Tuesday, February 19, 2008

h.c.andersen

早朝にブリュッセルを発ち、フライトで、ここデンマークのOdenseにやって来ました。 古い建物の並ぶ都会から、いっぺんに田舎町に来たような感じです。

デンマークと言って思い浮かぶもののうち、世界中にその名を知られているのは童話作家の”アンデルセン”ではないでしょうか? デンマーク第3の都市のここオデンセは、そのアンデルセンが生まれ育った町。 町全体が童話の世界そのもので、可愛らしい家が軒を連ねている様子は微笑ましいくらいです。




まずは彼が2歳の1807年から14歳になるまでを過ごした家を訪ねてみました。
家は町の中心部にあって、今で言えば一等地?! しかし、その建物は小さく、入り口のドアは2つあって、それぞれ商売を生活の糧にする3家族が1つ屋根の下に暮らしていたそうです。 

入場料はUS$5で、内部は仕事場を兼ねた一部屋と、1畳ほどのキッチン。全体合わせても10畳くらいなものでしょうか。。。 そこで3人が暮らしていたのだから、どのくらい貧困な生活だったかが想像つきます。
彼の童話のほぼ全ては、彼がここに暮らしていた幼少時代からインスピレーションされているそうで、貧しいながらも、心豊かに育った様子が伝わります。

彼は一人っ子だったということなのですが、話を聞くと、母方に随分年上の姉がいたそうです。 父は靴の修理業をしていて、いつも彼に沢山のおもちゃと作ってあげていたそうで、親子みんな仲がよかった様子が分かります。 そんな父もナポレオンの戦争に駆り出され、彼が9歳の時に帰還したものの病の床につき、2年間の闘病の後、この家で息を引き取ったそうです。 彼がそんな時に橋の下で泣き続ける母親を見た体験などが、マッチ売りの少女などの話にも繋がったとのことです。

親は彼を洋裁師にしたかったらしいのですが、彼はと言うと単身コペンハーゲンへ出てオペラ歌手として成功することを夢見て、資金調達のために一人演劇やコメディーの舞台へ出るようになったそうです。 そこで順調にお金をためて、晴れて14歳の時にはこの家を出てコペンハーゲンへ行ったそうなのですが、結局は作家としての成功を収めることになります。

彼は世界中の人に愛されて70歳でこの世を去るのですが、生涯失恋の連続で、要因として容貌の醜さや、若い頃から孤独な生活を続けた為に、人付き合いが苦手だったなど言われているそうです。 あと、極度の心配性で、外出する時には、非常時にいつでも窓から逃げ出せるようにロープを持ち歩いていたり、寝ている間に死んでいると勘違いされて埋葬された人の噂を聞いてからは、眠る時には、必ず”死んでません”と書置きをしたそうです。

以上、とても親切だった受け付けのおばちゃんが教えてくれました。 全く観光客はいなかったので、ゆっくりと見させてもらえました。 おばちゃん、ありがとうございました!

北欧に帰ってきて、まず打撃なのがその物価・・・。 レストランでの昼食だけでUS$20近く・・・。 水道水の水一杯でUS$2もします。 何とか今週乗り切らないと。。。

アンデルセンの代表作品
みにくいアヒルの子・人魚姫・親指姫・マッチ売りの少女・赤い靴・裸の王様 などなど

その他独特の建物も多く、ちょっと風があって寒かったものの、ぷらぷらと散策をするのは楽しかったです。 しかし、ここは自転車人口が中国並で、しかもかなりの勢いで走ってくるのでご用心。

3 comments:

Chiaki said...

アンデルセンの作品は非常にロマンチックで、でも結末は必ずしもハッピーエンドではないものも多くて、何度読んでも大人になっても涙ぐんでしまうことがあります。
そういう時、柔らかい感受性がまだ自分にも残っていることを知って、少し安心します。
アンデルセンと言えばもうひとつ、人魚姫を下敷にした「リトル・マーメイド」がハッピーエンドだと知ったときの衝撃は、未だ忘れられません。

ISAO said...

イソップもアンデルセンも、ヨーロッパの童話って何か陰がありますよね? 自分は原作を詳しくは知りませんが、彼の幼少時代の話を聞くと、一度はちゃんと読んでみたい気になりました。

Chiaki said...

好みはあるでしょうが、私はアンデルセンの方が美しいと思います。
イソップは動物の話が多く、楽しい中にも教訓が多く含まれる寓話なので、子どもにも安心して読ませられますね。
古典の問題集か何かで「伊曽保物語」が出てきて、一気に親近感が湧きました。
そして、グリムはよく黒い森と結びつけて語られる通り、昼なお暗い森が良く似合います。
読んだのはどれも訳本なので、訳者や出版社のフィルターがかかっているのでしょうが。。