ここも東西分裂時には近寄ることも許されなかった、今では平和の象徴となった”ブランデンブルク門”です。
ベルリンは1868年にそれが取り壊されるまで、城壁のあった都市だそうで、ここの門は18箇所あったものの1つで、他の門が取り壊されていく中、唯一残ったものだそうです。
プロイセンの王族がポツダムなどに行く際には使用した門だそうで、1791年に3年の工事の後竣工しています。
天辺に付いているヴィクトリア像は、ベルリンがナポレオン・ボナパルトに征服された際には戦利品としてフランスへ持ち去られました。 その後プロイセンがフランスを占拠すると、再びこの像は取り返され、再度門の上へ戻されたと言う歴史を持っています。
今日のお昼は4年前にも通っていたカフェで食事。
前回は旧グランドホテル、現在の”ウエスティン・グランド”(もちろん5つ星!)に宿泊していたものの、今回は改装中ということで別のホテルに泊まっているのですが、ここはウエスティン・グランドから徒歩10分の場所。 同じ姿の双子の教会の並ぶフランス・ドーム、ドイツ・ドームの隣で、ソーセージにザワークラウト、グリューワインと、ドイツ満喫のメニューです。
こういう時間が過ごせるから大変なスケジュールでも乗り切れるんだよね・・・。
はぁ・・・随分気分はリフレッシュです。

ベルリンの歩行者信号はユニークで、ちょっとしたマスコットにもなっていて、そのデザインはお土産やさんにも並ぶほどです。



ここはホーレンツォレルン王家の記念教会”ベルリン大聖堂”。
かなり大きなクーポラを持っていて、遠くからでもその姿を見ることができます。 第2次大戦ではクーポラも貫け、被害を受けたようですが、1993年に修復され現在のような姿になったそうです。 入場料は5ユーロで、ドームの部分まで上がる事がで来ます。
正面祭壇は珍しく陶板です。 なかなか美しい絵が描かれていて、天井のモザイクも精巧です。

天蓋部では外に出ることができ、旧東ドイツのテレビ塔、赤の市庁舎なども見ることができます。



このテレビ塔は1969年に完成していて、当時の東ドイツの工業技術を西側に示した建造物で、西側からすると、随分忌々しいものだったようです。 塔の高さは368メートルで、ベルリン市内のどこからでも眺めることができます。





今日の観光の最後は”カイザー・ヴィルヘルム記念教会”です。 もともとは1888年に死亡したヴィルヘルム1世を追悼して、1895年に完成したプロテスタント教会で、1943年のベルリン大空襲で破壊されました。 現在もそのままの姿で保存されていて、1962年には新しく現代的な教会が隣に建設されています。 崩壊した教会の内部には美しいモザイク画も残っていて、なかなか豪華な教会であった事が窺われます。

明日から2日間ドレスデンまで1人旅に出ます。 しばらくは仕事を忘れて、孤独を楽しんできます。

2 comments:

Chiaki said...

1945年から63年経つんですね。
「まだ」と捉えるか「もう」と捉えるか、私にはどちらが相応しいか判じることができません。
人間が社会の中で生きる動物である以上、諍いは避けることはできないでしょう。
避けることができない以上は、よりよい解決手段を求めるしかないのだろうと思います。
無辜の人を巻き込むことなく、命を含め大切なものを奪うことなく……。
そういう意味で、戦争は最も避けたい手段のひとつだと思っています。。

ISAO said...

暴力からは憎しみしか生まれません。 10人いれば10人の意見の相違があるわけだし、そこに宗教、政治、権力、利益が関われば収拾が付かない事態になっても当然だと思います。 しかし、それを押し通すことによって、過去にどういうことが起きたかを十分に理解して、そこから物事考えないと人間的進歩はないでしょう。 残念ながら人が誕生してから戦争のなくなった日はありません。 国際化の進む現代。いつかみんなが他人、他国の違いを理解し尊重できる時代が来ることを願います。